第十一話 金魚の居場所(一)
黒猫喫茶でバイトを始めたが、予想通り開店休業状態が続いた。
一週間経った現在客はゼロ。誰かいるとしたら叶冬と紫音がお喋りをしに来るだけで、本当にバイト代を貰って良いのか不安になっていた。
それでも二人は金魚の話をねだってくれて、それだけでもバイト代に相応しいと言ってくれる。
自分の全てを受け入れてもらえるのが嬉しくて、できるだけ多くの情報を提供できるようにと今まで気にしていなかった金魚の行動に目を見張るようになっていた。
特に大学では友人に変に思われては困るので目をそらすようにしていたが、秋葉の周囲で最も人が多く様々なイベントもあり調査対象としてはこれ以上ない場所だ。暇があればあちこちを歩き、移動中も注意を払っている。
「何きょろきょろしてんの?」
「や、別に。隆志は大学楽しい?」
「楽しいよ。何言ってんの急に」
「なんとなく」
今までならこんな意味不明な会話はしなかった。あえて避けていたのだ。
けれどそれも面白くてついクスクスと笑ってしまう。
「アキ最近機嫌いいな。バイトそんな楽しい?」
「あはは。うん。まあね」
「つっても黒猫喫茶は客来ないだろ。何してんの?」
「あー」
それを聞かれると非常に困る。店長と会話するだけと言って良いものか迷っていると、タイミングよく電話がかかってきた。
着信音が祭囃子ではなくデフォルトの音なので叶冬ではない。モニターを見ると表示されているのは今住んでいるマンションの不動産屋だった。
ちょっとごめん、と断って隆志から少しだけ離れて電話を取る。
「はい。石動です」
『お世話になっております。三富不動産です』
「ああ、はい。どうも」
『ご相談がありまして、今少々よろしいでしょうか』
「はい。少しなら」
『実はオーナー様より再来週に床の修繕工事をするという連絡がありまして、それが石動様の上の部屋なんです。工事に一週間ほどかかるそうなんですが、工事の音がかなり響くようで。夜も結構』
「え、困ります」
『はい。なので工事期間だけどこかにお住まいを移して頂きたいのですが如何でしょうか』
「ホテルとかですか? そんなお金無いです」
『ご実家やご友人のお宅などはご検討いただけたらと思うのですが、どうしても難しい場合はオーナー様が一定額までなら宿泊費用負担下さるそうです』
「実家は遠いので無理です。友人かホテルって、ようするに俺が自分で宿泊先探すんですよね」
『難しければこちらで手配しても良いのですが、ご要望通りにできるかは……』
「……ちょっと考えます。いつまでに回答すればいいですか?」
『できれば今日か明日中に頂ければ助かります。私共で探す場合、そのお時間も頂くことになりますので』
「分かりました。また連絡します」
秋葉は電話を切ると、はあ、と大きくため息を吐いた。
「アキー。どうしたん」
「マンションで工事があるから再来週から一週間どっかに行ってくれって」
「マジで? そんなことあんの。俺のとこ来るか?」
「隆志は実家じゃん」
「そうだけど、一週間くらいいいよ」
「んー……」
有難い申し出ではあるが、秋葉には問題がある。
悪夢を見たら叫んで飛び起きてしまうのだ。隆志だけならともかく、その家族もいるとなるとさすがに無理がある。
そうなればやはりホテルだが、ふと脳裏に叶冬の顔が浮かんだ。住めばいいとまで言ってくれて、しかも秋葉の事情も知っている。
定住するかは別にして、とりあえず世話になる相談をするのなら隆志よりも叶冬の方が良いかもしれない。最悪、黒猫喫茶を借りれればそれでもいい。
「探してみて見つからなかったら頼むよ。宿泊費はあっちが持ってくれるみたいだし」
「そうか? けど言えよ、無理せず。お前貧血持ちなんだし」
「ん。ありがと」
隆志は心配そうな顔をして、遠慮すんなよ、お前がいれば楽しいし、うちの家族人が来るの好きだし、と最後まで気を使ってくれた。
