第十四話 藤堂叶冬という大人(一)
秋葉の実家付近ではセミが鳴いていた。それは無言で複数の人間が向き合っている居間ではうるさいほどに響く。
向き合っているのは秋葉の両親と秋葉、そして何故か叶冬もいた。机には叶冬が土産にと持って来た黒猫のシュークリームが置いてある。
何故こんな状況になっているのかというと、母親からの電話が原因だった。
『アキちゃん! マンションが工事で一時退居ってなあに? お母さん聞いてないわ』
「……何で知ってるの」
『不動産屋さんから連絡があったのよ。契約名義はお父さんなんだから』
「ああ……」
秋葉は叶冬のマンションに一時避難していることを伝えていなかった。どうせ言ったところで面倒になるだけだと思ったからだ。けれどこうなると先に言っておいた方が良かったと今更ながらに後悔した。
この流れで叶冬のことも話したのだが、ならば顔を見せに来い、説明しに来いと三十分以上も叫ばれ、切ってもすぐにかかってくる。
これはもう顔を見せた方が早いと帰宅をすることにしたのだが――
「なるほど! では僕に任せたまえ!」
「え? 何をですか?」
「アキちゃんの実家へGO!」
「は? え?」
そして何故か叶冬同伴で実家へ帰って来たのだが、両親としては謎の男がくっ付いてきたという不審極まりない状況だ。
それに言ったところで叶冬が聞くわけがない。着物を着ていないだけマシかと、秋葉は既に諦めていた。
「この人は俺のバイト先の店長で」
「藤堂叶冬です。よろしくお願いします」
「……秋葉の母です」
「葉子、ちゃんとしろ。すみません。息子がお世話になってます」
「こちらこそ。秋葉君にはいつも助けてもらっています」
御縁叶冬さん、と紹介しようとしたが遮るように被せられた。
確かに、御縁というと御縁神社に直結し、御縁神社といえば金魚すくいの奇妙な男という名物男が芋づる式に登場する。金魚に異常な拒否を示す母親相手ならば名を隠すのは正解だ。
叶冬がそこまで考えているかは分からないが、それよりも母親のじとっとした目つきが不愉快でたまらない。
「工事はともかく、どうして他人と住む必要があるの」
「一時的な非難だって」
「それならホテルでもいいんじゃないのかしら。突然知らない人と暮らすなんて」
「知らない人じゃないって。俺のバイト先の店長だよ」
「お母さんには知らない人よ。バイトだって、いつからやってるの」
「母さんが知ってる必要ないだろ」
――イライラする。
秋葉は不愉快さを隠すこともできず、はあ、と露骨に溜め息を吐いてみせた。
けれど叶冬はまあまあ、と秋葉に向けてにっこりと微笑んできた。
「親御さんには扶養義務があるんだよ。それに可愛い息子だ。心配に決まってるよ」
「もう子供じゃないですよ」
「僕らからしたら成人したばかりは子供だよ。僕も紫音が家を出て他人と暮らすなんて言ったら心配でたまらないよ」
「紫音ちゃんは女の子ですし」
「可愛い我が子に女も男もないよ」
叶冬は、ねえお母様、とにこやかに微笑んだが、秋葉の母はじろじろと胡散臭いと言わんばかりに睨みつけている。
「今回の同居は秋葉君に頼まれたからじゃないんです。私がうちに来て欲しいと頼んだんです」
「どうしてですか。どうしてアキちゃんなんです。無関係の子と同居なんて普通はないわ。どうしてアキちゃんに来て欲しいの」
「ああ、これは失礼しました。ご挨拶が後になってしまった」
秋葉は苛立つあまり立ち上がったが、それと同時に叶冬も立ち上がった。
けれど叶冬は秋葉の両親へにこりと微笑むと、すっと何かを母に向けて差し出した。名刺だ。
母親は訝しげに眺めるだけで、受け取ったのは父親だった。これはご丁寧に、とそこに書いている文字に目を通した。
――まさか金魚屋とか書いてあるのではなかろうか。
名刺と言えば仕事と役職が書いてある。叶冬の仕事は金魚屋だ。やはり藤堂と名乗ったのはさして意味が無かったのかと慌て名刺を回収しようとしたが、すでに両親は名刺を見てぎょっとしていた。
「「藤堂不動産ホールディングス株式会社代表取締役社長?」」
「……はい?」
秋葉も名刺を覗き込むと、そこには確かに不動産屋の社長であると綴られている。
まさかそんな手の込んだ詐欺をするのかと呆れたが、そうか、と声を上げたのは父親だった。
「そうか! 叶冬さん! どうりで聞き覚えがあると思った!」
「なあに。お父さん知ってるの?」
「不動産業界で急成長してる企業だよ。この二、三年で営業利益が倍以上になってあっという間にトップ企業の仲間入りだ。確か社長が叶冬さんというお名前だった」
「恐れ入ります」
