第1話 おっさん
こんなんじゃ駄目だって思うのは毎週月曜日。そして、挫折するのはだいたい火曜。水曜日まで行けば大したもの。
三日坊主とは、よく言ったものだ。
人がなにかを決意してから、あきらめるまでの期間を、短い言葉で伝わりやすくまとめている。人間の欲とは、なかなか自制できないものだと、ダイエット中にキムチカツ丼大盛り+大豚汁を完食した後、しみじみと思う。
家に帰っても、特になにかが待っているわけじゃない。帰って、ユーチューブ見ながら酒飲んで、寝て。
結婚してないからこうなったのか、こんなんだから結婚できないのだろうか、因果関係はともかく自分はこんな人間である。
「はぁ……」
ため息が出て、ついでにカツ丼屋からも出る。会社から最寄り駅までのこの通りは、いつもの道すぎて、目をつぶっても歩けそうだ。
駅近くまで来て、それこそいつも通りの光景が広がる。路上に大きめのリュック。安そうなギター。そして、ひとり座っている女の子。俺に気づいて手を振る彼女に、思わず不思議な想いを抱く。顔見知りになる前も、恐らくは同じような景色だったのだが、今まではそれに気づくことすらなかった。
「あっ、松下さーん」
なんだかなつかれてしまった小娘。号泣の目撃者。自称路上ミュージシャン。名前はサト。苗字なのか、名前なのか、まあ完全どちらでもいい。さすがに夜8時に一人ライブをするくらいなのだから、高校生から大学生と言うところか。
いつも素通りする道だった。なんなら出会った翌日も素通りするはずだった。演者と観客という関係において、『素通りしない』と言う選択肢はない。
でも、そのときも今日のような馴れ馴れしいあいさつをされ、『応じない』と言う選択肢をするほど頑な対応も取れなかった。
それでも、出会って一週間ほどの付き合い。そのくせ、この近しい距離感に、なんだか妙な気持ちになる。
「……はぁ」
「相変わらず、
「誰が
「そ、そんなデリケートゾーンにいきなり触れるわけないでしょ。雰囲気ですよ。ふ・ん・い・き。どうしたんですか?」
「……おっさんって悲しいな」
「なんでですか?」
「いや、もしサトが小学生の子どもだったとして、多分俺は無視しない。高校男子でも、大学生男子でも、おばさんでも、おばあちゃんでも、おじいちゃんでも、俺はお前のことを無視しないよ」
「……『ありがとうございます』でいいんですかね?」
「でも、もし君がおっさんだったら、多分俺は無視をする。ピンポイントでおっさんだったら、俺はきっと無視をする。警戒をする……それが、現在絶賛おっさんである俺には凄く悲しい」
「む、無視しなきゃいいじゃないですか!?」
「だって、おっさんだよ? おっさんが、顔見知りだからって、いきなり手を振って名前呼んで来るんだよ? 怖いよ。君はそう言う意味では、得をしている。そして、おっさんである俺は君に『自分がそれほどでもない関係性の人に声をかけても無視されない』という幸せを噛みしめながら生きていって欲しいと思う」
サトの顔面は、可愛い。恐らくは、チヤホヤされ続けてきた人生だったのだろう。だからこそ、拒絶されることへの恐怖心がない。
だから、路上ミュージシャンなんてやってるんだ。
やって、やがるんだ。
イマドキはユーチューブで事足りるのに、『私はそんなミーハーなものには手を出しません』的な。タモリさんに『路上ライブからギターと歌だけでMステまで来ましたけどなにか?』的な。
「……よくわかりませんけど、わかりました。日々の感謝を忘れずに生きて行くってことですよね?」
「……ちがう」
全然伝わってない。
そんなポジティブシンキングは求めてない。
むしろ、『俺がおっさんである』であると言う事実をまずは否定して欲しかった。
「も、もうどうでもいいです。それよりも新曲できたんです! ぜひ聞いみてください」
「……はぁ」
「な、なんですか?」
「いや、あらためてサトと俺は『演者と観客』の関係なんだなって」
「……それ以外になにがあるって言うんですか?」
「ほら、ドラマとかだとあるじゃん。ある日、二人が出会ってさ。なんの脈絡もない男女が、運命的なものを感じて」
「……まあ、100パーセント中の100パーセント、そんな想いは毛頭ありませんけど、『おっさん』と自称する割には私はストライクゾーンには入ってるんですね」
「年齢と言う愚かな価値観に左右されないと言ってくれないかな」
「私の年齢を聞いてないのに、恐ろしいことを言いますね?」
「敢えて聞かないと言うのが、大人のたしなみと言うものだ。ちなみに、俺の見立てでは君は28歳だと思って接するからそのつもりでいてくれ」
「完全に日本の法律を恐れてるじゃないですか。さすがに、そんな歳じゃないですよ」
「年齢の話はもうやめよう」
誰も得をしない。
この話は、誰も得をしない。
「……もう、全然わかりませんけど、わかりました。いいから、聴いてくださいよ。松下さんをイメージした曲です」
「……曲名は?」
「おっさんマニア」
「お前……いくらなんでもディスりが酷いだろ」
「感じたままなんで素直に受け取ってください。まあ、弾きますから」
そんなことをつぶやきながら、サトは座ってギターを弾き出す。
「……」
その曲を聴きながら。
明日もキムチカツ丼大盛りを食べようと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます