第4話 あーん

 自主練を終え、沙霧が着替えるのを待ち、ようやく学食に辿り着いた。


 途中、女子部室前にいた篠崎さんから「ちょっと遅くない?」とでも言いたげな視線が刺さったが、全力で気付かないフリを決め込んだ。

 これも危機回避の一つ。

 決して先輩を無視したわけではないと自分に言い訳しておく。


「うわー……結構人いるね」

「先に席取るか」

「だね。向こう行こ」


 学食内はそれなりに混雑していた。

 大半を占めているのはサッカー部だ。何人か見知った生徒もいる。

 サッカー部は嘉乃で一番の部員数を誇る。


 果たして二人で座れる席があるかどうか。場合によっては別々に——


「あっ、一兎、沙霧さん!」


 呼ばれた方を見れば、机を二つ挟んだ向こうで聡がこちらに手を振っていた。

 向かいには貴之も座っていて、机の上には空になっている食器がある。


「僕達もう行くからこの席使っていいよ」

「マジか。助かる」

「ありがと〜、二人とも」

「い、いえ! お役に立てて光栄っス。へへっ」


 いつも通り甘い笑顔の聡と、どこか緊張した様子の貴之。


「ちょっ、なにかしこまってんの。やめてよ、クラスメイトだし」

「気にしないで大丈夫ッスよ。これが自分の平常運転なんで。へへっ」


 嘘つけ。

 緊張してガチガチになってるだけだろ。

 本人いないとこで「沙霧」って呼び捨てしてんじゃねぇか。


「え、そうなの? 貴之くんって面白いね」


 んなわけあるか。

 わかってて面白がってんだろ。


「へへへ……そうっスかね」

「そうっスよ!」

「へ、へへへ……」


 後頭部をさすりながら締まりのない顔で笑う貴之。

 気付け。お前今めっちゃ気持ち悪いぞ。

 

 こうなると貴之は使いものにならない。

 そこで俺は聡にアイコンタクトを送る。「なんか言ってくれ」と救援を求めれば、聡は理解したように頷いた。


「貴之、気持ち悪いからその笑い方やめて。それじゃ、僕達は行くね」


 トレイを持って席を立つ片手間に放たれた聡の火の玉ストレートが、貴之を穿つ。

 それは見事にクリティカルしたようで。

 聡の後を行く貴之はわかりやすく肩を落としていた。


「あははっ。聡くん顔に似合わず毒強すぎでしょ。貴之くんの態度ってワザとじゃないよね?」

「あいつは典型的なヘタレだからな」

「癖強い黒歴史持ってんのに。なんか意外」


 俺と沙霧は譲ってもらった席にカバン等を置いて席を確保。

 入り口に貼られているメニュー表に移動し、注文する料理を吟味する。


「待って! 新作のパフェあんだけど! 昼にはなかったよね!?」

「告知なしか。たまにあるよなー……あっ、あそこで食べてるのってそうじゃね?」

「あー、っぽいね。うわっ、しっかり力入ってるやつじゃん」


 コンビニに売ってあるような小さなカップではなく、店で出てくるしっかりとした容器。中身もクッキー、ムース、ブラウニー、ゼリーとかさ増ししている様子はなく、見た目も華やか。女子人気を狙ったものだろう。

 

 明らかに学食に出すレベルのものじゃない。

 値段はその分高めに設定してあるが、味の豊富さから見ても良心的だ。


 沙霧もかなり惹かれているらしい。

 目を輝かせながら食いつくようにパフェを見ている。


「食うか?」

「まさか。食べないって」


 即座に否定された。


「だよな。夕飯プラスこれってなるとカロリー過多だもんな」

「もーっ! 冬季だったら食べれたのにー! マジでタイミング悪すぎでしょ!」

 

 百分の一秒を競い合う陸上競技は、常に最高のパフォーマンスが求められる。

 言い換えれば、体のコンディションがそのまま勝敗に直結する。

 だから部内戦が近い今、尚更甘いものには敏感になる。

 体重が増えたなら減らせばいいだけだが、そんなことをしている間にライバル達はどんどん先へ行ってしまう。


 とはいえ。

 

 食べたいという欲求自体はどうしようもないのだが。

 パフェは心を律する強さも問われる食べ物のようだ。


「でも一個だけなら……摂取カロリーが消費カロリーを超えなきゃ理論上は太んないし……ゼロカロリーって思い込めばプラシーボ効果で……」

 

