第172話 復讐の終わりと

 巨大な血だまりのなかで倒れているファウストを、俺はなんとも言えない気持ちで見下ろしていた。あの悪魔を殺したときもそうだったが、仇を討ったからといってケヴィンさんたちが帰ってくるわけではない。


 だが、それでもこの外道を討った意味はあるはずだ。


 俺はファウストを一瞥いちべつすると、ティティのほうへと向き直る。


「ティティ、終わったよ。ありがとう」

「ええ、そうね」


 ティティはそう言って複雑な笑みを浮かべた。


「ティティ?」

「なんでもないわ。レイ、私のほうこそありがとう。あなたのおかげよ。あなたがいなければ、私はこいつらを滅ぼすことはできなかったわ」


 ティティは微笑んでくれ、それから俺のほうへと近づいてきた。


 そして俺たちはそのままそっと抱擁し合う。あの頃はティティのほうが背が高かったのに、今となっては俺のほうが十センチ以上高い。


「ねえ、私じゃなきゃダメなのよね?」

「もちろん。俺にはティティしかいない」

「ならいいわね。もう逃がさないわよ」


 ティティはそう言うと俺の後頭部に両手を回し、そのままぐっと下に引っ張ってきた。そして……。


 チュ。


 ティティはそっと唇を重ねてきた。


 え? え? ちょっと待って? それは俺からしたかったのに!


 ちっぽけな男としてのプライドが傷つき、俺はティティにキスをし返そうとする。だがティティはそれを察したのか、するりと俺の腕の中から抜けていった。


「今はここまでよ。それとも見られながらキスを続けたいのかしら?」


 ティティは挑発的な表情でそう言うとちらりとテオのほうに一瞬だけ視線を送り、また俺に視線を戻してクスリと小さく笑った。


「う……」


 惚れた弱みというやつだろうか?


 ティティのそんな表情と仕草さえも可愛くて、こうして少しでも笑ってくれているだけで許せてしまう。


「お父さまとファウストお兄さまが死んだから、二人が従えていたモンスターが暴れ始めるはずよ。レイ、協力してくれるわね?」

「ああ、もちろん」

「それじゃあ――」

「おい! ちょっと待て! 俺もいるぞ! 二人でいちゃいちゃしやがって」

「ああ、そうだったわね。お前は王太子殿下のところに返してあげるわ。苦戦しているみたいだし」

「え? うわぁぁぁぁ! それはやめろぉぉぉぉぉ」


 テオはワイバーンに掴まれ、再び恐怖の飛行体験をしながら南の空へと消えていった。


 と、突然ティティが思い出したかのように小さく叫んだ。


「あ!」

「どうしたの?」

「あのね」

「うん」

「言い忘れていたんだけど……」

「……何かあるの?」

「ええ、その……」


 何やらものすごく言いづらそうにしている。


「ほら。話してみてよ。大丈夫だから。怒らないし、問題があるなら一緒になんとかしよう?」

「……ええ、そうね。分かったわ。じゃあ、王太子殿下をしばらく女性と会わせないでちょうだい。たしかレイの部下に一人、女がいたと思うけれど……」

「え? いや、それは……もう……」

「あら? もしかしてもう会っちゃってた?」

「うん」


 するとティティは困ったような表情を浮かべた。


「その女って独身? 恋人とかいないわよね?」

「独身だね。恋人もいる雰囲気はなさそうだけど……」

「ならちょうどいいわね」


 ティティはやや安堵したような表情を浮かべた。


「いや、だからどういうこと?」


 よく分からないが、ティティは何やら困ったような表情を浮かべている。


「ティティ?」

「……そうね。いずれバレることだもの。話しておくわ」


 ティティは困った表情のまま話を続ける。


「実はね。王太子殿下が拉致されてきたとき、そのまま殺されそうになっていたの」

「うん。そうだろうとは思ってたよ。王太子殿下もティティが助けてくれたって言ってたし」

「ええ。だからお父さまにお願いして、私のペットにしてもらったの」


 ペット……か。変わるわけないとは分かっていたけれど、やはり相変わらずだったんだな。


「それでね。そのときの条件が、王太子殿下を私に夢中にさせて、私以外の女性だと一切たないようにして、私に踏まれるだけで絶頂して果てるように調教するっていうものだったの」

「は?」


 一体……何を言っているんだ!?


「だから私の魔法で洗脳してそうしたんだけれど」

「せ、洗脳?」

「ええ、そう。ただ、そのまま解放したら王太子殿下が私のストーカーになっちゃうでしょう?」

「……」

「そんなのは迷惑だから、その対象を最初に会ったマッツィアーノの瞳を持たない若い女性にすり替えて解放したのよ。それでそのまましばらく女性に会わなければ大体元に戻るはずだったんだけど……」

「な、なんでそんな……?」

「え? だから言ったでしょう? ストーカーされたら迷惑だって」

「あ、いや、そうじゃなくて、そもそもなんで王太子殿下を拉致してそんな調教をしたのかっていう」

「ああ、そっち? それは単にお父さまが王太子殿下のことを鬱陶うっとうしいと思っていたからね。調教っていうのは、お父さまの性格からしてそう言えば命を助けられたからよ。そうじゃなければ……そうね。きっとロザリナお姉さまのコレクションになっていたんじゃないかしら? エントランスホールに飾るとか言っていたし、お父さまはそういうのもお好きだったから」


 ああ、そうだった。そもそもマッツィアーノはそういう連中なんだったな。


「そんなわけだから諦めてちょうだい。ちゃんと伝えなかったのは悪かったけど、もう私にも解除できないもの」


 あー、まあ、いいか。キアーラさんも手をつないでいたくらいだし、満更でもないのだろう。


 それに今のキアーラさんには光属性魔法があるのだ。少なくともあの聖女リーサと似たようなポジションにはなれるだろうし、悪いようにはされないはずだ。


「それに、考えようによってはその女にとっても悪くないんじゃないかしら?」

「それは……」


 ティティの言い分はたしかに一理ある。このままゴールインすればいずれは王妃で、それは今のこの国で女性が得られる最高の地位だ。


 問題は、キアーラさんがそれを望んでいるかはどうかなわけだが……。


「それに、もしイヤだったらあの女が踏んでやればいいのよ。そうすれば王太子殿下はなんでも言うことを聞くはずよ」

「えっ?」

「レイ、そんなことより早く行きましょう」


 何か今、とんでもないことを言っていたような?


「ほら、レイ」

「あ、ああ。そうだね」


 急かされて移動しようと思ったのだが、視界の端にクルデルタとファウストの遺体が映った。


「あ、ティティ。あいつらって……」

「ああ、アレなら大丈夫よ。あとで使用人たちに言って片づけさせておくわ」


 ティティは事もなげにそう言ってのけた。


 ……正直、思うところはたくさんある。だが俺はその全てを飲み込み、ワイバーンに乗ろうとしたしたちょうどそのときだった。


 倒れていたファウストの体が突然黒いオーラのようなものに包まれ、むくりと起き上がったではないか!


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 次回更新は通常どおり、2024/05/06 (月) 18:00 を予定しております。

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