第十五話 宮村夏生との遭遇(一)

 秋葉と叶冬がやって来たのは富が沼だ。当然目的は金魚の塊がどうなったのかを見る事だが――


「何で着物羽織ったんです?」

「金魚屋のお仕事をするからさ。正装正装」

「ああ……」


 そういえばそんな設定だったな、とため息を吐いた。

 正直を言えば恥ずかしいが、それを言ったら余計に騒ぎだすだろう。これはもうそういうものとして受け流すのが最良だ。

 諦めて金魚の塊を目指し進んだが、その地に立って秋葉は目を疑った。


「……え?」

「どうしたんだい?」

「いないんです。金魚がいない」

「んえ!? 見えなくなったのかい!?」

「見えます、他の金魚は。でも塊が消えてるんです。まるっと」

「へえ? ぱっと消えることがあるのかい?」

「気にしたことなかったです。でも確かに小さくなってるなとは思ってました」

「……何でこのタイミングなんだろうねえ」

「このって?」

「アキちゃんがあやつを認識した直後だよ」

「直後でもないですよ。初見から結構経ってますし」


 もし秋葉がこの地に足を踏み入れた瞬間に消えたのだとしたら分からないが、それも確認のしようがない。

 何か手がかりになるものがあるかと、スマートフォンを取り出し以前に撮影した写真と動画を立ち上げてみた。


「おや、いつの間に撮ったんだい」

「この前です。何か役に立つかなって」

「金魚映ってる?」

「……いえ。駄目ですね」


 映っていないことは分かっているが、時間が経てば見えてくるとか現地に行くと浮き出てくるとかないだろうかとじいっと見つめてみるがやはり何も出てこない。

 駄目か、と秋葉が動画を止めようとしたところで叶冬に手を掴まれ制止させられた。


「何ですか?」

「この子は何してるんだい? 金魚の塊がいるであろう場所に誰か立ってる」


 言われて見てみると、たしかにそこには誰かが立っていた。

 小さくてよく分からないが、少年のように見える。高校生か、もう少し上でも大学生だろう。秋葉よりは幼い顔立ちだ。

 黒髪に黒目で背は平均ほど。至って普通の日本人のようで、特筆した何かがあるようには見えなかった。


「何か持ってるね。ノートかな。何してるんだこれは」

「買い物じゃないですか?」

「でも妙だよ。どこ見てるんだい、この子。宙とノートを照らし合わせてるようじゃないか」


 巻き戻して見ると少年はノートと空中を何度も見比べてきょろきょろとしていた。

 確かにそれは何も無い場所を見ていて、とんとんと指を動かし何かを数えているようだった。


「何か数えてる。ここにいる何かをだ。金魚の塊がいたんだろう、ここは」

「はい。まさか飛んでる金魚を数えてる?」

「そう見えるよ。何だ。誰だこの子は」


 少年の顔がこちらを向いているところで一時停止し画面を拡大してみる。

 鮮明ではないが、ある程度認識できる程度には映っていた。叶冬は誰だこれは、と目を細めているが秋葉は何となく違和感を感じた。


「……この子どっかで……」

「知ってるのかい?」

「いえ。でもどっかで……」


 見たことがあるような気がした。

 気のせいかもしれないが、気のせいではないと言い切れるほどには見覚えがあった。秋葉は記憶の糸を手繰るがやはり思い出せない。

 ううんと悩んでいると、あら、と通り過ぎようとしていた女性が声をかけてきた。

 秋葉と叶冬に声をかけてきた女性は手に花束を持っていた。どうも、と小さくお辞儀をすると気安く話しをし始めた。


「あなた達もお花?」

「え? いえ、ええと」

「嬉しいわ。見舞ってくれる若者がこんなに増えるなんて」


 女性はビルの足元に花束を置き手を合わせた。事故で亡くなった人達への献花だ。よく見れば他にも花が添えられている。

 そういう場所だということをすっかり忘れていた秋葉は女性と一緒に慌てて手を合わせたが、ふと女性の言葉が気になった。


「他にも若い人が来てるんですか?」

「しょっちゅうじゃないけどね。ほら、その花。男の子が手向けてくれたのよ。あ、ほら。あの子よ」


 女性はちらりと秋葉達の向こう側に目を向けた。

 そこには一人の少年がいた。動画に映ってた少年だ。


「花、いいですか?」

「ああ、はい。すみません」


 秋葉と叶冬は目を合わせた。

 叶冬も珍しく焦っているようだったが、秋葉が気になったのは少年の右肩の少し上だ。そこには手のひらほどの大きさの金魚が飛んでいる。特に何をしている様子でもないが、ふよふよと少年について飛んでいる。

