おっさんと少女が出会い、話し、笑い、たまに怒って、ちょっとだけ泣く話

花音小坂(旧ペンネーム はな)

松下の小噺

プロローグ


 その日は、ちょっと泣いてしまった。


 仕事の帰り道。特に何かがあった訳ではない。上司に小言を言われるのもいつものことだし、クソみたいな残業は、いつも通りクソだ。


「……」


 夜空を見上げると曇っていて、星は見えない。


 30歳を超えてくると、ある程度の物事にも慣れてくるものだ。帰りに中華料理を食べて、瓶ビールを3本飲んで、フラフラと言えばフラフラだ。


 こうして、また、1日が終わる。


「……こんなもんなのかな」


 仕事は適当にこなして、夜は適当に酒飲んで。嫌だった先輩や上司の飲み会も、いつの間にか自分が先輩の立場になって。


 なんとか、こなしてが。


 なんとなく、こなしてになって。


 ……なんとなく、生きて。


「はぁ……何やってんだろう」


 そうつぶやいて、フと顔をあげた時。


 うつむいてる一人の女の子が目に入った。ガードレールの下に座って、ギターなんか持って。恐らく路上ミュージシャンなんだろう。


「……」


 誰も止まらない。まるで、そこにいるのに、そこにいないような。みんなが目を合わさずに……いや、目を合わさないようにしながら、通り過ぎていく。


 当然だ。


 自分もずっと、そうだった。


 でも、この時は、なんだか捨てられた子猫を見ているようで。


 ……昔の自分を見ているようで。


「あの……1曲いいですか?」


 気がつけば、声をかけていた。


 そんな柄じゃないのに。


「……いいんですか?」


「うん。1曲頼むよ、お嬢さん」


 酔っ払ってるからか、『お嬢さん』だなんて。キモいな。我ながら、キモ過ぎる。おっさんにそんなことを言われたら、ただ恐怖でしかないだろうに。


 でも。


 この少女は、なんだか涙ぐんでいて。


 そして、ボソッとつぶやいた。


「ありがとう……ございます」


「ん?」


「私、あきらめかけてたんです。でも、あなたが……本当にありがとうございます」


「……そうか」


 そんな時もきっとある。自分だって、そうだった。そして、自分には、そんな人が現れてはくれなかったけど。


 そうか。俺は……あの時の自分に声をかけてやることができたのかな。


「……泣いてますか?」


「えっ?」


 気がついたら、頬から涙が溢れていた。


 その時、曲が流れていたことに初めて気がついた。そして、どうやら、この少女は自分の歌に感動してくれたと思っているらしい。


「あの、もしよかったら……よかったらなんですけど。まだ、あるんです。聞いてもらえると嬉しいです」


「……うん」


 すっかり酔いも覚めて、ただガードレールに背をもたれて、目の前にいる女の子を見つめる。そう言えば、いつもここらへんでギター音と歌声が響いていたような気がする。


「ありがとうございます! じゃあ……弾きますね」


「……」


「あっ、もしよかったらお名前聞かせてもらっても」


「……松下……です」


「松下さん。本当にありがとうございます。今日は、あなたのために歌いますから」


「……」


 そして。


 不意にも。


 不覚にも。


 情緒不安定にも。


 その明らかなセールストークに。ほぼ間違いなく偽りであろう優しさに。客がいない路上ミュージシャンの人が100パー言い放つであろう安易な言葉に、ホロっときてしまったのであった。


 曇り空はいつの間にか晴れて。


 月がいつのまにかあがって。


 そこには。


 いつのまにか客認定されていた俺と。


 ギターを一生懸命に弾く女の子との。


















 物語然とした小噺が照らされた。


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