第55話 獄中生活

 翌日、俺はなぜか心地よい気分で目覚めを迎えた。孤児院にいたときよりも硬いベッドの上で、右手を鎖に繋がれたままだというのにどうしてそんな気分なのだろうか?


 ああ、もしかするとティティが無事でいてくれたからかもしれない。


 そうだ。そうに決まっている。


 取り留めもなくそんなことを考えていると、突然鉄格子が開かれた。


 ティティ?


 期待に胸を膨らませてそちらを見るが、入ってきたのは兵士の男だった。そいつは面倒くさそうに俺のほうへと近付いてきて、硬そうな黒パンが一つだけ載せられたお皿を床に置いた。


「おい、エサだ」


 そう言うと兵士の男は俺の体調を気にかけるでもなく、そそくさと牢屋から出ていく。


 ……エサ、か。


 頭で理解していたつもりではあるが、やはりこいつらは本当に俺を人間として扱っていないということが実感できる。


 腹立たしいが、食べなければ体が持たない。俺は余計なプライドを捨て、黒パンに手を伸ばすのだった。


◆◇◆


 それからは何もすることもなく、薄暗い地下牢でボーっと過ごしていた。どれくらいの時間が経ったのかもよく分からないが、腹時計からするともうお昼どきだろうか?


 食事くらいはきちんと出してほしいものだが……。


 そんなことを考えていると鉄格子が開く音が聞こえた。ぼんやりとそちらに視線を向けると、ランプを持ったティティが入ってくる。


 ……あまりにも綺麗すぎる。


 それが最初の感想だ。


 顔立ちの特徴もそうだし、金の長い髪と赤い縦長の特徴的な瞳からも彼女がティティだということはわかる。それに孤児院にいたときだって可愛かったのだから、貴族の家でしっかり着飾ればこうなるのは当然だと理解はできる。


 だが、そうと分かっていてもドキドキしてしまい、ティティから目を離すことができない。


 しかしそんな俺とは対照的に、ティティは無表情でなんの感情も感じられない視線を向けてきている。


「あら? 目、見えるようになったの? お父さまの仰るとおり、本当に頑丈なのね」


 そう言って俺の前までやってくると、俺の頬を両手で挟んで無理やり顔をティティのほうに向けさせた。


 ティティの整いすぎた顔が目の前にあり、赤く神秘的な瞳がじっと俺の目を見つめてくる。


 う……これは……。


 きっと俺の顔は真っ赤になっていることだろう。心臓の音もうるさく、頭は真っ白になってしまってどうしたらいいか分からない。


「ちゃんと私の顔が見えているみたいね」


 ティティはそう言うと両手をパッと離し、するりと立ち上がる。


 あ……。


 さっきまでティティの瞳に見つめられるのが恥ずかしかったのに、今ではティティが離れてしまったことを残念に思ってしまっている。


 俺は、一体どうなってしまったんだ?


 ティティは助けなきゃいけない大切な幼馴染なのに!


「ねえ、エサはどうしているの?」

「はっ! 朝に与えております!」


 ティティの会話で、俺はようやくティティの他に同行者がいることに気が付いた。


 俺に黒パンを運んできた男ともう一人の兵士の男、そしてメイド服を着た女だ。


「何を与えたの?」

「はっ! 黒パンであります!」

「他には?」

「何も与えておりません!」


 黒パンを運んできた男は自信満々な様子で答え、それを聞いたティティは大げさにため息をついた。


「どうして?」

「は?」


 ティティの質問の意味が分からないようで、男は間抜けな表情で聞き返した。するとティティは再び大きなため息をつき、隣にいるメイド服の女に視線を送る。


「テレーゼ」

「はい」


 メイドの女はティティの言葉にうなずく。


 と、次の瞬間、気付けばその女の拳が男の腹にめり込んできた。


 嘘だろ!? いつの間にやったんだ?


「がっ……は……」


 男は力なく崩れ落ち、そのまま動かなくなった。


 ティティはその様子を眉一つ動かさず、冷たい表情でと崩れ落ちた兵士の男を一瞥いちべつした。そしてもう一人の兵士のほうへと向き直る。


 するとふわりと金色の髪が流れ、昔は肩までだったティティの髪が腰まで伸ばされていることにようやく気付いた。


「私はお父さまからいただいたこのペットを治療しろと命じたはずよ。十分なエサを与えないで毛並みが悪くなったらどう責任を取るつもりかしら?」

「そ、それは……」

「やせ細ったペットなんて、見栄えが悪いでしょう? 恥ずかしくて散歩にも連れていけないわ」


 ティティの言葉に兵士の男は顔面蒼白となっているが、俺もティティの言っていることが俺の知っているティティとあまりにも違いすぎてどう反応したらいいのかわからない。


「ああ、そうだわ。お前たちが仕事をしないから、お父さまからいただいたペットが病気になったとお伝えして、新しいペットをおねだりするのもいいわね」


 ティティは聞いたこともないような冷たい声で……こちらからはティティの表情を確認することはできないが、一体どんな表情でそんな恐ろしいことを言っているのだろうか?


「も、申し訳ございません! アンナお嬢様のご命令で……」

「ふうん? つまり、お前は私よりも継承権もない女の命令を優先した、ということかしら?」


 次の瞬間、兵士の男は土下座して謝り始めた。


「申し訳ございません! どうか! どうかお許しを!」


 しかしティティはそんな男の頭を踏みつけた。ティティは高くはないもののピンヒールを履いており、あろうことかそのヒールの部分で踏みつけているのだからかなり痛そうだ。


 だが俺は彼に対する同情よりも、優しかったティティが平然とこんなことをしていることに衝撃を受けている。


 それから少しするとティティは踏みつけるのをやめた。


「次はないわよ?」

「はい! セレスティアお嬢様! ありがとうございます! ありがとうございます!」


 ひどい目に遭ったというのに、男は土下座したまま何度も何度も感謝の言葉を口にする。


 だがティティはそれを無視し、俺のほうへと向き直った。ティティの顔にはなんの感情も浮かんでいない。


「そうそう。お父さまにおすすめいただいたから、お前の名前を決めたわ」


 ん? 名前? なんのことだ?


 ティティは困惑する俺の頬を両手で挟み、無理やり顔をティティのほうへと向けさせた。ティティの神秘的な瞳に思わず吸い込まれているかのような錯覚におちいる。


「お前の名前はイヌよ。いい子にしていたらでてあげるし、散歩にも連れて行ってあげるわ。分かったわね?」


 イヌ? え? ティティは……一体何を?


 理解できずに困惑していると、俺の頬から暖かい感触が消えた。と、次の瞬間――


 パチン!


 左の頬からジンジンとした痛みが伝わってきて、ティティの頬を叩かれたことを認識する。


「え? え?」


 パチン!


 今度は右の頬を叩かれた。


「イヌ! 返事は!」

「は、はい!」


 俺は思わずそう答え、何度も頷いた。するとティティは優しく俺の頭を撫で、そして叩いた両方の頬に優しく手を当ててくる。


「いい子ね。これからもいい子にしてなさい?」


 優しい声でそう言うと、ティティの両手がするりと離れていく。


「イヌ、また来るわ。それまでいい子にしていなさい」


 ティティはそう言って立ち上がった。するとメイドの女がティティを先導するように前を歩き、出口へと向かっていく。


 俺はそれをただただ呆然ぼうぜんと見送るのだった。


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 次回更新は通常どおり、2024/01/10 (水) 18:00 を予定しております。

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