第九話 変化(二)

 富が沼を出てその足で金魚屋へ向かうと『黒猫喫茶にいます』の札が掛けられていた。

 金魚屋はいつ来ても客はおらず、大体の場合叶冬は黒猫喫茶にいる。黒猫喫茶の店員は紫音のみのため、紫音が出られない時は叶冬が出るらしい。

 だが黒猫喫茶はメニューが非常に高額で、飲み物はアイスストレートティのみで一杯千円。おかわり割引のような制度はなく都度注文。食事はカレーのみで二千円。デザートも存在するが、ケーキは必ずアイスティがセットで三千円。そのケーキというのも『黒猫の気まぐれケーキ』とやらで提供は一律ではない。

 何故こんな高額なのかと言うと、叶冬と紫音目当てでやって来ては安いメニューで長時間居座る客ばかりで営業にならないためだという。

 ならやらなきゃいいのにと言ったら、叶冬としては何かこだわりがあるらしく絶対に閉店はしたくないらしい。目的はよく分からないが、この高額メニューでもちらほらと客がやって来るのが恐ろしい。

 だが秋葉は注文せず叶冬に会うためだけに入店することを許可されていた。もちろん金魚に関する話をするためだ。

 しかしその黒猫喫茶にも『今は営業していません』という手書きの紙が貼ってあった。せめて休業中という市販のプレートでもかければ良さそうなものだが、メニューの金額からしてまともに営業する気はないのだろう。


「店長。いますか?」

「おおアキちゃん! よくぞ参った! 僕はここだよ!」

「今日もお店やらないんですね」

「面倒くさいんだよ。開けて欲しいならアキちゃんバイト店員やりたまえ」

「時給と勤務時間によります」


 叶冬は本来客が座るであろうソファ席でごろ寝をしていた。このやる気の無さでアルバイトを雇ってどうするというのか。

 そんなことより、と秋葉は富が沼の報告を始めた。佐伯の金魚イベントは怪我人が出たため中止になったこと、金魚の塊が小さくなっていたが新たに金魚を吸収していた様子。

 叶冬はふぅん、と真面目な顔をした。


「どういう現象なんだろうねえ……」

「自然現象じゃないような気がします。前に本能なら一斉に同じ行動を取るはずって言ってたじゃないですか。でも特定の数匹なんですよ。何かしらの意思があるとしか思えないです」