 だがここで叶冬にそれを言うこともできず、少年が立ち上がった瞬間に秋葉はつい引き留めた。


「あの、親しい方を亡くされたんですか?」

「いいえ。そういうわけでは無いんですけど」


 にこっと少年は微笑んだ。やはりこの顔はどこかで見た覚えがあった。

 幾ら考えても秋葉は思い当たらなかったが、ああ、と声を出したのは叶冬だ。 

「分かった。僕が屋台で倒れた時にアキちゃんが犯人扱いした子じゃあないかい?」

 それは初めて叶冬に出会った時の話だ。金魚が叶冬の傍にいて、急に倒れたものだから金魚の仕業かと思ったのだ。

 そしてそれを怪しんだ叶冬の追及を逃れるためにたまたまそこにいた少年を言い訳に逃げたのだ。


「そうだ! あの時の子!」

「具合は大丈夫?」


 どうも、と叶冬は軽く頭を下げた。

 けれど秋葉はしっくりこなかった。この顔を見たのはもっと最近のような気がしているからだ。

 それもこんな生々しく鮮明な記憶ではなく、さらりと流れる程度の何かで。

 秋葉が眉をひそめていると、それに気付いたのか、叶冬はにこりと爽やかに微笑んで少年を引き留めた。


「変なとこで会うねえ。新幹線を乗り継ぐ距離のこんな場所で何をしに?」

「変じゃないよ。俺は本来ここにいるものなんだ。お祭りは様子見で行っただけ」

「え?」


 少年は右肩の少し上を指差した。そこには金魚が飛んでいて、まるで撫でるように指を動かしている。

 その慣れた様子に思わず見入ると、少年はクスクスと笑った。


「まさかここで君たちに会えるとは思ってなかった。手間が省けるよ」

「知り合いだったんですか、店長」

「覚えはないね」

「まあそうだよね。君達は俺を知ってるけど知らないんだよ」

「どういう意味だい。大人をからかうのはほどほどにしたまえよ」

「君たちよりずっと大人だよ。今年で四十五歳だから」

「は?」


 自称四十五歳の少年はクスクスと笑っている。何も言わずにただ笑っている。


「ほら、思い出してくれよ。じゃないと君達を連れて行けないんだ」

「連れて行く? 何処に?」

「思い出してくれなきゃ駄目だって。俺は四十五歳。この年齢、聞き覚えあるだろ?」


 四十五歳。そう言われるとその年齢には聞き覚えがあった。誰だったろうかと秋葉が思い出すより早くに叶冬がぽつりと声を漏らした。


「……鹿目浩輔」

「あ、そ、そうだ。鹿目さんだ」


 何故ここで鹿目浩輔が出て来るのだろうか。この少年は鹿目浩輔と関係があるということなのか。

 鹿目浩輔と話をしたことを頭で追いかけると、ふとあることが頭をよぎった。

 秋葉はじいっと少年の顔を見た。


「あれ?」

「思い出した?」


 この少年の顔は覚えがある。

 見たのだ。

 けれど直接対面したのではない。神威が見せてくれた、神威の父親が友人と会話している動画でだ。


「……宮村夏生?」


 あ、と叶冬も目を見開いて少年の顔を睨んだ。

 クスクスと笑っているその顔は、妹と心中して生き残ったという宮村夏生の顔だった。


「馬鹿な。彼は鹿目浩輔と同級で、四十五歳のはずだ」


 どうみても目の前の人間は子供だ。秋葉と同じか少し下だろう。四十五歳ではありえない。

 少年はやはり笑うだけで何も答えようとはしない。


「今日は着物は着てないの? 口調も普通だね」

「……だったら何だ」

「それは誰の真似をしてるの? その名前を言ってくれ」

「人に質問をする前にこちらの問いに答えろ。お前は誰だ」

「気持ちは分かるけど、まずは店の名前と名前だけ言ってくれないかな。じゃないと連れて行けないんだ」


 ――どこにだ。

 秋葉はそう言おうとしたけれど、きっと正解は分かっている。叶冬の頭にも浮かんでいるだろう。


「さあ、言って。何という店の誰を知ってるのか」

「……金魚屋の八重子」

「正解」


 少年はにっこりと微笑むと、つんっと右肩の金魚を突くように指を動かした。

 金魚は交流などできない。語り掛けようが手を伸ばそうが交われる存在ではないと秋葉はよく知っている。

 けれど、少年が合図したと同時にその金魚はぴょんと跳ねて飛び上がった。


「飛んだ!」

「な、何だい。どうしたんだいアキちゃん」

「金魚が、あの子、金魚に言うことを聞かせてる」


 何だと、と叶冬は顔を歪めた。

 秋葉は少年を問い質そうと思ったが、その瞬間ざあっと金魚が押し寄せた。それも一匹ではなく数匹、十数匹、何匹も何匹もだ。


「うわっ!」

「アキちゃん!?」

「金魚が、凄い勢いでっ……!」


 秋葉は金魚に驚き尻餅をついて、叶冬が抱き留めてくれた。

 そして、秋葉を通り抜けた金魚は全て少年の周りに集まっていた。

 少年の言うことを聞いた金魚は、まるで羊を追う狼のように周囲を泳ぎまわっている。あの金魚が追い込んできたのだ。

 金魚が見えていない叶冬は少年をぎろりと睨みつけた。


「何者だ、貴様」

「宮村夏生。八重子さんのアルバイトだよ」

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