第十四話 藤堂叶冬という大人(二)
「まあ、素敵なお店。これが人気のシュークリームなのね」
「そうです。黒猫喫茶は『このビルで働きたい』と思う一押しになる店を目指しています。ゆくゆくはチェーン展開も」
「ほお。じゃあ藤堂グループの直営で」
「はい。社長の私直轄です」
叶冬は父親が何に食いついているのかもう分かっているようだ。社長、と強調してにっこりと微笑んでいる。
そして当の父親もすっかり頬が緩んでいた。
「藤堂グループの新規事業店舗でリーダーか。これは凄い」
「秋葉君はとても優秀なのでこのまま社員になってほしいくらいです。同居もビジネスパートナーのようなイメージを持っていただけたらよいかと」
「こりゃあ凄い。凄い経験だぞ、秋葉」
「こんな凄い方に見初められるなんて。さすがアキちゃんね」
「え、あ、ああ、うん。勉強になることばっかりで」
叶冬はやはり爽やかに穏やかに微笑んでいる。両親はすっかり信じているようだが、秋葉には一流の詐欺師のようにも見えた。この弁舌は真実なのか嘘なのか、どちらにせよ怪しいことこの上ない。
だが信じさせてしまえばこっちのものだ。今まで秋葉が何を言っても聞かなかったあの母親までもがにこやかにうんうんと頷いている。
「如何でしょうか。私としては秋葉君には是非このままいて欲しいのですが、ご両親の反対があるなら無理には……」
「いやいや、こんな有難いことはないですよ。けど一体どこで面識を? 秋葉はただの学生でしょう」
「道端で私が具合を悪くしているところを助けてくれたんですよ。あの時は本当に助かりました。心優しい青年だと思いましたが、こんなに優秀な子だったなんて。私は運が良い」
「アキちゃんは優しいものね。そう、そうだったの」
「お母様にはご不安も多いと思いますが、お許し頂けますか」
「そうね。ええ。こんな大企業の社長さんなら」
「よかった。では引き続き秋葉君は私がお預かりいたします」
「はい。どうぞよろしくお願いします」
母は安心したように微笑んで深々と頭を下げた。
秋葉はどうせ口論になって終わると思っていたのに、ものの十分で快諾を得る手腕は見事というべきか。詐欺のようではあるが、それでも嘘ではない。
信じさせる手段と技術があるというのはこれほどまでに違うのかと、母親と喧嘩しかしてこなかった秋葉には考えさせられるものがあった。
すっかり気を良くした母は、そうだ、と嬉しそうに手を叩いた。
「あの、よろしければお夕飯召しあがってらして下さい」
「申し訳ありません。夜は仕事があって戻らなくてはいけないんです。是非今度ゆっくり」
「まあ。お忙しいのにわざわざ来てくださったんですね。ご丁寧に有難うございます」
「とんでもない。大切な息子さんをお預かりするのだから当然です。ああ、そうだ。もしご迷惑でなければ春陽君に手を合わさせて頂いてもよろしいでしょうか。ご家族の皆様にご挨拶をさせて頂きたいのです」
「もちろんです。どうぞ」
ここで春陽のことが出てくるとは思っていなかった秋葉は驚いたが、両親は何て素晴らしい人だと絶賛している。
だがきっと、叶冬は春陽を良く思っていないだろう。口にしたことはないが、秋葉は何となくそんな気がしている。
叶冬は仏壇の前に座り手を合わせた。
「春陽君。君の大切なお兄さんを預かるよ。例え誰であっても手出しはさせない。絶対にだ」
「店長……」
両親は頼もしいだのセキュリティがどうのと言っている。普通ならそう聴こえるものだろう。
けれど、秋葉に憑いていて倒れる原因となったのは春陽だろうと考えている以上、素直に感謝を述べることはできなかった。
――今日ここに来たのは、このためだったのかもしれない。
「それじゃあこれで」
「わざわざ有難うございました」
「今度はお二人でうちに遊びにいらして下さい。秋葉君が生活している場所を知っていて頂いた方が私も安心ですし」
「しかしご迷惑では」
「行きます! 伺わせて頂きます!」
「母さん! 社交辞令に決まってるだろ! 遠慮しろよ!」