「だとしたらそれは金魚の意思だと思う?」

「そうじゃないですか? じゃなきゃ動かないでしょう。きっとそういう行動パターンがあるんですよ」

「けどアキちゃんが二十年間見たこともないのはパターンと言っていいか微妙だよねえ」

「でも俺は世界各地見てるわけじゃないし」

「まあねえ。じゃあ金魚の行動パターンの一つだと仮定しして、それはどういう目的だと思う?」

「わざわざ行くならそこに用があるんだと思いますけど……」

「そうだよね。でも移動する金魚は他にもいるよね。人間に付いて行くのが。となるとその人間に対して用があるってことになる」

「店長は執着した対象に付いて行くと思ってるんですよね。じゃああの場所に執着してるってことですか?」

「僕はそうだと思う。殺されて悔しい、とか」

「それなら犯人に付いて行きませんか?」

「犯人が分からないのかもしれないよ」

「それなら探し回る気がしません?」

「そういう意思はないんじゃないかなあ。だって留まってるか人に付いて行くかの二択なんだろう?」

「じゃあ生前に自分が認識した範囲に限られますよね。地縛霊みたいなものなのかな」

「あ、でも既に犯人に付いて行っていて、あそこにいるのは全く別の目的の可能性もあるよ」

「となると事件は全く関係無くあの土地に意味があるってことですよね。それじゃあ金魚は執着した場所に行く魂って説は崩れますよ」

「うーん。可能性は無限大だねえ」


 それは良いのか悪いのか。

 けれど秋葉はこの議論ができるのは楽しかった。親にも否定され続けた金魚について向き合うだけでなく、一緒に考えてくれる人間などいなかったからだ。

 自分を抑え込んでいた枷が取れたようでとても気分が良かった。


「とりあえずサンプル集めようかなと思うんです」

「ほう!? 捕まえるのかい!?」

「いえ、それはできないので観察です。撮影できないから俺の目視ですけど」

「観察日記だね! それはいい! ではアキちゃんはうちでバイトをしなさい!」

「え? 金魚観察のですか?」

「黒猫喫茶のだよ。観察場所はこの近辺。うちに出入りするのは固定客だけだから彼らを観察対象にする。ついでに喫茶店もやっておくれよ」

「ああ、なるほど。働きながら観察ってことですね。じゃあバイト代出るんですか?」

「出るとも! いくらがいい!」

「申告制なんですか? 普通は店側が時給を決めるでしょう」

「え~。めんどいなあ。希望くらいおよこしよ」

「じゃあ千五百円もらえたら喜びます」

「うむ! では三千円にしよう!」

「は?」

「アキちゃんに逃げられたら困るからね。金で繋いでおくのさァ」

「逃げないですよ。適正価格でいいです」

「うちは高額喫茶だから適正さ」

「そう言われるとそんな気がしてきますけど……」

「もちろん金魚の情報料も込みだ。適正適正」


 必要としてくれるだけで秋葉は十分嬉しかった。それを繋ぎとめておきたいと、お金を払ってでも手にしておきたいと言う人がいるなんて考えてもみなかった。

 仕事のやりがいとは違うかもしれないが、家から出る言い訳として大学へ通うよりはよっぽど充実しているように感じる。


「じゃあその分頑張ります」

「うむ! これで僕も安心だ! では早速観察をしてくれたまえ。ところで観察って何するんだい?」

「まずはどこにどんな形状のがいて何をしてるか記録してみようかと」

「うむ。それはいい。お絵描きするのかい?」

「それしかないですよね。絵心無いんですけど」

「なら似たような金魚の写真を探したまえよ。なんとも便利な画像検索」

「……意外と文明の利器を使いこなしますね、店長」


 叶冬はレジに置いてあったタブレットを持って来た。

 このタブレットで会計をするのだが、意外にも会計システムと連動させて売り上げ管理ということもやっている。

 慣れた手つきでインターネットに接続しブラウザを立ち上げると、金魚の画像検索をした。確かにこれで似たような金魚を探せば記録も分かりやすい。

 早速秋葉は黒猫喫茶周辺を歩き金魚を探した。たくさんいる土地なら書き留めるのが大変になるくらいにいるのだが、この町はとても少ないのだ。黒猫喫茶近辺にはいなかったので、結局神社まで行き記録を撮ったがそれでも三匹だけだった。


「なあんだ。全然いないね」

「お祭りの時はもっといたんですけどね」

「ん? 時期によって違うのかい?」

「どうなんでしょう。行動範囲が広くて今たまたまいないだけかもしれないし」

「でも移動しないもんなんだろう?」

「俺はそう思ってたってだけです」

「う~ん。お祭りで増えるかどうかは数年かけないと分からんねえ。というか時期なのかい? 人の多さじゃなく?」

「あー……じゃあ人の集まるイベントを定期的にやってみますか? それなら人の増減に左右されるかどうか分かりますよ。黒猫喫茶で誰でも参加できるパーティとか」

「ほお。ついでに儲けようって魂胆だね」

「参加費貰うならそうですね。人集めるなら無料の方が良いと思いますけど、まあ店長と紫音ちゃんが主催ならいくらでも人は来ますよね」

「ふむふむ。アキちゃんはとっても賢いじゃあないか」

「有難うございます。でも伝統行事じゃないですからね。とりあえず神社の行事は全部チェックしましょう」

「行事に左右されるなら他の土地も気になるねえ」

「行事は関係無い気しますけどね。だってこの町は常に少ないんです」

「よし! 旅行だ!」

「え?」


 叶冬は急に立ち上がり、両手を上げて万歳をした。

 最初の頃はこういう行動に逐一驚いていたが、それにももう慣れてきた。そしてこのテンションで決断したことはこちらが何を言っても取り下げることは無い。


「あちこち行ってみようじゃないか! そうすれば情報が集まる!」

「そんなお金ないですよ。新幹線って往復で何万もするじゃないですか」

「なるほど! では僕が経費で落としてあげよう!」

「でも前もそれで出してもらいましたし、さすがに申し訳ないですよ」

「なんの。僕は経費の使いどころがなくて困ってたところなんだ。黒猫喫茶の社員旅行ということにしてどんどん使おう。というわけで次の土日は旅行! ハイ決定!」

「ちょ、ちょっと待って下さい。そんな」

「いいねえ、旅行。僕はあまり旅行をしたことがないんだ。楽しいねえ」

「まだ行ってないですよ」

「計画するところからが旅行さ! さあさあ場所を選ぼうじゃないか!」


 アキちゃんはどこがいいんだい、と叶冬は秋葉を引っ張りタブレットを覗き込んだ。

 既におすすめ旅行プランとやらが表示されていて、様々な旅館や料理が表示されている。温泉が良いなあ、と温泉検索を始めてとても楽しそうだ。


「……実は俺も旅行ってしたこと無いんです」

「おや! そうなのかい! じゃあ旅行素人二人旅だね」

「何ですかそれ」

「まずは王道を抑えようということさ。王道ってどこだい?」

「金魚調査したい場所じゃなくていいんですか?」

「だあってどこにどんなのがいるか規則が分からないんだから行きたいところ行ったほうが良いじゃないか。温泉がいい温泉」

「温泉っていうと草津ですかね」

「じゃあそこ」


 結局、その日は夜まで旅行プランを立てて、気が付いたら外は真っ暗で十九時を回っていてスマートフォンには母からの着信が大量に届いていた。

 いつもなら気になっていただろうけれど、叶冬との旅行プランを立てるのが想像以上に楽しくてそのまま無視して電源を切った。

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