第十話 金魚の見る夢(一)

 秋葉と叶冬で旅行へ行くことになった。旅行は土曜日の朝出発で、一泊して日曜日の夜に帰宅のスケジュールだ。

 行先は多々候補が上がったが、二人とも温泉で合致した。具体的な旅館や宿泊プランの要望を聞いてくれたが、お金を出してもらう側なので「店長の好みで選んで下さい」としておいた。では当日まで秘密だと言われ、どんな宿になるかは謎だ。

 そして当日、名目はともあれ旅行に胸を躍らせ待ち合わせ場所の駅へ行った。

 乗り遅れてはいけないと待ち合わせた時間よりもニ十分も早く到着したが、待ち合わせ場所である改札には妙な人だかりができていた。名物の出店でもあるのだろうかと遠巻きに見ると、そこには確かに名物がいた。だがそれは決して駅の名物ではない。


「やあやあアキちゃん! 早いじゃないか!」

「いやいやいやいや! 何してるんですかあなたは!」


 人だかりの中央で両手をぶんぶんと振ってきたのは叶冬だ。今日は金魚屋としての外出と認識しているのか、いつもの着物を羽織っている。

 だがそのせいなのか、叶冬は浴衣を着た謎のキャラクター着ぐるみとセットにされて女性に写真を撮られていた。既に順番待ちで列ができている。


「だあってヒマだったのだよ。だから宣伝の手伝いを少々」

「それはそのキャラクターの仕事です店長の仕事は金魚屋です。行きますよ!」


 叶冬の手を掴みずるずると引きずると、女性たちから不満の声があがった。

 そんなことを言われてもこちらにも予定がある。叶冬はごめんね~とのん気に手を振り、秋葉はずんずんと目的のホームへと移動した。


「まあまあそんな怒りなさんな。ぷっぷくぷ~」

「放っておいたらお祭りの屋台みたいな状態になるじゃないですか」

「も~。そんなぷりぷりしなくても今日と明日はアキちゃんだけの僕だよ★」

「そういうのいいんで。お弁当買わなくていいんですか」

「お! 買う買う! 全部買う! 何個ずつ買う⁉ 五個⁉」

「持ちきれませんよ。最大でも往復で全種類一個ずつになるようにしてください」


 またも叶冬は弁当を大量に買い込んだ。到着したら現地の名産品を食べたいと言っていたのに良いのかと聞いたら、それはそれこれはこれらしい。

 この細い身体のどこにそんな大量の食べ物が入るのか不思議だ。

 秋葉は食べるつもりではなかったのだが、叶冬との旅行だと思うと同じことをしたいと思ってしまった。一つだけ弁当を買って一緒に食べると、美味しいねえ、楽しいねえ、と笑う叶冬が妙に可愛く感じた。


 旅館に着き、部屋に案内されて秋葉は感動した。

 叶冬に選ばせたら何かしら普通じゃない事態になるであろうことは想像していた。金魚の調査である以上、事故や事件があったとか自殺の名所が近いとか、魂に関連しそうな何かだろうと思っていた。