大学に入るまでは家で母の監視によるストレスばかりだった、こうして外泊という選択肢まで持てて声をかけてくれる友人がいるのはとても嬉しいことだった。
悪夢を見ることさえなければ隆志の家に行きたかったが、こればかりは仕方がない。
叶冬に相談するのなら電話やメールよりも直接話す方が良いなと、秋葉は大学が終わったら黒猫喫茶へと直行した。
バイトをするようになってから秋葉は黒猫喫茶の鍵を預かっている。叶冬も紫音もいない時が多いからだ。けれど今日は鍵が開いている。おそらくどちらかがいるのだろう。
「おはようご」
「どぅわあああああああああ!」
「ぎゃあああ!」
「やっほーアキちゃん」
「店長! びっくりさせないで下さいよ!」
「これしきで驚くたぁ修行が足りん」
「何のですか……」
叶冬の突拍子もない行動に驚かない人間などいるわけがない。
ドッドッと跳ねる心臓を抑えて深呼吸をした。
「金魚屋は営業しなくていいんですか?」
「あそこは常に閉店だよ。僕が招きたい人を招きたい時にだけ招くのさ」
「そうなんですか? じゃあ店長って何してるんですか、普段」
「店長してるよ」
「仕事内容ですよ」
「そりゃあもちろんカレーとケーキを作ってお茶を淹れるよ」
「え? 店長って黒猫喫茶の店長なんですか? というか店長が作ってるんですか?」
「そうだよ。僕はお菓子屋さんだ」
「パティシエってことですか?」
「お菓子屋さん!」
「お、お菓子屋さん」
一体そのこだわりは何なのか。証明してやろうじゃないか、と叶冬は料理を始め――るのかと思いきや、ショーケースに並んでいたチョコレートケーキを出してくれた。
叶冬が作った証明にはならないが、まあいいやと一口頬張った。
取り立ててケーキが好きなわけでもこだわりがあるわけでもないので、とりあえず褒めておけばいいだろうと軽い気持ちでいたのだが、思っていた以上に美味しかった。
ふわふわのスポンジに滑らかなチョコレートは甘すぎず程好い加減だ。
「美味しい! これ店長が作ったんですか?」
「そうだあよ。どうだ驚いただろう」
「はい。もっと値段下げれば凄い人気になりますよ」
「僕は商売をするつもりはないからいいんだよ。料理は好きだがそれだけさ」
「好きなんですか? いつも外食って言ってませんでしたっけ」
「作る作業が好きなのだよ。自分で作る料理を自分で食べることほど嫌なことはない。だって味が分かっているのだからね。食べる楽しみがないのだよ」
「贅沢ですね。俺はやっぱり作って食べたいな」
「何が贅沢かは人によるだろうよ。なんならアキちゃん毎日うちに作りに来てくれていいんだよ」
「あ、そうだ。その話だった」
「ん!? ご飯作ってくれるのかい!?」
「いえ、えっと……」
すっかり忘れてしまっていたが、今日は居候させてもらえないかの相談に来ているのだ。
叶冬に事情を説明すると、困るどころか説明を進めるごとにぱあっとどんどん笑顔になっていく。
「というわけで一週間だけ住む場所を探」
「やったあ! ではうちにおいで! よくやったぞ工事!」
頼み終わる前に叶冬は万歳をして立ち上がった。
おそらく良いと言ってくれるだろうとは思っていたが、こうも喜んでくれるとこちらまで嬉しくなってくる。気を使ってくれているのか本心なのかは分からないけれど、叶冬のこういう真っ直ぐなところはとても好ましく感じた。
「有難うございます。じゃあ荷物揃えて来ます。工事始まるのは再来週なんで」
「今行こう! 今日からおいで! さあ帰ろう!」
「え、あの、ちょっと」
秋葉も今日聞いたばかりで何の荷造りもしていないのだが、そのまま車に押し込まれて一気に叶冬の自宅へと向かうこととなった。
こういう展開にもそろそろなれてきて、車通勤だったんだこの人、なんて呑気なことを考えながら叶冬の運転する横顔を眺めていた。
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