第十二話 誰かの金魚鉢(一)

 金魚鉢をテーブルに置き、縁にいつもの着物を掛けた。それを正面にして秋葉と叶冬は並んでソファに座る。

 何だか妙な配置だなと思ったが、叶冬は座ると同時にずいっと秋葉に顔を近づけてじっと見つめた。


「な、何ですか」

「どうして僕は長髪だと思う?」

「え」


 真横間近で見つめられた驚きと、恐らく答えを知っている質問にどきりとした。

 長髪はおそらく大きな傷跡を隠しているのだろう。だが言って良いものかどうなのか迷い、秋葉は無難な回答を選んだ。


「よくお似合いです」

「だろう? ふふぅ――っじゃなーい! 理由だよ理由! 理由があるのさ! ババーン!」


 考えて当てさせるつもりではなかったようで、叶冬は自ら髪をかき上げ傷を秋葉に見せつけた。


「すごいだろう。実は高校生の時に自殺未遂したんだよ。記憶なくなっちゃったから覚えてないんだけど」

「えっ」

「両親も死んでるらしくてね。遠縁だという御縁が養子にしてくれたんだ」

「えっ」

「で、その金魚鉢は急に現れた謎物体。以上だ!」

「ちょっとちょっとちょっと。待って下さい。全然分かりません」

「だよね」


 あはは、と叶冬は笑った。

 出てきた情報の全てが突飛で、あまりにも非日常なエピソードは現実味がまるでない。かといって笑うような話でもないし、秋葉はええと、と目をぱちくりさせるしかなかった。

 叶冬はそんな秋葉を見てくすくすと笑い、よしよしと頭を撫でてくれた。


「分からないというのは正解。出来事だけ言えば、僕は自殺未遂をして記憶を無くして御縁に引き取られた。その時突如僕の部屋にその金魚鉢が現れた。それだけなんだ」

「だとして、どうして見えない金魚に繋がるんですか? 大きいけど単なる金魚鉢ですよね」

「それについては説明できる人間が来るのを待とう」

「説明できる人間?」


 誰ですかと聞き返そうとしたが、タイミングを見計らっていたかのようにインターフォンが鳴った。


「お、時間通りだ。ちょっと待っておくれよ」


 時間通りということは、やはりタイミングを見計らっていたのか。

 では掃除をしてくれと言い出したのもまさか計画通りなのだろうか。そういう演出が好きそうな人間ではある。

 しかし、叶冬が連れて戻って来たのは意外な人物だった。


「こんにちは」

「紫音ちゃん?」


 紫音はどこか気まずそうにしていた。

 叶冬は紫音を可愛がり大切にしていた。それだけにこんな意味不明な怪しい話に紫音を巻き込むのは不思議な感じがする。

 秋葉は思わず立ち上がり、どうして、と目線で叶冬に訴えた。


「さっきも言ったけど、僕は記憶が無いんだ。でも僕に関わっていた人間を紫音は知っている」


 叶冬はにこにこと笑顔のままだったが、紫音はやはり俯いている。

 ――いいのだろうか。

 自分が話を聞きたいがために叶冬と紫音の仲に亀裂が入るようなことがあってはいけない。


「あの、無理に話さなくていいよ。嫌なら別に」

「あ、ううん。そういうわけじゃないの。ただ……」


 紫音はきゅっと唇を噛み、叶冬の袖をそっと握りしめた。


「……どこにも行かないって約束してくれる?」

「むしろ追い出されないかヒヤヒヤしてるよ」


 叶冬は紫音を抱きしめてトントンと背を叩いた。ようやく紫音はほっと安心したように笑い、三人でソファへと腰かけた。


「では改めて挨拶をしよう」


 叶冬は金魚鉢にかけた着物を手に取りばさりと羽織った。


「金魚屋の藤堂叶冬だ。よろしく」


 藤堂叶冬。藤堂というのがかつての姓だと知ると、ああ、と秋葉はあることに納得が言った。

 叶冬と紫音は全く似ていないのだ。歳の離れた兄妹ならそういうこともあるかと思っていたが、似てなくて当然だったのだ。

 紫音への接し方に試行錯誤していると言っていた。仲の良い兄妹になりたいと、そうなるために努力をしたのだろう。急に母親の顔が浮かんできたが、吹き飛ばすようにぶんぶんと頭を振った。


「結論から言うと、私は金魚については何も知らないの。知ってるのは真野雪人君について」

「えっと、誰?」

「私の従兄弟でかなちゃんの幼馴染。かなちゃんが自殺未遂した後、行方不明になった人よ」

「え」

「ゆきちゃん――雪人君が行方不明になったのはかなちゃんの事故の一年後。今も見つかってないわ」

「間空いてるね。店長の自殺未遂と関係あるの?」

「分からないわ。でも私達はあると思ってる」


 兄妹は目を見合わせ、意を決したように頷き合った。


「警察にね、ゆきを隠した犯人は僕じゃないのかと疑われたんだ」

「仲が悪かったんですか?」

「いいや。記憶の無い僕にとても良くしてくれた。でも僕の親がゆきの親に借金をしてたらしいんだよ。その返済でごたごたがあって、その頃に僕の両親は死んでいる。死因は病死らしいけど、警察は僕が逆恨みをしたと思ったんだね」