 けれど到着したのは至って普通の旅館で部屋も普通。けれどどうやら四人家族用の部屋らしくとても広く、さらには露天風呂までが付いていた。

 庶民にとってのいわゆる「高級な宿」だ。


「凄い! こんな部屋に泊っていいんですか!?」

「もちろんさ。お夕飯は宿で出てくるから、それまではそこら辺を遊び回ろう」

「はいっ」


 あまりにも広い部屋と広い露天風呂、そこから見える美しい景色に秋葉はテンションが上がった。

 来るまでは叶冬が妙なことをしないように周りに迷惑をかけないようにと保護者気分もあったのだが、そんなことはすっかり忘れてしまう。


「お風呂も凄いですよ! 木の良い匂いがする! 入っていいですか⁉」

「おお。いつになく元気だねえ。良い良い。アキちゃんはお風呂好きなのかい?」

「そういうわけじゃないですけど、やっぱり入りたいじゃないですか」

「そうだね。せっかくだしゆっくり入っておいで」

「あれ? 店長は入らないんですか? 入らなきゃもったいないですよ」

「ん? 一緒に入っていいのかい? 広さ的には入れると思うけども」

「……あ、露天風呂ってそういうものかと思ってました。それは大浴場か。ここ広いからつい。すみません」


 まるで子供のようなことを言ったことに後から気付き、秋葉は赤くなる顔を隠すように叶冬へ背を向けた。

 けれど叶冬は誤魔化してくれたのか、後ろから体当たりするように抱き着いてきた。


「うわっ!」

「アキちゃんが良いなら一緒に入るとも! さあさあいざ行かん!」

「いいですよ! 一人で入れますって! ちょっと勘違いしただけなんで!」

「僕がアキちゃんと入りたいのだよ! さあさあ!」


 そして二人で部屋の露天風呂に入ると、そこはまさに絶景だった。見えるのは夏の緑が鮮やかな山々で、真っ青な夏空は爽快だ。

 しかし不思議なことに金魚が一匹もいない。普通はこれだけ開けた視界ならばそれなりの数が泳いでいるのだが、驚くことに一匹もいなかった。


「店長。変です。ここ金魚ゼロです。一匹もいません」

「ゼロぉ? 無? この広い景色に無? そんなことあるのかい」

「どうだろう。でも本当にいません。もしかして金魚ってそんな多くないのかな。でも俺が生まれた時はいっぱいいたし……」

「んじゃあ、アキちゃんが金魚を見るためには何か条件があって、この土地はそれを満たしてないとか」

「でも修学旅行で初めて京都行った時はいっぱいいました。広島も」

「うむう。じゃあ金魚が存在できる条件を満たしてない」

「富が沼みたいにどこか一点に吸い込まれてる可能性はありますよ。それこそ条件を満たせば一か所に集まっちゃうとか」

「う~~~~~~~~~~~~~~ん」


 叶冬は腕を組んで頭をぐりぐりと動かした。分からん分からんと唸っていたが、突如ハッと何かに気付いて立ち上がった。


「どうしたんですか?」

「すっかり忘れていたよ。とても重要なことを決めていなかった」


 叶冬はがしっと秋葉の両肩を掴んだ。叶冬の縛っている髪の隙間からあの傷跡がちらり覗いた。

 思わず目をそらし、離れて下さい、とわざと恥ずかしそうにして見せる。


「この旅館はお蕎麦が美味しいそうだ。だが僕はうどん派なのだよ。しかし名物がお蕎麦ならお蕎麦を食べるべきだと思う。けれど僕はいつでもうどんの口になっているんだ。蕎麦が名物なのにうどんを頼むというのは失礼にならないだろうか」

「重要なことってそれですか? 金魚は?」

「考えても分からんことは考えない。情報を得たらそれで完了さァ。今でいえば『土地によって出没匹数は異なる』ってとこだね。さあさあ蕎麦とうどんどっちだい?」


 叶冬は両手を挙げて、右手に蕎麦、左手にうどんを持っているかのようなジェスチャーをした。

 空想の蕎麦とうどんをきょろきょろと見比べうんうん唸っていて、無邪気な姿はまるで子供のようで面白かった。

 秋葉は空想の蕎麦を持っているであろう右手を指さした。


「僕は蕎麦がいいです。せっかく土地の名物があるなら体験したいから」

「やはりそうだよねえ。では蕎麦にしよう! お蕎麦だぁ!」


 叶冬は気合を入れると声を上げて笑いながら立ち上がると、入ったばかりの風呂を出て行ってしまった。

 しかしその時、ふいに叶冬の首筋が見えて大きな傷が目に飛び込んでくる。


(あ、しまった。傷を見られたくなかったのかもしれない。一緒に風呂なんてまずいことしちゃったかな。大浴場が嫌で風呂付の部屋にしたのかも)


 そう考えると、叶冬が一人賑やかにフロントへ電話しているのは嫌な気分を紛らわすためなのじゃないかと思えてきてしまう。


(……勝手な妄想は止そう。店長が何も言わないなら普通にするのが一番だろう)


 ふと景色に目をやればやはり自然が美しい。金魚のいない世界を見たのはいつぶりだろうか。

 帰りたくないな、と思った。

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