第56話 散歩

 それから俺の待遇は一変した。しっかりとした食事が出されるようになり、清潔な着替えも毎日用意された。さらに驚いたことに、お湯まで用意されて体を洗うことができるようになったのだ。


 世話にやってくるのは兵士なのだが、そいつらは毎回毎回ティティに感謝するように言ってきて、それを聞くにつけ、ティティがマッツィアーノ公爵令嬢であるということを改めて実感させられる。


 それと、嬉しいことにティティは毎日会いに来てくれている。ただし一人で来てくれることはなく、必ずテレーゼというメイドと数人の兵士が一緒だ。


 ティティは来るたびに俺のことをイヌと呼び、ペットがつけるような皮の首輪を装着させる。そしてまるで本物の犬を散歩させるときのようにリードを首輪に繋ぎ、主人であるティティの意図を感じ取って歩けるように調教をしてくる。さすがに四つん這いで歩かされることはないが、待機するときは犬のお座りのポーズを取らなければならない。


 もちろん、勝手に口を開くことなど許されない。


 だが上手く命令に従えればティティは俺の頭を優しくでてくれ、少しでも失敗すれば容赦なく俺の頬を叩く。


 要するに飴と鞭というやつだが、これはもはや人間としての扱いではない。


 ただ、それでも好きな女の子に撫でられると嬉しいのだから、なんとも複雑な気分だ。


 それに俺はティティを信じている。ティティは本当は優しくて泣き虫で、こんなことをやりたくてやるような女の子ではない。きっと、何か事情があってそうせざるを得ないのだ。


 その事情さえわかれば、それさえなんとかしてあげられれば! もうこんなことをする必要はないんだって言ってあげられるのに……!


◆◇◆


 もうどれくらい監禁されていたのか、記憶が曖昧になってきた。


 時間の感覚もなく、たまにやってくるティティとの時間だけが唯一の楽しみになっている。


 今日も今か今かと待っていると、ドレスの上にコートを羽織ったティティがやってきた。


「外に散歩に行くわよ。テレーゼ」

「はい」


 ティティがそう宣言すると、テレーゼが持っていたボールギャグを差し出してきた。


 どうやら自分でつけろということのようだ。


 逆らってもいいことはないのは分かっている。それにたとえしゃべれないとしても、外の状況を把握させてもらえるのはありがたい。


 俺はそれを素直にそれを受け取り、人生で初めてのボールギャクを自分で身に着けた。するとすぐに首輪にリードがつけられ、その持ち手をティティが受け取った。


 続いて左手にも手枷が嵌められ、右手の手枷と繋げられて後ろ手に拘束された状態となった。これで俺はもう暴れることすらできなくなった。


 最後に右手の手枷と壁を繋いでいた鎖が外される。


 ティティが軽くリードを引っ張るような所作をしたので、俺はすぐさま立ち上がり、ティティのほうをじっと見つめた。するとすぐに外へ向かって歩きだしたので、少し後ろを追いかける。


 牢屋から出た先には長い廊下があり、その左右にはいくつもの牢屋が並んでいる。どうやら俺が監禁されていたのはそのちょうど中ほどの牢屋だったようだ。


 そのまま廊下を抜けて階段を上って扉を抜けると、見たこともないほど豪華な内装の廊下に出た。


 これが、王国を裏から操っているというマッツィアーノ公爵家の屋敷か。


 ティティの後ろを歩きながら、俺はいずれ訪れるであろう脱出に備えて屋敷の構造をしっかりと頭に叩き込んでいく。


 それから俺たちは建物を出た。といっても玄関から出たわけではないので、ここはきっと屋敷の庭園なのだろう。


 ……一体どれだけ広いのだろうか? 庭園の反対側が見えない。


 しかも金持ちなだけあって、これだけ広いというのに庭園は良く手入れされている。


 道にはゴミの一つも落ちておらず、庭木はしっかり剪定せんていもされている。植えられた木々も見事に色づいており、紅葉はまさに今が見ごろといったところだ。マッツィアーノ公爵家が北にあるということを考えると、今はおそらく十月、遅くとも十一月の上旬といったところだろうか?


 そんな庭園を歩き、俺たちはその一角にあるガゼボにやってきた。ガゼボには大きな丸テーブルがしつらえられており、パーティーでもするのか立派な身なりをした男女がテーブルを囲んで座っている。


 するとその中の一人、茶髪で緑の瞳の女が立ち上がり、こちらへとやってきた。


 年齢は……五十歳前後だろうか?


 見るからに高価そうなドレスと大量の宝石をこれでもかと身に着けているので、きっとかなり身分の高い人間なのだろう。


「まあ、セレスティアちゃん! よく来てくれたわ」

「ヴァレンティーナおばさま、お招きいただきありがとうございます」


 二人は親し気に挨拶を交わしている。赤い縦長の瞳でないこととティティの口ぶりから判断するに、きっと彼女はティティの父方の親族の妻、といったところだろうか?


「ねえ、それがセレスティアちゃんのペットかしら?」

「はい。イヌという名前です。イヌ、お座り」


 人前でイヌなどと呼ばれることは恥ずかしいが、とりあえずは従っておく。


「まあ! きちんと躾ができているのねぇ。さすがセレスティアちゃんだわ!」


 そう言ってヴァレンティーナとかいうこの女は俺のことをジロジロと見てきた。


 なんとなく予想はしていたが、やはりこの女にとっても人間をイヌなどと呼んでペット扱いすることは当然のことらしい。


 ティティはそのことを気に留めた様子もなく、俺のリードをガゼボの柱に括りつけた。そしてそっと耳打ちをしてくる。


「声を一切出さないこと。さもないと命の保証はないわ」


 え? それは一体?


 思わず聞き返しそうとしたが、ティティは俺に目もくれず、ヴァレンティーナの隣の席に着いてしまった。


 さっぱり状況が理解できない。だがティティの警告もあるし、そもそも両手が使えない状況で騒ぎを起こしてもいい結果に繋がるはずはない。


 であれば、冷静になって情報収集に努めるべきだ。


 そう考え、ガゼボの様子をそっとうかがうのだった。


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 次回更新は通常どおり、2024/01/11 (木) 18:00 を予定しております。

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