第十六話 金魚屋の八重子(一)
店内はごく普通の喫茶店のようだった。レトロなデザインで、アンティーク調の家具で統一されている。
こうして見ると怪しい店だとはとても思えない。
「さあさあ、掛けたまえ。コーヒーを淹れてあ」
「俺が淹れます」
「むう。どうして僕にやらせてくれないんだい」
「粉残ってる状態で出すからですよ」
はーやれやれ、と夏生は馬鹿にしたように肩をすくめいてる。
そのままキッチンへ入ると、インスタントコーヒーを淹れ始めた。コーヒーサイフォンを使っていて、まるで本格的な喫茶店のようだ。
「普段は喫茶店をやってるんですか?」
「は~あ!? 金魚屋だっつってんだあよ」
「え、あ、は、はい……」
叶冬に慣れているから八重子のこの喋り方にも抵抗はないが、叶冬よりも品が無いように感じた。
八重子はばたばたと足を振り回してはコーヒーを淹れたいと駄々をこねている。どうやら上品な見た目に反してがさつなようだ。見惚れるほどの美貌が惜しい。
しかしこのテンションは叶冬と共にいる日常を感じさせ、今一つ緊張感が無い。けれど叶冬は眉を吊り上げ八重子を睨んでいる。
それに気付いたのか、夏生がキッチンから声を上げた。
「八重子さん。話進めて下さいよ」
「君が進めたまえよ。アキちゃん呼んだのは君だろうが」
「叶冬君の方ですよ。今にも噛みつきそうじゃないですか」
「かなちゃんはややこしいから後にする。さっさとアキちゃんを済ませたまえ」
「あの、俺が何か?」
「僕に聞くんじゃない。君を連れてきたのはなっちゃんだ。本当なら僕が面倒を見てやる義理はないんだ! まったく勝手なアルバイトだよ!」
「はあ……」
夏生はキッチンで笑っていて、仕方ないな、とインスタントコーヒーとポットを八重子に与えた。すると八重子はおお、と目を輝かせてコーヒーの粉をマグカップにざばざばと入れてお湯を注いだ。そのまま掻き回すこともせずぐびぐびと飲み始めた。
「この人いつもこうなんだ。粉を飲みたいらしい」
「それは粉を食べた方が早いんじゃ」
「馬ァ鹿! この微妙に溶けているところを溶けないように飲むのが勝負じゃあないか!」
「「何の?」」
「ぐあっ! ステレオで突っ込むんじゃない!」
秋葉は思わず突っ込んだが夏生と声がかぶってしまい、顔を見合わせ笑った。
こうしているとまるで普通の人達で、金魚だなんて非常識な存在も忘れてしまいそうなほどだ。
けれど夏生は、さて、と仕切り直してすっと真面目な顔になった。
「秋葉君は金魚が見えるよね」
「はい」
「見えなくしてあげる。そのために呼んだんだ」
「わざわざうちがやってあげることなんてないのにね」
「八重子さんは黙ってて下さい」
うちが、とはどういう意味だろうか。それでは本来やるべき者がいるように聞こえる。
それを問うてもいいだろうかと口を開こうとしたが、それを止めるように夏生がコンッと机をたたいてこちらを見るようにと促してきた。
「金魚っていうのは死者の魂なんだ。未練を持って死んだ人間は金魚へと姿を変える」
「あー……」
「あれ。驚かないの?」
「そうだろうって店長が予想してたんで」
「そうそうそうだね。かなちゃんならそうだろうとも」
「どういう意味だ」
「八重子さん黙って」
自分と同じようなことを言う夏生には親近感を感じてしまう。
ただ八重子は別だ。秋葉はあまり良い印象は持てなかった。叶冬は着物と口調が風変りなだけでその実は誠実で真面目な人間だった。けれど八重子はどうも馬鹿にしているような答える気が無いのに口を挟みたいだけのように見える。
それが叶冬の怒りを逆撫でしているようでもあり、黙っててほしい、と夏生と同じことを心底思った。
「さっさと進めろ。金魚を見えなくすることができるんだな」
「できるよ。ていうか、そうしないと秋葉君そのうち死ぬし」
「は?」
「金魚は魂。本来見えないものだ。でも見える。どうしてだと思う?」
「金魚が憑いてるから?」
「あれ? なんだ、正解。つまらないな」
「そりゃあまあそうだよ。かなちゃんがいるんだもんよ。予想くらいついて当然さ。つかない方がおかしい。そうだろう、かなちゃん」
「どういう意味だ」
「そういう意味さ」
「ちょっと。八重子さんは黙ってて下さいってば」
「はいは~い」
八重子は再びインスタントコーヒーの粉をマグカップに突っ込んで、ほんの少しお湯を注いだらまたそれを呑み込んだ。
「ごめんね。金魚に憑かれると魂が同化して金魚と同じものになってしまうんだけど、憑いた金魚は宿主の魂を餌にする。分かりやすく言うと気力が削られる。そして肉体を動かす気力も奪われ死に至る。前触れ無く倒れたことない? 金魚になる夢を見たり。それは憑いてる金魚のせいなんだ」
