第177話 沈みゆくコルティナ

 ファウストの姿が北の空の彼方に消えたあと、俺たちはワイバーンに乗って瘴気がき散らされた地域を上空から確認した。


 そうして分かったことは、この町の北側は完全に瘴気の海に沈んでいるということだ。


 もちろんそこには多くの人々が取り残されているはずだが、残念ながら動いているのはモンスターだけだった。


 どうやら瘴気は植物を枯らすだけでなく、人間や動物にも致命的な毒となるらしい。


 もちろん、建物の中に生存者がいる可能性は否定できない。だが、俺たちは彼らをすべて見捨てることにした。


 というのも、彼らを救助する方法がないのだ。モンスターが動いているのならティティがモンスターを操ってなんとかすればいいと思うかもしれないが、残念ながらその方法も使えない。なぜなら瘴気に触れるとモンスターの支配が解けてしまい、暴走してしまうのだ。


 人も入れない。モンスターも入れない。


 さすがにこれでは打つ手なしだ。であれば、他の地域の人たちを助けることを優先すべきだろう。


 そんなわけで俺たちはマッツィアーノ公爵邸に戻り、エントランスホールが見下ろせる階段の上にやってきた。エントランスホールには避難していたらしい大勢の使用人や兵士たちが集まっており、ティティが姿を見せた瞬間一斉に礼をった。


 男性は胸に手を当てて頭を下げ、女性はカーテシーをしている。


 そんな彼らにティティはいつもマッツィアーノ公爵令嬢として振る舞っていたときのように無表情となり、ピシャリと宣言する。


「お前たち、お父さまは死んだわ。今からは私がマッツィアーノ公爵よ」


 そう言ってティティはシグネットリングを見せつけるように右手を掲げた。するとシグネットリングは黒い光を放ち、空中にティティの名前と共にマッツィアーノ公爵家の紋章を描き出す。


 それを見た使用人たちは一斉にひざまずいた。


「テレーゼ」

「はっ、お嬢様。いえ、公爵閣下」


 ティティがそう言うと、一人のメイドが顔を上げた。あれはたしか、俺がイヌと呼ばれていたときにもティティに付き従っていた女だ。


「命令よ。残っている住民を連れ、パルヴィアに避難させなさい」

「えっ?」


 テレーゼはティティの命令が意外だったのか、驚いた様子でティティのほうを見てくる。


「聞こえなかったの? 生き残っている住民をパルヴィアまで移動させろと言ったの。瘴気で、あの黒いガスで死にたいのかしら?」

「かしこまりました! そのように手配いたします!」


 テレーゼは恭しく頭を下げると、すぐにきびきびと指示を出し始めるのだった。


◆◇◆


 それからティティは暴れていたモンスターたちを従え、次々とマッツィアーノ公爵邸へと向かわせた。

 そしてそのモンスターたちをテレーゼをはじめとする使用人たちや兵士たちが使い、住民たちの避難の準備をテキパキと整えていく。


 こうして住民たちの避難を任せられる状況になったので、俺たちはワイバーンに乗って王太子殿下のところへと移動した。


 町の南部ではまだ戦闘が続いていたが、王太子殿下たちは押されることなく着実にモンスターを退治している。


 ティティは王太子殿下と戦っていたモンスターたちをさっと従えて下がらせ、王太子殿下たちの前に着陸した。


「王太子殿下、戦闘を停止してください」

「セレスティア嬢? これは一体?」

「モンスターたちは支配しました。これから駄獣として活用します」

「そうか。わかった。そちらはどうなった?」

「ええ。こうなりました」


 ティティはそう言ってシグネットリングからマッツィアーノ公爵家の家門と自身の名前を投影した。


「なるほど、そういうことか。パクシーニ王国王太子ルカがマッツィアーノ公爵閣下の爵位継承をお祝いする」

「ええ、ありがとうございます。ただ、一つ問題があります」


 ティティはファウストが悪魔に変身したということを省き、事情を説明した。


「なるほど、悪魔が現れたとなると一大事だな。まさか聖書に語られる伝説の存在と戦うことになろうとは……」

「はい。レイの、レクスの光でも追い払うことが精一杯でした。今の私たちにあの悪魔を打ち倒す力はありません。このまま放っておけばマッツィアーノ公爵領だけでなくパクシーニ王国が、果てはこの大陸さえも滅んでしまうかもしれません」

「……事情はわかった。それで、俺に何を望むのだ?」

「王都の大聖堂には光の力を増幅する武器が眠っていると聞いています。それをレクスに与えてください」

「……」


 王太子殿下がじっと俺の目を見てきたので、俺は小さくうなずいた。


「なるほど。公爵はレクスを信用しているのだな」

「はい。彼はずっと私の味方でいてくれましたから」


 ティティがそう言って俺のほうに視線を送ってきたので、今度は大きく頷いた。


「分かった。話は通してみるが……」

「何か問題が?」

「ああ。大聖堂が持っているのは聖女の杖と呼ばれる杖なのだ。教会が認めた聖女以外に渡すことはないように思う」

「あら、それなら王太子殿下の愛するそちらの女性でも構いませんよ」


 すると王太子殿下は顔を赤くし、ちらりとキアーラさんのほうを見遣る。キアーラさんもその視線に気付き、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「そちらの女性は騎士でしたね。それならば、聖女の称号を与えてやるだけですんなり話が進むはずです。さらに救国の聖女ともなれば反発も出にくくなるように思いますが?」

「それは……だが……」


 王太子殿下が心配そうにキアーラさんのほうを見ていると、キアーラさんは決意したかのような表情を浮かべた。


「王太子殿下! 公爵閣下! やらせてください! これ以上傷つく人を増やさないために私の力が役に立つのなら!」

「王太子殿下、そう言っていますが、いかがですか?」

「……分かった」


 王太子殿下は渋々といった様子で首を縦に振ったのだった。


================

 次回更新は通常どおり、2024/05/11 (土) 18:00 を予定しております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る