信じられるか? あいつら付き合ってないんだぜ
第3話 侍女と姫と王子様
嘉乃がスポーツ強豪校であることに加え、指定強化部でもある陸上部は、嘉乃の中でも第三位の部員数を誇る。その数、約百名。
そのため、陸上部は短距離、長距離、投擲、跳躍とブロック分けされている。俺や沙霧も所属する短距離ブロックでは、更にショート、ロング、ハードルと各々の専門種目のパートに所属する。
基本的にはパート別に練習を行うため、それぞれのパート長が練習メニューを組む。もちろんコーチに確認をとってるらしいが。
今日はその例外。
ショート、ロングの合同メニューを終え、コーチ、監督から話を聞いた後。
汗と制汗剤が入り混じった男子部室にて。
着替えをしていると、隣の男子生徒が愚痴を
「マジさー、いちいち制服に着替えんのめんどくね?」
「気持ちはわかるけど、またジャージで寮に行ったりするなよ? 減点はマジで干されるぞ」
「しねーよっ! 一年の頃の話を持ち出すなって!」
ツッコミを入れたのは園田
「あはは、懐かしいなぁ。あの時は僕らも入学したばっかで、そこらへんのシステムまだ知らなかったもんね。仕方なかった所はあるんじゃないかな」
「だよな! オレ悪くない!」
「でも、その後にやった『コスプレして寮館潜入チャレンジ』は本当に何してるんだろうって思ったけどね。しかもしっかり発見されてさ」
「うっ……その節は誠に申し訳なく思っております……」
サラッと公開された貴之の黒歴史はともかく。
擁護しているのかしていないのかわからないのは
「でもよ、実際なんで着替えんだ? 寮も学校の敷地内じゃんな」
俺は一年だった頃を思い出す。
「カリン会長が言うには、メリハリをつけるためらしい」
「メリハリ?」
「……ああ、なるほどね」
貴之が首を傾げるのに対し、聡は一定の理解を示した。
説明を続ける。
「例えば、野球部の連中が土埃のついたユニフォームのまま寮のロビーでくつろいでたらどう思う?」
「そりゃ、着替えてこいよってなる!」
「だろっ! 要は勉強は勉強、部活は部活、寮は寮っていう風に区別しないと、そういう他人を思いやれない奴らが共有場所を我が物顔で使うんだよ」
「面倒ではあるけど、それが僕達の学校生活を守ってくれてるってわけだね」
「そういうこと。これも会長が言ってたんだけど、『ある程度ルールで縛らないと秩序は保てない。自由と快適さは必ずしも一致しない』ってさ」
「いろいろ考えてんだな〜」
なんて、バカ丸出しの感想を出す貴之。
そのまま着替えを終え、俺達と一緒に「お疲れ様でした」と部室を出たその瞬間——
「いや、ちょっと待て! 一兎お前、カリン会長と話したことあんのっ!?」
「え? おう。何回か話したことあるってだけだけど」
「なに当たり前のように言ってんだ! あのカリン会長だぞっ!? 知名度で言えば沙霧以上だぞ!」
「そりゃそうだろ。会長なんだし」
「いやそうじゃなくてよぉ! お前、沙霧と幼馴染ってだけじゃあきたらずカリン会長とまで仲良いとかマジふざけんなよ!? 毎日サービスされてるくせに浮気かゴラァッ!」
嫉妬に狂いながら一息で捲し立てる貴之に、「だから何回か話しただけだって!」と
「とりあえず学食でなんか食おうぜ。腹減り過ぎて気持ちわりぃ」
「そうだね。サッカー部と野球部に占領される前に行こう」
「話を聞けって!」
「貴之は行かねーの?」
「行くよぉ! 新作のラーメン食う!」
結局は仲良く肩を並べて歩く。
外はすっかり日も落ち、外を照らすのは設置された電灯のみ。
……程なくして。
競技場の方から歩いてきた男女二人組と鉢合わせた。
一人は黒髪短髪の男子生徒。もう一人は長い茶髪を後ろで一つに結んでいる女子生徒で、両方ともよく知る人物だ。
「お疲れ様です、
「「お疲れ様です」」
「お〜、三人ともお疲れ」
「ん……おつ」
快活そうな男子生徒は三年の満山
一方、かったるそうに答えたのは篠崎綾子さんだ。一見、面倒臭がりでありながら、ハードルのパート長を押し付けられた実力者でもある。
「今日の練習メニューは強度高かったから、しっかり飯食ってから休めよ? 特に園田!」
「おす!」
「よし。それじゃあな」
「お先に失礼します」
軽く会釈し、また学食に向かって歩き出したところで。
「そうだ……
それまで黙っていた篠崎さんに引き止められた。
(ま、まさか……)
今日、練習前にした沙霧との会話を思い出し、一気に背筋が寒くなった。
—— 一兎が嫌なことからすぐに逃げる根性なしって言ってましたって。
まさか本当に告げ口を?
