第十九話 真野雪人との再会と別れ(二)

「これって元はと言えばあなたがミスしたせいですよね」

「む!?」

「あなたがミスしなければ店長も雪人さんも本来あるべき人生を送れたんだ。今やってるのはあなたのミスの帳尻合わせじゃないですか。ならもう少し協力して下さいよ!」

「むむむむむぅ!」

「あははは。まったくもってその通り」

「んん!? なっちゃんは誰の味方なんだい!?」

「秋葉君」

「ぬぁに~!? アキちゃんだって今さっき僕に助けてもらったくせにぃ!」

「それはあなたの仕事でしょう。助けて下さいと言ったわけではありません」

「むむむむむぅ! むむむむむぅ!」

「あはははは」

「じゃあどうしろってーんだよ! だってできることなんて無いんだ!」

「いいえ、あります」

「なんだよ!!」

 秋葉は夏生を見た。

 この男は四十五歳だという。それはおかしな話だが、目の前のこの人間は秋葉達の側に存在した人間の身体だ。

 ならば彼も『普通』ではないのだ。

「ありますよね。生者が金魚屋で生きる方法が」

「いいね、秋葉君。俺気に入った」

「僕は嫌いだあ!」

 八重子はふんぬぅと地団駄を踏んだ。

 秋葉は声を上げて笑い、けれどずっと雪人にお湯を掛けてやっている。

「秋葉君の言うとおり、俺は金魚屋で生活してる。だから周囲からどうこう言われることも無い。雪人君も金魚屋で生活すればいいよ」

「それはどうしたらいいんですか。ただここにいればいいんですか?」

「そうだよ。別に何の修行も必要無い。手続きは必要だけどね」

「こらぁ! 何勝手なことを決めてるんだぁ!」

「自業自得でしょう。それに叶冬君みたいに中途半端に覚えてたらまた面倒なことになりますよ」

「ぐんぬぬぬぬ」

 八重子は頬をぶくっと膨らませ、ぷんっとそっぽを向いた。

「なっちゃんが面倒を見るように!」

「最初から八重子さんには期待してないですよ」

 くすくすと夏生は笑い、ただひたすら雪人に湯を掛け続けている。

 もう湯に戻して、と叶冬に雪人を降ろすように言うと、叶冬は手放すのを名残惜しそうにゆっくりと降ろした。

 ゆらゆらと雪人の髪が金魚の尾のように揺れている。

「大丈夫。雪人君が目を覚ましたあとは責任持つよ」

「……信じていいんだな」

「信じなくてもかなちゃんは忘れるよ~っだ!」

「八重子さん黙って」

 そうだ。この後どうなるかは秋葉と叶冬には確かめようもない。

 もし雪人が金魚屋になってしまったら、叶冬の記憶からも消えてしまう。

 ここで全てが終わってしまうのだ。

「……ゆき」

 叶冬はぎゅっと強く抱きしめた。それでも雪人は目を覚ますことは無く、ただくたりと揺蕩っている。

 ぺたりぺたりと八重子が近付いてきた。いつの間にかその手には金魚鉢を持っている。

 これで弔われるのだ。

「この弔いと同時にきみらは現実へ戻る。次目を覚ました時は何も覚えていないだろう」

 そんなことを言われても、秋葉は実感がわかなかった。こんな強烈な出来事を忘れるのか。こんな鮮明に映っているこの景色を。

 八重子は表情を消していた。さっきまでの暴れぶりが嘘のように穏やかだった。

 夏生は少しだけ辛そうな顔をして、にこりと秋葉に微笑みかけた。

「せっかく会えたのに残念です」

「会えるよ。会いたいならきっと」

「あ、そっか。宮村さんはこっちに来ることもあるんですよね」

「うん。見かけたら声かけるよ」

「……はい」

 きっとこれも忘れてしまうのだろう。もし街中で声を掛けられても秋葉にはもう分からない。

 夏生はにこりと微笑むと、八重子の持つ金魚鉢にカードを差し込んだ。

 またこれだ。金魚屋の日常は至って無機質に始まり無機質に終わる。

「さあ、金魚の弔いだ」


 ――これでもう。


「かなちゃん! アキちゃん!」