「でもその時点でかなちゃんは記憶が無かったから違うわ」

「けど警察は僕がしらばっくれてると思ったみたいでかなり詰められた。それを見かねた紫音の父親が引き取ってくれたんだ」

「でも結局かなちゃんは無関係で、ゆきちゃんは自分からどこかへ行ったんだろうってなったのよ」

「急に一転しましたね。そんな簡単に方針転換するものなんですか?」

「物的証拠があったからね。ゆきの失踪場所が入院先の病院で、僕はその時間この部屋にいたからだよ。セキュリティシステムにも僕が部屋を出たログは無かった」

「入院? 雪人さんはどこか悪かったんですか?」

「うん。でも原因不明で治療もできなくて、かなりやつれてたわ。だから病状を苦にしてじゃないかって」

「事件としてはこれで終わりだ。僕が自殺未遂をして御縁の養子になった。それとは別にゆきが失踪した」


 ――終わり、なのだろうか。

 それは警察が終わりとしただけで、ここからが始まりのように聞こえた。何しろ金魚鉢が登場するのはこの後だというのだから。

 そんな秋葉の考えを察したのか、叶冬はニッと笑った。


「僕と紫音はこの二件が繋がっていると思ってる。その理由がこの金魚鉢だ」


 叶冬は立ち上がり、金魚鉢をコンッと叩いた。


「これは元々ゆきちゃんが病室に置いてたの。すごく大きくて吃驚したからよく覚えてる」

「え? 店長のじゃないんですか?」

「違うよ。ある時ぽんと急にこの棚の中にあったんだ。ゆきが持ち込んだのか誰かが持って来たのかは分からないけど」

「雪人さんの物だとして、どうやって入ったんですか? ここ結構セキュリティしっかりしてますよね」

「ゆきはここの二階を使ってたんだよ。自分のマンションと行き来してた」

「行き来? なんのためにですか?」

「分からない。聞いたこともなかったよ。一緒に住みたいと言われて嬉しくてね。けど今となっては不思議だね。何故急にそんなことを言い出したのか、何故自分のマンションを解約しないのか」


 ふと脳裏に母親の顔が浮かんだ。過度に傍にいたい理由は心配からくる監視だったのではないだろうか。

 ――真野雪人はこれから発生しうる何かを恐れて金魚鉢を置いて行った。

 

「それで詩音ちゃんも店長と雪人さんの事件が繋がってると思ったんだね」

「ええ。でも私がそう確信したのはそれだけじゃないわ」


 紫音はちらりと兄を見た。兄はにこりと微笑み、ぽんっと妹の頭を撫でる。


「この金魚鉢を手にした直後から、かなちゃんは着物を羽織って演技じみた喋り方をするようになったの」

「……ずっとこうだったんじゃないんですか」


 この着物と喋り方には何かしら意味があるのだろうとは思っていた。

 何しろ本人もこれが奇異なことだと認識をしているからだ。それでも続けるのは、そうする必要があるということになる。

 ちろりと叶冬を見ると、何故か面白そうにクスクスと笑っている。


「この金魚鉢が何だかは僕も分からない。隠してるわけじゃない。本当に分からないんだ。でも用途は金魚を飼うことではないと思う」


 叶冬は金魚鉢をくるりと回して、ここを見てごらん、と底の方を指差した。

 何故かそこにはUSBの差込口と丸い差込口が二つ並んでいる。小さなカードスロットもあり、そこには何かが差し込まれている。


「とても一般的な金魚鉢じゃない。何かの機械なんだよ、これは」

「でも店長、金魚を消す金魚鉢だって言ってませんでした?」

「そうだよ。でもそれも確かじゃないんだ。ただそうだと思う。僕はそれを知っているんだ。何故かは分からないけど」

「俺はもっと訳が分からないんですが」

「僕も分からない。ただもう一つ分かることがある」


 叶冬はコンコンと金魚鉢を叩いた。


「僕はこれが怖いんだ」

「怖い?」

「そう。僕は回る物が怖いんだけど、それはこれのせいなんだ。スイッチを入れると内側が回るんだよ。やってごらん」


 また少し金魚鉢を回すと、ON・OFFと書かれたスイッチがあった。確実に何かをするための機械である証拠だ。

 秋葉はドキドキしながらスイッチを入れた。すると鉢の内側からフイイイ、と音がした。覗き込むと確かに底がくるくると回転している。

 だがそれだけだった。何が起きるわけでもない。叶冬もこれだけなんだよ、と言っているが、その時秋葉の視界がぐらりと揺れた。

 苦しいとも痛いとも思わない。何も無い。けれど体中の力が抜けて、秋葉はその場に倒れ込んだ。


「アキちゃん!?」


 叶冬が慌てた様子で抱き留めてくれたのは分かった。けれど意識はぐるぐる渦巻いて、そのまま秋葉は目を閉じた。

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