となると、俺はこれから体育館裏に連れてかれて、そこにはいかにもな怖い先輩がいて、「お前、調子乗ってんな」とか言われちゃって、その日からパシリに使われるようになって、焼きそばパン買っていったら「俺はコロッケパン派だ」とか言われて、そうこうしてる間に俺の青春はどん底——
「……楸? どした?」
「なんでもありません!」
「後で合流する」と言い残して貴之と聡を見送った後。
俺はそれなりの緊張感を持って篠崎さんに駆け寄る。
「いかがされましたか?」
「口調……は、まぁ、いいか。お願いがあってさ……ウチの姫を城に帰してほしいんだよ」
「はい?」
先輩であることも忘れて、思わずそんな声を出してしまった。
だが篠崎さんは気にしていないようで
「侍女の私が言うより、王子の言葉の方が姫も聞くだろうし」
「え、なんの話ですか?」
「それじゃ、お願いね」
人の話を聞かないなこの人!
こちらの戸惑いなど歯牙にも掛けずヒラヒラと手を振りながら歩いていく篠崎さんに心の中で愚痴を吐く。
口には出さない。後が怖いから。
篠崎さんが伝えようとしたことはわかった。
スマホで時間を確認した後、そのままトークアプリを起動する。
貴之と聡との三人グループを開き、俺は一緒に夕食は摂れない旨を伝えた。
◇◆
トラックの上にいるのは一人だけだった。
短距離以外のブロックも練習を終え、既に解散したらしい。探す手間が省けた。
(本当によくやるな)
トラックにハードルを並べている沙霧を見て、そう思った。
昔からこうだった。
決して手を抜かず、貪欲に上を目指す。考え、行動し、結果を元に顧み、改善する——スポーツマンなら誰でもやっているシンプルなこと。
俺の知る限り、それを沙霧は誰よりも色濃くやってきた。
今こうしているように。
だが、沙霧もずっと走り続けられたわけじゃない。
一度だけ……立ち止まったことがあった。
嘉乃に入学した当初のことだ。
沙霧は小学校から続けていた陸上をやめ、部に入部しなかった。
悪いことじゃない。
部活を続けることが一概に正しいわけじゃないし、やめることも一つの勇気と言える。
けど、沙霧は戻ってきた。
だからこそ。
今こうして陸上に打ち込む沙霧の姿は、俺の目には鮮烈に映った。
だから応援したい。
心の底から、誰よりも近くで、誰よりも力強く。
そんなこと、もちろん本人には言えたものじゃないが。
「おーい、沙霧〜!」
「あ、一兎じゃんっ! どーしたの?」
顔をパァッと輝かせた沙霧がさながら犬のように駆け寄ってくる。
俺は左右に大きく揺れている尻尾を幻視すると
「犬かお前は」
思わずそう言っていた。
「急になに? あたし猫派だけど」
「なんの話だ?」
「え? 一兎が始めた物語じゃん」
「犬派か猫派の話なんかしてねぇって」
「じゃあ何の話?」
「篠崎さんにお前の回収を頼まれたから迎えに来たって話」
「今までの文脈でどう察しろと?」
「幼馴染なら以心伝心できて然るべきだと思うぞ俺は」
「うわっ、めんどくさい彼女かよ。今どき言わなくても伝わるとか思ってる人いないって」
そう軽口を叩き合いながら、元いた場所に戻る沙霧。
そこにはスターティングブロックとハードルが三台並んでいた。
「まだ練習すんの?」
「部内戦も近いし、できることはやっておきたいんだよねー。調整期間に入ったらあんま走れないし」
