第九話 変化(一)

 秋葉は母親からの連絡が嫌いだ。

 内容は決まって報告の要求ばかりで、友達はどういう性格でどんな趣味でどんな経歴か、マンションはどんな人が住んでいるか、近所付き合いはどうしているか――とにかく状況把握をしようとしてくる。

 一人暮らしの条件として買い与えられたスマートフォンは位置情報を把握できるようにされていた。当初は仕方ないと受け入れたが、しばらくしてわざと壊して買い替えたりもした。それが事後報告だったので酷く怒られたが、これは父親もあずかり知らぬことだったようで「やりすぎだ」と秋葉の味方をしてくれた。

 これを母親は「あなたは息子が心配じゃないの」と言い夫婦喧嘩に発展し、面倒になった秋葉は両親がやりあっている間に一人暮らしのマンションへと帰った。夫婦喧嘩がどうなったかは知らないが、母から新しいスマートフォンが送られてきたあたり父が敗北したのだろう。

 また子供の頃のような事件を起こさないかの監視をしたいのは分かるが、さすがに嫌気がさしていた。母が送ってきたスマートフォンは初期化して母専用として使っている。用途に応じた二台持ちと思えば悪くはない。

 しかしさすがに無視できないメールが母から届いた。いつものような要求ばかりの長文ではなく、たった一行だ。


「倒れた!?」


 内容はたった一つだけで『体調が悪くて倒れました。入院は必要ないけれど、できれば顔を見せに来てくれると嬉しいです』のみだった。

 このところ電話は「うん」「分かった」「じゃあね」の三種類しか返していなかったし、写真を送る時も一言添えることもしていなかった。秋葉にしてみれば鬱陶しいだけのことだが、母にしてみれば心配が募り心労が重なることだったのかもしれない。

