第十九話 真野雪人との再会と別れ(一)
喫茶店から葬儀場へ向かう扉とは別にもう一つ扉があり、そこは『立入禁止』の札がかかっている。こういうちょっとしたものは普通の喫茶店のようで違和感がすごい。
そのまま中へ入ると、そこは何故か風呂場だった。いつだったか叶冬と行った温泉よりもうんと広くて、大浴場と言って良いほどの広さがある。檜の良い香りがしていてとても気持ちがよさそうだ。
しかし誰も入っていないし、今は風呂に用はない。なんのつもりだと八重子をぎろりと睨んだ。
「ふざけてるんですか?」
「言いたいことは分かるよ。これでもこの人は真面目なんだ」
「おいこらなっちゃん。減給するよ」
「普段はふざけて見えるけどちゃんとこれには意味があるんだよ」
夏生は靴と靴下を脱いで水で濡れた石床を歩き、その先にあるガラス戸を開けた。
外からは夏場とは思えない涼しい空気が流れ込んできた。
「叶冬君、おいで」
ひたりと叶冬が一歩前に出た。叶冬の背中越しで遠目に見えたのは同じく風呂だった。
けれど造りは少し変わっていた。床を掘って作られた風呂なのだが、底が斜めになっている。一体何だここはと前に出ようとしたが、途端に叶冬は走り出した。
「店長!?」
叶冬は八重子と夏生を押しのけて叶冬は風呂に飛び込んだ。
そして、そこにいた誰かを抱き上げた。それは――
「ゆき!」
叶冬の腕の中にはくたりと力なく横たわる少年の姿があった。色は白く、身体はすっかりやつれ切っている。
「あれが雪人さん?」
「そう。叶冬君の幼馴染」
「でもどうみても十八歳かそこらなんですけど」
「金魚屋は時の進みが緩やかだからね」
「じゃああの年の頃にここに来たんですか?」
「そうだよ。突然ふらっとね」
「ふらっと? 普通は入れないんですよね」
「雪人君は普通じゃないんだ」
夏生は滑らないよう八重子の手を引いて雪人の名を叫ぶ叶冬の傍へと向かった。
お姫様のような扱いは妙に様になり、なんだか釈然としない。
「かなちゃん落ち着きたまえよ」
「ゆきをどうしたんだ! 何をした!」
「なあんで僕に噛みつくんだい。助けてあげてるんだよ、僕は」
「どういうことだ。ゆきはどうなってるんだ」
「説明するから湯から出すんじゃないよ。出たら死ぬかもしれないよ」
「な、んだと」
叶冬はぎゅっと雪人を抱きしめた。放そうとも湯に浸けようともせず、仕方なく夏生は桶で湯を掛け始めた。
「これは金魚湯。魂を癒す金魚の湯だよ」
「金魚湯って……」
それは叶冬がくれた土産物のペットボトルの名称だ。
てっきり叶冬がふざけて命名したのかと思っていたが、あれも記憶にあったのだろうか。
「まずゆきちゃんは魂が弱っている。その理由は分かっているだろう?」
ぐっと叶冬は唇を強く噛んだ。それはきっと、叶冬が金魚になっていた時に雪人の魂を食ったせいなのだろう。
けれど誰一人そうとは言わず、八重子は話を続けた。
「けど金魚屋は魂を癒すなんて仕事はしない。けどゆきちゃんは特殊でね、実はもう死んでるはずなんだよ」
「何だと!?」
「二十年近く前から金魚帖に名前があるんだよ。かなちゃんを弔った一年くらいあとかな」
叶冬の事故の一年後というと、雪人が失踪したとされたころだ。
失踪先が金魚屋ならば見つからなくて当然だ。
「何で直接来たのか分かんなかったけど、名前があるなら弔うしかない。だから弔ったんだけど、不思議なことに今もゆきちゃんの名前はここにあるんだ」
「弔えてないってことですか?」
「そう。こんなのは僕も初めてでね。一体全体この子はなんぞやって調べたら、なんとまあかなちゃんの幼馴染のあの子だってのが分かってね。そういやそうそうこんな顔だったと僕もようやく思い出したんだよ」
「弔えなかったのは何でですか?」
「同化さ。ゆきちゃんの魂の一部はかなちゃんが食った。つまりこの肉体を弔っても全ての魂は弔えないんだ」
「食う、って……無くなるものではないんですか……?」
「さあね。そんなことは金魚に聞いておくれ。僕に分かるのは、弔っても弔い切れてないゆきちゃんの魂がかなちゃんの中にあるってことだけだ」
「つまり叶冬君と雪人君は二人で一つの魂を共有してるんだよ。二人とも死亡しない限り金魚帖の名前は消えないんだ」
「けど金魚帖って生者に害を成す金魚が出てくるんですよね? 雪人さんが何をしたっていうんですか」
「具体的な判定基準は俺たちにも分からないよ。でも同化したってことは生者の魂を食ったとも言い換えられる。食ったのは叶冬君だけど、現状としては叶冬君の魂を荒らしてるともいえるんだ」
秋葉はにわかに怒りを覚えた。
八重子も夏生も、何か話が複雑になると『分からない』と言い出す。本当に分からないのかしらばっくれてるのかは分からないが、とても真剣に向き合ってくれているようには見えなかった。
どれも説明は作業じみていて、やることさえやれば実態なんかどうでもいいと思っているようにさえ見える。
「と、いうわけで。選択肢は二つだ。イチかバチか弔うか、弔わず死ぬのを待つか」
「何ですかそれ。助ける方法は無いんですか」
「何度も言うけど金魚屋は弔うしかできない。でも弔えば魂はあるべき場所に戻る。かなちゃんの中にあるゆきちゃんの魂はゆきちゃんの肉体に戻り目を覚ます――かもしれない」
「俺と同じ様にか」
「そそ」
叶冬は瀕死の状態で金魚になり、弔われたことで生還した。ならばそれと同じにすれば良いということなのだろう。
だが問題はある。叶冬は生還したが記憶を失っている。きっと目が覚めたとしても叶冬のことは覚えていないのだろう。
けれどそうしなければずっとこのままだ。
「弔えばゆきは生き返るんだな」
「だといいな、ってとこだね。でもやらなきゃ一生このままだよ。金魚屋は時が緩やかだから仮死状態を保ってるけど、それでもそのうち死ぬ」
ならばやることは一つだ。殺すために探していたわけでは無いのだから。
けれどはたと秋葉はひっかかったことがあった。
「雪人さんはその肉体で起きるんですよね。それじゃあご家族だって驚きませんか」
「驚くね。しかもゆきちゃんは記憶喪失状態だろうから本人にもどうしようもないよ」
「……金魚屋を出たら店長も忘れちゃいますよね」
「アキちゃんも忘れるよ。全員忘れる」
それでは生き返らせても相当な苦労を強いられることになるだろう。
そこにきて叶冬も秋葉も覚えていないのでは、この後人知れず苦しみ続けてしまうことがあるかもしれない。
それだというのに、八重子はほらほらどうするんだい、と面倒くさそうに回答を急かしている。まるで自分には関係無いとでも言っているかのようだ。
秋葉はイラつきを抑えきれず、八重子に食って掛かった。
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