秋葉はぱちくりと瞬きをして叶冬を見た。その顔はとても爽やかで、整った顔立ちから放たれる輝く微笑みは妙な説得力がある。
しかも父が知っているということは詐欺ではなく真実ということになる。まさか本当に、と名刺に嘘偽りが無いかまじまじと見つめてしまう。
「実は秋葉君が住んでいたマンションはうちのグループ会社が担当しているんですよ」
「三富不動産ですか? ああ、そうなんですね」
「じゃあアキちゃんを招いたのはその関係で?」
「ええ。入居者全員に非難先をご提案してるんです。秋葉君だけではありませんよ」
そうでしたか、と父親は納得している。けれど母親と秋葉自身も信じられずにいる。
そんな都合の良いことがあるのだろうか。
「でもどうしてアキちゃんだけご自宅に? 他にもあるんじゃありません?」
「これは三つ目的があるんです。一つ目は料理のレクチャーです。実は秋葉君は私が経営している喫茶店のバイトリーダーなんです」
「え?」
リーダーとは何だ、と話を合せるという頭もなく叶冬を振り返ってしまった。
あの営業すらろくにしておらず店員は秋葉と紫音だけというあの店のリーダーにどんな意味があるというのか。
「そろそろ調理を教えようと思っていたんですが、勉強や友達との時間は大事です。ならうちで食事を作りながら教えられればと。ねえ、秋葉君」
「え? あ、は、はい。黒猫のシュークリーム作れるようになりたいです」
「これはなかなか難しいよ」
疑わしいと睨む母の視線に気付き、秋葉は慌てて話を合わせた。やはり誤魔化して説得しようとしてくれているのだろう。
「じゃあ二つ目は?」
「はい。うちのグループでワンランク上のルームシェアを目的としたマンションを展開しているんですが、軌道に乗っていないんです。そこで実際に生活して意見を貰うというのをやっているんですよ。秋葉君には僕とルームシェアを体験してもらい意見を貰っています」
「なるほど。リアルな声というのは貴重ですからね」
「でも一人の時間がなくなったら困るわ。アキちゃんは、ほら、色々あるんだから」
素直に人目に晒すのは恥ずかしいと言ったらいいのに、と秋葉は母親から目を逸らした。
秋葉は不愉快極まりなかったが、叶冬はテーブルの下でぽんぽんと秋葉の手を撫でてくれた。叶冬を見上げると、何か考えがあるだろうか。変わらずにっこりと微笑んでいる。
「大丈夫です。従来のルームシェアは共有スペースを使わなくてはなりませんが、うちは一階と二階に分かれていて共有する空間が無いんです。ですが中間層に部屋を設けているので共有スペースとすることも可能です」
「ほー。ルームシェアというより二部屋借りるような」
「はい。ですがお母様のおっしゃるご懸念はまさにその通りで、いざ始めたら生活リズムが合わなくてルームシェア解消というのも少なくありません。なので家賃はそのままで完全に生活を分けるという形でメリットだけを残してみました。プライベート侵害の心配はゼロです」
「そう、そうですか……」
「それにうちのグループ保有ビルでもセキュリティは随一。以前のマンションよりずっと安全かと」
「社長が住むくらいですからそうですね。いや、これは凄い」
父親は既に、社長であると分かったと同時に叶冬を信頼したようだった。名刺というのはそれほど効力のある物なのかと、つい名刺に目がいった。
けれど母親はまだ不審人物を見るような目で叶冬を見ている。
「三つ目は?」
「これは将来的な話なんですが。オフィスビルやルームシェアマンションに飲食のチェーン店を入れてるんですが、私は自社でやれたらと思っていて」
「ははあ。まあ利益的にはそうかもしれませんが分野違いでしょう」
「おっしゃる通りです。なので飲食専門の子会社を作ろうと思っていて、それが秋葉君にバイトしてもらってる黒猫喫茶なんですよ」
「……そんな未完成のお店でアキちゃんを働かせてるんですか」
「いや、新規事業とは見込みなければ着手しない。未完成ではなく成功への第一歩だ。見てみなさい」
父親はいそいそとノートパソコンを取り出し、手早く何かを調べて母親にモニターを見せた。
そこには黒猫喫茶のオフィシャルホームページが表示されていた。こんなのがあったとは知らず、秋葉も食い入るように見た。
写真は確かにあの店だが、カメラマンの腕が良いのかまるで高級店のように見える。自然あふれる温かい店だとかなんだと書いてあるが実物を知っている秋葉にとっては騙すためのサイトにしか見えない。
一方で叶冬は、さすがお父様は成長段階である企業のことをよく分かっていらっしゃる、と調子のいいこと言ってる。
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