 週末は隆志と買い物に行く約束をしていたが、今回ばかりはそれもキャンセルして朝一番の新幹線で実家へ向かった。


「ただいま! 父さん!」

「秋葉? なんだ、どうしたんだ。急に帰って来るなんて珍しいな」

「そりゃ帰るよ。母さんは?」

「母さん? 昼ごはん作ってるぞ」

「料理? 大丈夫なの、そんなことして」

「大丈夫って、何言っ――」

「アキちゃん! よかった! 帰って来てくれたのね!」


 首を傾げる父を押しのけて飛び込んできたのは母だった。

 嬉しいわと笑いながらはしゃいでいて、顔色が悪いわけでもなく怪我をしてる様子でもなく、見るからに健康そうだ。


「父さん。母さん倒れたんじゃなかったの?」

「倒れた? なんの話だ。別に何も無いぞ」

「……は? 何? 嘘?」

「嘘? おい、まさか病気だとでも言ったのか?」

「だ、だって。そうでも言わなきゃアキちゃん帰って来てくれないんだもの」


 秋葉は大きくため息を吐き、呆れたように父親もため息を吐いた。

 母親はだってぇ、と子供のようにしょんぼりしていたがかわい子ぶりっこした素振りは不愉快なだけだった。


「友達の約束断って来たんだけど、俺。嘘って、何なのそれ」

「なあに、その言い方。お母さんとどっちが大事なの」

「本当に倒れたならそうだけど、嘘なんでしょ」

「でも本当だったらどうするのよ」

「だから! ああ、もう……」


 ――この人とは意思疎通ができないんだ。

 秋葉はそう飲み込んで、母ではなく父に目を向けた。


「連絡は全部父さんが電話でして。それ以外は無視するから」

「……そうだな。分かった」

「無視? 何言ってるの。夜の電話と写真はなきゃ駄目よ」

「もう止める。じゃあね」

「アキちゃん! 何言ってるの! 待ちなさい!」

「母さん、もういいだろう」

「よくないわ! また昔みたいになったらどうするの! ちゃんと見ててあげないと!」

「秋葉だって大学生だ。そううるさく言うな」

「うるさくなんてないわ! ねえ、アキちゃん!」

「秋葉。いい。行きなさい」

「うん」

「お父さん! どいてちょうだい!」

「いい加減にしないか。秋葉が帰ってこない理由はそれだぞ」

「何がよ! そうやっていつもいつもアキちゃんのことに無関心で!」


 ――ああ、まただ。

 距離を置けば多少気持ちが落ち着いて、家族とも冷静に会話ができるようになるだろうと思う時もある。今日だって純粋に心配をしていたのだ。

 それがいつもかみ合わずこうして不愉快な思いをして終わる。

 秋葉はきゃんきゃんと喚く母親に背を向けて、はたと思い出し父だけに顔を向けた。


「父さん。最近春陽のこと誰かに話した?」

「春陽? いや、特に無」

「ハルちゃん!? ハルちゃんがどうしたの!?」

「……特に無いな。急にどうした」

「別に。ただ――……」


 秋葉にとって、今の母親は鬱陶しいだけだ。父親については特に可もなく不可もなく。


「生きてたらどう思っただろうなって」


 玄関の戸を開くと、そこらにたくさんの金魚が飛んでいた。

 叶冬はこれが死者の魂ではないかと言った。


「あ、アキちゃん。妙なこと考えないで。アキちゃんまでいなくなったらお母さん」

「じゃあね」

「アキちゃん!」


 母の喚く声がうるさかった。もし生きていたら春陽はどう思っただろう。


「……この町は金魚が多いな」


 家を出ても母が喚いている声は聴こえていた。

 たまたま通りかかった見知らぬ男性が訝しげに見ていて、自分もその目を向けられる対象に含まれるのが嫌で足早に家を離れた。

 どこでもいいから別の場所へ行きたくて無計画に駅へ駆け込んだ。着いた電車にとりあえず乗り込み空いている席に座り込む。


「すごい……わずか数分で一年分のストレスを受けた……」


 いつもならやらないが、乗客がほぼいないのをいいことにだらりと手足を放り出した。

 こんな場所に留まりたくないからすぐに帰ろうかと思ったが、どうせ電車代を払うのなら少しでも有意義な何かを得ないと割に合わない。少なくとも新幹線代と夜行バスの差額分くらいは何かが欲しい。

 しかし実家近くで有意義なものなど何があるだろうか。


「……そういや富が沼の金魚どうなったんだろう」


 すっかり忘れていたが、叶冬は金魚を貸さなかったのだから他からレンタルをしたはずだ。

 それ以上にあの金魚の塊がどうなったかが気になる。


「どうせすることないし、行ってみるか」


 ちょうど電車が富が沼に着き秋葉は飛び降りた。

 北口へ出てショッピングモールへ向かい、水槽が吊ってあった柱を見上げるとそこにはもう何もなくなっていた。イベントの日程はまだ先だったはずだが、どこもかしこも水槽は撤去されている。

 さすがに少し気になって、商品陳列をしている薬局の若い男性店員に声をかけた。


「すみません。吊ってた金魚ってどうしたんですか? 金魚使ったイベントやるんですよね」

「ああ、ありゃ片付けたみたいだよ。イベントも中止」

「中止って、金魚が借りれなかったからですか?」

「反対が出たんだよ。水槽が落ちて怪我人が出て、それを佐伯さんは俺のせいじゃない! 地震のせいだ! とか言い張って。地震ていつよ」

「うわあ……」

「何。あんた関係者?」

「いえ、町おこししてるって聞いて。前まで近くに住んでたから気になったんです」

「優しいねえ。あんなアホなことする奴がトップにいる時点でこの町は駄目だな」


 内心ではだろうなと思いながら、だがまさかそんなことを口にすることもできず「大変ですね」と無難なことを言ってその場を去った。

 貸し出さなくてよかったなと胸を撫でおろしたが、その時ひゅっと赤い何かが視界の隅で跳ねた。

 ――金魚だ。金魚が数匹、見たこともない勢いであの塊へ飛び込んでいるんだ。


「な、何で? こんな動いたりしないだろお前ら」


 秋葉は目を疑った。

 金魚は通常、単独で長距離の移動をすることは無い。移動をするのは人に付いている金魚だけだ――と秋葉は思っていた。実際そういう金魚しかいかいからだ。

 けれどこのあたりにいる金魚のうち数匹が塊へ向かって飛んで行っている。まるで吸い込まれるように塊へ飛び込むが、よく見ればその総数は減っているようにも見える。以前見た時よりも塊が一回り小さくなっているのだ。


「……減った分を増やそうとしてるのか……?」


 だがそれにしては吸い込まれる金魚の数が少ない。それともこのペースで吸い込み続けていくのだろうか。

 それにしては塊へ向かう金魚と向かわない金魚がいる。全てではないのだ。一体どういう基準で選別されているのだろうか。されているのだとしたら選別をしている主体は何なのだろう。

 考えてもさっぱり分からず、とりあえず写真を撮ってみた。当然金魚は映らない。動画ならどうだと撮ってみるが、やはり映ってはくれなかった。


「仕方ない。描くか」


 これはやはり叶冬に報告が必要だろう。秋葉は撮った写真にどれだけの金魚が集まっているのかを絵で描き込んだ。

 だからどうなるわけでもないが、これは来た価値もあった。やはり金魚というのは流動的な意図があるのだ。


「それが誰のどんな意図か、だよなあ」


 こればかりはいくら何を考えても分からない。

 また叶冬と見に来ようと、多少の充実感を覚えて秋葉は帰宅する新幹線の手配を始めた。

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