 かなり揺れているな。

 ボソボソと続く沙霧の呟きを耳にしながら、俺は唐揚げ定食の食券を購入する。


「先に行ってるぞー」

「え! 待ってよ! あたしまだ決めてないんだけどぉ!」


 各々料理を取り、席に戻って食事を開始する。

 しばらくすると、何人かの生徒がこちらを見ていた。


 俺をと言うよりは、注目を集めているのは沙霧だろう。

 慣れっ子だから気にしないだろうが。


「ねぇねぇ、一兎。その唐揚げ美味しそうだね」

「やんねーぞ」

「お願い! ほら、あたしのやつあーんしてあげるから」


 そう言って、沙霧は肉を一切れ箸で掴むと、俺の前に差し出した。

 

 学食はファミレス等と違って、周りを遮る衝立ついたてのようなものが存在しない。当然、周囲からの視線がすんごい。「こいつらまたやってんのか……」って幻聴がする気が……。


 入学してから似たようなやり取りをしたことがある。

 最初の頃の沙霧はあーんしたのはいいものの、俺が口をつけたスプーンが使えずにずっとモジモジしていた。

 乙女の恥じらいというやつだ。


「はい、あーん」


 今では全く動揺が見られない。

 これはこれで面白くない。


「……二切れで交換な」

「えっ!」


 咄嗟に思い浮かんだ反撃を放ち、俺は肉にかぶりついた。

 よく噛んでゴクンと飲み込み、挑発的に笑いながら次を要求する。


「もう一個」 

「あたしのあーんで一切れ分は換算されるんじゃない?」

「じゃあこの取引はなしということで」

「はい、あーん」


 悔しそうな顔をしながら肉を突き出す沙霧。


 昔からこいつは、なんでも俺より上にいたがる。

 競い合うのもテストの成績からゲームの上手さまで、割と見境がない。


 なんでそうまでするのか。

 これはおれの推測だが、理由は……きっとない。


 さっきの自主練と同じだ。

 勝ちたいから。負けたくないから。

 心の奥底にあるのは、そんな子供じみた感情なんだと思う。


 だから。

 こうして流れを持ってかれたのが気に入らないのだろう。

 俺がまた肉を口に含むと、うらめしそうな顔をしながらこちらを睨んでいる。


 その目を見て……俺の中の何かがふつふつと湧き上がってきた。

 内側から突き動かされるこの衝動に、なぜだかいつも抗えない。


「ごちそうさま」

「うぅ〜、あたしのお肉……早く唐揚げちょーだい!」


 許せ、沙霧。

 俺は悪魔に魂を売ったんだ……嗜虐心という名の悪魔にな!


「わかってるって。ほら、あーん」

「…………え?」


 俺から差し出された唐揚げを見詰め、沙霧はピタリと動きを止めた。

 目の前の出来事に、頭の処理回路がオーバーヒートしているようだ。


「普通に渡してくれれば……それでいいんだけど……」

「肉二つもらったからこれで等価交換」

「一兎の中であたしのあーんはかなり価値が低いんだね」

「そりゃマジで数え切れないぐらいされてるからな。つか沙霧のあーんの価値が低いんじゃなくて、唐揚げの価値が高いんだよ」

「フォローになってないんだけど?」

「早く食ってくれ。腕がつれぇ」


 やっぱり沙霧に余裕はないようで、俺が話を逸らしても言い返してこない。

 逡巡すること数秒。

 そして。

 

「……か、一兎は、そんなにあたしにあーんしたいんですかぁ? 仕方ないですね、付き合ってあげますよっ!」


 はい、出ました敬語。

 精一杯の強がりの後、沙霧は意を決したように唐揚げに飛びついた。

 器用に俺の箸に唇が当たらないように。

 顔だけは小悪魔らしい笑みでつくろっているが、耳や首元までじわじわと赤くなっているのが見て取れた。


「やべぇ……『距離バグコンビ』やべぇって」

「なんですそれ?」

「一年は知らねぇか。読んで字の如くだよ。あの二人、距離感がマジで狂ってんだ!」

「学食でああいうのをやるのはどうかと思いますけど、付き合ってるならまだいいんじゃないですか?」

「付き合ってないんだよ、あの二人!」

「えぇえええ——っ!?」


 そんな常識的な声が聞こえてきて、急に冷静になってしまった。


(何やってんだ俺ら……)


 自分の行動を思い返す……恥ずかしい奴じゃん俺。居た堪れない。

 

 沙霧も同じようで、何もなかったと言わんばかりに黙々とご飯を食べている。

 

 その後。

 俺達は特に会話もなく夕食を済ませ、学食を後にした。


 羞恥心に襲われはしたが、あーんしたことに後悔はない。

 なぜなら沙霧は極端に押しに弱い。

 今回ので言えば、あーんする側は呼吸をするように自然に出来るが、される側は恥ずかしいといった感じだ。


 いつも誘惑してくる沙霧が本気で恥ずかがっている様は、俺の深い部分に刺さる。

 これに懲りず、これからも続けていきたい。

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