「ハードルも明日部活あんだろ? 疲れ残るぞ」
「ヨユーヨユー! あたし体力あるし、終電には帰るから一兎は先に上がってて」
「ここは全寮制の学校です」
「ナーイスツッコミ! だいじょーぶ! 一時間したら帰るから」
「
「え〜〜!」
さながらぶう垂れる子供のように、沙霧が抗議の声を上げる。
が、俺から注がれる視線を受け、やがて「……わかった」と、
篠崎さんには回収を頼まれたが、これぐらいは目を瞑ってくれるはずだ。
「で、何すんだ?」
「え……」
そう質問しただけなのに、なぜか沙霧は意外そうに目を丸くした。
変なことは聞いてないはずなんだが。
「手伝ってくれんの? マジで戻って大丈夫だよ?」
「ああ、いいよ。お前が二十分で終わるか監視しなきゃいけないし」
「なになに? なーんか妙に優しいじゃん……なんか企んで——あっ」
不意に何かに気づいらしく、怪訝そうな表情から一変、ニヤッとした笑顔を浮かべる沙霧。あ、これは……と俺は瞬時に察した。
「一緒にいたいなら素直に言えばいいじゃないですか〜。もう、ダーリンの照れ屋さん♡」
やっぱり始まった。
そしてその甘えるような声は一体どこから出てくるのか……。
「おま——」
「あ、待って。やっぱ今のなし!」
沙霧にビシッと掌を突き出されて、俺は言葉を押し留めた。
「こんなことしてたら二十分なんかあっという間に過ぎちゃう! 早く練習しよ! ハードリング確認したいから、スマホで動画
「あ、おう」
ちゃんと練習を始めてから時間を計るつもだったが……本人がやる気を出してるなら何よりだ。
「んじゃ、スマホ貸してくれ。自分ので撮った方が後で確認しやすいだろうし」
「そーだね。ちょっと待ってて」
そう言って、沙霧はカバンからスマホを取り出し……一瞬ロック画面が表示され……また元の位置に戻した。
「あーっと……ごめん! 今スマホなくてさ。一兎のスマホで撮ってくんない?」
「いやあるじゃん! なんで嘘つくの」
「女子のスマホを見るのって……なんかエッチじゃない?」
「その子の全てが丸裸に的な発想か?」
「それ! 親しき仲にも礼儀ありっていうじゃん」
「お前がそれ言うか。ってかロック解除しなくても動画撮れるから良くね?」
「良くないの! マジで! 一兎のエッチ! スケベ! 変態っ!」
どうしても譲ることが出来ないのか、沙霧が必死に食い下がってくる。
それよりも大声で誤解が生まれる発言はやめてほしい。
俺の社会的地位が損なわれかねない。
「だぁあああああーーっ、わかったから落ち着け! 俺のスマホで撮ればいいんだろ!」
「そうです! お願いします!」
投げやりなお願いを背に受けながら位置に向かう。
大体スタートラインから三十メートル地点で俺はスマホを横向きに構え、片手を挙げて沙霧に準備完了の合図を送る。
沙霧もまた、片手を挙げて返事する。
「それじゃ、行くよー」
沙霧はスタブロに足を乗せ、肩幅よりもやや広めに腕を広げて地面に指を付ける。
クラウチングスタートだ。
一呼吸の後、腰を上げて静止……スタブロを押して勢いよく駆け出す。
その直前に俺は撮影開始のボタンを押した。
そうやって、今日の自主練が開始された。
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