秋葉は、ある、と心の中で頷いた。
このところ倒れることが増えていた。叶冬はおそらく金魚のせいだろうと結論付けていたが、まさしくその通りというわけだ。
では秋葉に憑いている金魚というのはやはり――
「秋葉君に憑いてる金魚は水瀬渚沙。女の子だね」
「……え? 誰?」
「秋葉君と同じ日に同じ病院で生まれて、その時すぐに亡くなった子だね」
「あの、誰ですかそれ。全然知らないんですけど」
「うん。関係無いと思うよ、特に。ただ、すぐ傍で生まれた秋葉君が羨ましくて憑りついたみたいだ」
「なんっだぁ、そりゃ」
声に出して驚いたのは叶冬だった。おそらく石動春陽の名が出てくると思っていたのだろう。それは秋葉も同じで、無関係の名前が出てくるとは思ってもいなかった。
「間違いないのか? 生まれてすぐにそんな」
「よくあるよ。金魚で一番多いのは赤ん坊なんだ。大人のように諦めるということを知らないからね」
「じゃあ俺と同じ様な人がたくさんいるんですか?」
「いない。生まれたてで金魚に憑かれて魂を食われたら生きられても三年くらいだからね。成人するなんてありえない」
「なら俺は何か特殊な人間なんですか?」
「いいや、普通の人間だよ。これがイレギュラーになった理由なんだけど、君には君そっくりの魂がもう一つあるんだ。その魂が秋葉君の代わりに食われてくれている」
「それ……まさか……」
――ああ、それはきっと。
「石動春陽。彼は死後君に憑き魂の補填をしている。双子はごく稀に魂が同一視されることがあるんだけど、そのケースだ」
「……弟が食っていたんじゃないのか」
「違うよ。守ってくれているんだ。今もずっと」
じわりと秋葉の目に涙が浮かんだ。
会ったこともない見たこともない弟がここにいるのだ。
「だが何故そんなことが分かる。見てきたみたいじゃないか」
「金魚帖には回収すべき金魚が出てくるんだ。ここに詳細が書いてある」
「出てくる?」
「うん。回収するのは生者に害を成す金魚だけ。最近になって水瀬渚沙が秋葉君自身の魂を食べ始めたから急ぎ回収せよってね」
「なら何でもっと早く助けにこなかった! 秋葉がどれだけ苦しんだと思ってる!」
「知らなかったからだよ。金魚帖に出てくるのは生者に害を成してからなんだ。今までは春陽君が身代わりになってくれていたから秋葉君――生者には害を成していなかった」
「じゃあ春陽は消えかけてるって、こと、ですか……」
「うん。本来ならとっくに昇天してて良いんだけどね」
「昇天?」
「魂が消えるって現象には二つのパターンがあるんだ。一つは自力で昇天する方法。これが一般的だね。でも現世に強く未練を持つと金魚となり現世に留まり昇天できなくなる」
「金魚ってぇのは未練を持った人間の魂なのさ。もれなくね」
「全ての死者が金魚になるわけではないんですね」
「そうさ。そんなんだったらこの世は金魚一色さァ」
あはははと八重子は豪快に笑い、夏生は黙って、と八重子を叱りつけた。まるで今説明していることは何の不思議もない日常的な出来事であるかのように。
秋葉はそれで納得がいった。金魚が死者の魂ならばもっと存在していいはずだが、叶冬は金魚になるのはごく一部だと推理した。それはその通りだったということだ。
そしてもう一つ、叶冬は言っていた。金魚を間引く誰かがいるのではと。
「金魚を昇天させるのが金魚屋の仕事、ですか」
「ほうほう。アキちゃんは賢い子だ。だが五十点だあね。金魚屋がやるのは魂を送り出すことだけなのさ。送り出したその後どうなるかは知らない。ただ自動的に送り出すだけ」
「それは昇天とは違うんですか?」
「送り出すことを昇天と定義付けたいのならそれでいいよ。ただ、もし送り出した後に完全消滅していたらそれは果たして『無事に』昇天といえるのだろうか。いいや、僕はそうは思わない。輪廻転生し生まれ変わって初めて『無事』昇天したと言えるんじゃないかな。けれど僕らにはそれを確かめるすべがない。人は前世を覚えていないのだからね。結局のところ送り出したことが正義なのか悪なのか分かりゃしないんだ。だから僕ら金魚屋は自分の仕事を『昇天させてあげる』なんて偽善ぶったいい方はしないのさ」
八重子は急にペラペラと語り出した。あまりにも早口で、言っている意味を考える隙は無かった。
秋葉はええと、と考えようとしたが、それよりも早くに叶冬が低い声で呟いた。
「……金魚の弔いか」
「ふふ。よく覚えてるじゃないか、かなちゃんは」
にたりと八重子は怪しく微笑むと、ぬうっと秋葉に手を伸ばした。
「葬儀の時間だ」
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