「秋葉君、いいよ。いや、最初にそうすべきだった。同居を始める前にご挨拶に伺うのが筋だったんだ」
「それは俺が決めたことです」
「そうだね。でもそれとは別に、僕は大切な子のご家族には礼儀を尽くしたいんだ。それは君が良しとする形とは違うかもしれないけど、世の中には『一般的な礼儀』というのがあるんだよ。その後は個々が良いと思う形で礼儀を尽くす」
「礼儀……」
ふと叶冬が佐伯会長と話をしていた姿を思い出した。
佐伯は見るからに礼儀知らずで秋葉も嫌悪したくらいだったが、そんな佐伯に対しても叶冬は礼儀正しかった。
それが『一般的な礼儀』で、それをしてくれたからあの非常識な母親ですら叶冬を信じたのだ。普段の姿を思えば詐欺のようだったが、あれは体裁を整えるという礼儀だったのかもしれない。
「今日は一般的な礼儀に則った挨拶が終わった。次からは秋葉君が良いと思う方法を選んでいこう。いいかな」
「……はい。有難うございます」
「良い子だ。では日程は後程お送りします。新幹線の手配もこちらで致しますので」
叶冬は両親に深くお辞儀をしてくれた。
――丁寧な人だ。
きっとこういう態度を取るべきなのだろう。けれど人生の十年以上を母の監視で縛られていた秋葉にとって、ここですぐに呑み込めるほど簡単なことではなかった。
ふいっと両親から視線を逸らすと、ぽんっと父親が肩を叩いてくる。
「秋葉。面白くないこともあるだろうが世の中は理不尽なものなんだ。家族であってもな。誰かと生きるにはどうするのが良いか、藤堂さんにしっかり学びなさい」
「……うん」
「と、時々は帰って来てね。アキちゃんとお食事したいわ」
嫌だ。そう言ってしまいたい。表面上どんな美しい回答をしたって本音はそれだ。
けれどトンっと叶冬に背を叩かれた。にっこりと、誰もが誠実な人間であると疑わないであろう爽やかな微笑みを浮かべている。
くっと秋葉は唇を噛んで、ちらりと母親を見た。
「……また休みの時に」
「え、ええ! 待ってるわね!」
「うん」
そして秋葉は両親に背を向け、行こうかと微笑んでいる叶冬に着いて自宅を離れた。
家が見えなくなったところで秋葉は大きなため息を吐いたが、叶冬はあははと笑っている。
「良いご両親じゃないか」
「そうですかね……」
「そうだよ。度は過ぎるかもしれないけど、心配してくれる親がいない子もいる」
親がいない子、と聞いて思い出す。叶冬は両親がいないどころか記憶すらないのだ。秋葉の言っていることは贅沢な悩みに聞こえているのかもしれない。
「それに、お母さんが監視みたいなことする理由もちょっと分かった」
「自分が恥をかきたくないからでしょう」
「違うよ。そうせざるを得ないんだ。どうしてだと思う?」
「どうって、そういう性格なんですよ」
「アキちゃんと会話ができないからだよ。キちゃんは最初から喧嘩腰で、お母さんと会話する姿勢を持っていない。それじゃあ会話で和解できないのは当然だ。だからお母さんは強硬手段にでるしかない。けどそれが極端すぎるからアキちゃんともすれ違う」
「それは……」
秋葉は人の話を聞かない人だと、ずっとそう思っていた。
しかし最初に言葉を遮ったのはどちらだっただろうか。
そんなことはもう思い出せないけれど、少なくとも母親は帰って来てほしいと言ってくれている。けれど秋葉は帰らない。だから話はできない。
「少しずつ歩み寄ろう。一人でできないのなら僕が助けてあげる」
「……はい」
「うん。良い子だ」
よしよしと子供のように頭を撫でられた。
叶冬の手は大きくて暖かくて、両親と距離を取ってきた秋葉にはあまり経験のないことだ。
恥ずかしいと振り払うところかもしれないけれど、秋葉は大人しく撫でられ続けた。
「さて。ミッション完了したところで僕ちょいと行きたいとこあるんだけどもさ」
「あ、ああ、はい。あそこですよね」
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