 女の声に意識を揺さぶられ目を開けた。

 目の前にいたのは紫音だった。ぼろぼろと涙を流して叶冬にしがみ付いている。叶冬はどこかぼんやりとしていた。

「どうしたの二人とも! こんなところで揃って倒れてるなんて!」

「倒れて……?」

 言われてみると頭が痛いような気がした。叶冬もいてて、と頭を抱えている。

 どうやらここは黒猫喫茶のようだ。見慣れた店内はいつもとなんら変わりがない。

「アキちゃん大丈夫かい? 具合は?」

「大丈夫です。ここ黒猫喫茶ですよね」

「ああ。どうやら戻ってきたんだな」

「はい。不思議ですね。金魚屋って魔法みたいなことばっかりだ」

「空飛ぶ金魚自体が魔法じみて――……ん?」

「え?」

 秋葉と叶冬は顔を見合わせ、自分で言った言葉を反芻した。

「金魚屋?」

「アキちゃん、金魚屋を覚えてるのかい?」

「はい。あれ? 金魚屋のことは忘れるんじゃなかったんですか?」

「そう言っていたね……」

「でも、行きましたよね。金魚屋……」

「帰って来たからには行ったね……」

「あの女の人のこと覚えてます?」

「八重子だろう? 少年の方は?」

「宮村夏生さん」

「だよねえ……」

 弔いを終えたら全てを忘れると、確かに八重子も夏生もそう言っていた。

 だからその覚悟をしたのに、秋葉の記憶にはしっかりとあの奇天烈な八重子と童顔の夏生が刻まれている。

 けれどここはどう見ても黒猫喫茶だ。目の前の紫音こそここが現実の黒猫喫茶である証拠でもある。

「紫音。僕はちょっと出かけてくるよ」

「え!? 駄目よ! 倒れたんでしょう!?」

「大丈夫だよ。アキちゃんはどうする?」

「行きます」

「アキちゃんまで!?」

「大丈夫だよ。直ぐに帰って来るから」

 紫音はしきりに駄目だと叫んでいたが、叶冬と秋葉はそれを振り切って飛び出した。

 けれどあそこへは新幹線を乗り継いでいかなくてはいけない。移動時間が歯がゆくて、目的地へ到着したころにはすっかり暗くなっていた。

「Cafe Chat Noir……」

「金魚屋じゃないですね」

「なにか特殊な条件を満たさないと現れないのか」

「でも宮村さんは普通に歩いてましたよ」

「やはり招かれないと入れないのか」

 やはり生者はそうそう関わることを許されないのだろう。

 しかしこのまま仕方ないですねと引き下がることもできない。けれどどうしたらよいかも分からずにいると、ふいに秋葉の電話が鳴った。

「何だよこんな時に――あれ?」

「どうしたんだい?」

「俺のスマホからです。二台持ちなんですけど、どっかに一台落としてたのかな」

「拾い主からかな。出た方が良いよ」

「はい。ちょっと失礼します」

 手元にあるのは自分で購入したスマートフォンで、落としたのは母が用意した当初の物だ。母と歩み寄ろうと思い始め、再び電源を入れ使えるようにしておいたのだ。

 そんなものをまさかいきなり落としてるなんて呆れてしまう。

 秋葉は自分に溜め息を吐きながら受話ボタンをタップした。

「もしもし」

『……』

「もしもし?」

 もしもし、と何度も声を掛けるが相手は何も言ってこない。

「出ないのかい?」

「無言電話かな」

「拾っておいてかい? んや? 何か音がするよ」

「本当ですか?」

 聴こえないな、と秋葉はスピーカーに切り替えた。すると確かにどたばたと何かが暴れ回っているような、騒いでいるような声が聴こえてくる。

 通話主は相変わらず何も喋らないが、次第に背後の叫び声が大きくなり――

『こらぁ! なっちゃんそれを返せぇ!』

 それはとても聞き覚えがあり、叫ばれたあだ名にも覚えがあった。

「「金魚屋の八重子!?」」

 そう叫んだ途端、ゆらりと空間が揺れた。

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