第十一話 金魚の居場所(二)

 初見の感想は「やっぱり」だ。

 一晩止まるだけの旅館にあれほどの広さを選び、しかも自ら金持ち仕様と言ったからにはそれなりに広い高級マンションなのだろうと思っていた。

 到着したのは十三階建てのマンションで、シンプルな外観だがパリッとした印象だ。金持ち仕様とはいったいどんな内装かと思ったが、案内された室内は思いのほか普通だった。

 それでも手狭な1Kで暮らす秋葉からすれば、パッと見るだけで扉が五個もある部屋はまさに金持ち仕様だ。


「凄い広さですね」

「そうだろう。ここだけでも広いってえのに上もあるんだよ」

「上?」

「そうそう。こっちにおいで」


 マンションで上というのはおかしな話だ。ロフトでもあるのだろうか。

 それならそこだけ借りれれば十分だなと思いながらついていくと、叶冬の向かった先にあったのはエレベーターだった。室内からしか乗れないのなら当然叶冬専用だろう。


「え?」

「上へまいりま~す!」


 質問する間もなくエレベーターに乗り込み一つ上のフロアに着くと、同じ内装の部屋が広がっている。


「この二フロアがうちだあよ。んで、ここ使ってないから使っていいよ」

「いやいや、ちょっと待って下さい。こんな広さ使いませんて。というか二フロアってなんですか?」

「さあね。こういうもんなのさ。で、どうだい?」

「……できれば一部屋だけお借りできればと」

「だよね。分かるよ。僕もここいらないし一フロアだけでも広いし。ってえか一人暮らしなんて一部屋ありゃ十分だよねえ」

「はあ」


 こういう感覚は意外と普通の人で、逆にアンバランスさを感じた。

 一通り全ての部屋を見せてもらったがどこもかしこも広くて綺麗で秋葉には決められず、来客用という部屋を借りることになった。

 ベッドやクローゼットは備え付けの物を使って良いとのことで有難く借りることにした。薄い布団で寝ている秋葉にとって、身体が沈むほどふかふかのダブルベッドは夢のようだ。思わずばふっと飛び込みごろごろすると、叶冬が面白そうに笑っている。

「気に入ってくれてよかったよ」

「これ家事だけじゃ割に合わないですよね。やっぱり宿泊費お支払いします」

「いいんだよ。僕はアキちゃんがいてくれるだけで嬉しいのだからね。なんならそのまま居ついてもいいんだよ」

「さすがにそれは恐れ多すぎて……」

「くふふ。快適すぎて帰りたく無くなること間違いなしさ。例えばそのベッドとかね」


 確かにこれは逃げられなくなりそうだ、と秋葉は体を揺らした。少なくとも出て行く時には名残惜しく感じるに違いない。

「家事も完璧にする必要はないよ。勉強と友達との時間を優先して、それ以外の時間でやってくれればいい」

「そうはいかないですよ」

「いいんだよ。じゃないといつまでたっても隈が消えない」


 叶冬に顔を包むように掴まれ、目の下をきゅっと擦られた。

 ――心配してくれているのか。

 勉強と友達の時間を優先なんて、実家でも今でも親から言ってもらえたことは無い。優先すべきは母の要求で、そのためならプライベートな約束は反故にもしなければいけなかった。


「子供は甘えるものだ。なあに、これでも一応大人さ。生活くらいどうとでもなるのだよ」

「……はい」


 叶冬はよしよしと撫でてくれた。

 母も心配してるんだと言い聞かせてきたけれど、本当はこんな風に撫でて欲しかっただけだったのかもしれない。


 秋葉の仕事は週一回の掃除と、食事を作る時は二人分を作ることとなった。

 他の家事もやると言ったのだが、それ以上は秋葉の生活時間に食い込みすぎるから駄目だと言ってくれた。

 せめて食事は叶冬が満足できるだけの物を作ろうと思ってはいるものの、秋葉は料理が得意なわけでは無い。ましてや料理が好きだという叶冬に響くのかは疑問だったが――


「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「大したものじゃないですけど……」

「大したものさ! こんなにいっぱい! 楽しい!」


 初日の夜はさっそく夕飯を作った。献立は白米に豆腐の味噌汁、肉じゃが、こんにゃくの唐辛子炒め、ほうれん草の胡麻和え、卵焼き、ひじきの煮物だ。

 作ったと言っても煮物類は作り置きを持って来ただけで、華やかなメイン料理が無いのでせめて賑やかにしようとあれこれ並べただけだった。

 それでも叶冬は素晴らしいと喜んでくれて、手作りの和食に飢えていたから最高だ、と瞬く間に完食した。

 デザートは黒猫喫茶の売れ残りだというシュークリームを出してくれた。猫の形をしたチョコレートクリームがシューから顔を覗かせている。


「っか、可愛い……」

「そうだろう。そうだろう。うちの店の一番人気さ!」

「売れ筋とかあるんですね」

「あるとも! 食べるのは紫音のみだがね!」

「あ……」


 いくら可愛くても、アイスティとセットで三千円ともなると売れないだろう。

 では売れ残りというのは、要するに作った分全てが残ってそのうちの一つを紫音が食べているだけということになる。それは何だかもったいない気がした。


「明日からはアキちゃんも食べてくれるから人気も二倍さ」

「そうですね。すごく可愛いです」

「ふふふ。デザインは紫音がしているのだよ」

「へえ。そうなんですか。店長と紫音ちゃんて仲良いですよね」

「そうだねえ。でも最初からそうだったわけじゃない。性別が違うし年も離れてる。今でも兄としてどう接したら良いものかと常に試行錯誤しているのだよ」

「今でもですか」

「そうさ。家族でも歩み寄らないと仲良くなれなかったりするものさ」


 ぴくりと秋葉の指が無意識に揺れた。

 暗に母親との事を言われているような気がして、なんとなく叶冬から目を逸らした。

 けれど叶冬はそれ以上は何も言わなかった。

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