第十三話 金魚屋の少年を知る男(三)

 鹿目は机に置いてあったコーヒーをこくりと一口飲む。早くしろとでも言いたげな叶冬はぎろりと睨みつけたままだ。


「あの頃の僕は妹の死に囚われていた。妹が死んだのは手術後の拒否反応のせいだったんだ。妹に手術を勧めたのは僕」

「妹を殺したのはご自分だと?」

「うん。とても生きる気力はなかったよ。なのにある日急に晴れやかな気持ちになったんだ。そしてそれは宮村のおかげだった」

「どうして!」

「君が言ったとおりさ。急に考えが変わったんだ」

「きっかけは? 何かあったはずだ」

「あったよ。宮村の家へ泊りに行って話している最中に気を失ったんだ。目が覚めた瞬間、僕は宮村を桜子の――僕の妹の墓参りに連れて行きたいと思ったんだよ」


 似ている、と秋葉は思った。叶冬の大きな金魚鉢を前にして気を失い、目が覚めた時は妙に晴れやかな気持ちになっていた。

 秋葉は金魚屋へ連れて行かれたであろう真野雪人と同じ病状で、金魚屋の友人である鹿目浩輔と同じ状況。

 金魚屋と関わると同じ状態になるのなら、秋葉を含めたこの三人は金魚屋の『客』にあたるんじゃないか、そんな考えが浮かんだ。

 しかも鹿目浩輔は妹が亡くなっている。これは弟が亡くなっている秋葉もだ。

 だが真野雪人はそうではない。金魚屋と関わったであろう藤堂叶冬は生きている。ただし、御縁叶冬という異なる名前で。

 ちらりと叶冬を見ると、ギリギリと唇を噛んでいた。


「……おかしいだろう」

「そうだね。けどそういう出来事だった」

「何故聞かなかった! そいつは何か隠してるぞ!」

「それは悪いことかい? 宮村は恩人だ。聞いて困らせるなら僕は聞かない」


 ――それはつまり、鹿目浩輔の目から見た宮村夏生には聞かれたら困ることがあったということだ。


「けど、君らが探す相手はきっと宮村じゃない。宮村も『急に考えが変わった』んだよ。誰かに助けられたんじゃないかと思う」

「何だそれは。どういうことだ」

「そのままの意味だよ。謹慎処分が明けたら明るくなってたんだ。しかも近所の老夫婦の家で一緒に暮らし始めて、とても幸せそうだった」

「それはまたすごい変化ですね」

「そこに金魚が絡んでると聞いたら納得できるか?」

「その金魚というのは何なんだい? それは分からな――いや、一度だけ聞いたな。妹さんの最期はどんな様子だったか聞いたことがあるんだけど、笑ってたとか泣いてたとかじゃなくて『金魚みたいだったよ』と言ったんだ」

「金魚……」


 秋葉は何がなんだか全く分からなかった。秋葉自身の経験に似通った話ではないからだ。

 金魚を見たことがあるという類の証言が得られるかと思ったが、一貫して話は宮村夏生という人物についてのみだ。それも肝心なところは何も分からない。

 けれどそれは叶冬と似ているようにも感じた。叶冬も重要なことを知っているわりに肝心なところは記憶にない。

 ――意図的な記憶喪失なのか。


「僕が答えられるのはここまでだ。これ以上のことは何も知らないよ」


 叶冬はまだ何か聞きたそうにしていたが、鹿目はそれには答えずタクシーに乗って帰って行った。


「くそっ!」


 いつもの叶冬からは考えられない怒りに満ちた形相で、ぎりぎりと拳を震わせていた。それは紫音も声を掛けるのをためらうほどの恐ろしさだった。

 秋葉も何と声をかけたら良いか分からなかったが、叶冬に聞いてみたいことはあった。


「店長も急に考えが変わったり、周囲と会話がかみ合わなかったりしたことがあるんじゃないですか?」


 叶冬は秋葉を振り返りじいっと見つめた。

 けれど何も言わず、にこりと穏やかに微笑んだ。


「そろそろ帰ろう。陽が落ちる」


 見上げると、たしかに陽が落ちようとしていた。けれどそれは言い訳で、暗に聞くなと言われているような気がした。


「もうすぐ試験期間なんでバイト休んでも大丈夫ですか? 必要であれば勉強しながらやりますけど」

「構わないよ。学生の本文はきちんとしなくてはね。食事も無理しなくて良いよ」

「それは俺も食べますから。もし時間合わない時は温めればいいようにしておくんで」

「有難う。ここまでトントン進んでたからちょっと小休止だね」

「試験じゃ小休止にならないですよ……」

「あはは。終わったらいっぱい遊ぼう」


 顔を合わせずに済む言い訳があることに少しだけほっとした。

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