第七話 金魚の襲撃(三)
ついに依都たちの出演するライブが始まった。
ボーカルは依都と雛依の二人で、ギターが神威、ベースが更夜、ドラムが黒曜というテイストが分かりやすい名前の彼らは皆黒尽くめだ。彼らが登場すると客席からは恐ろしいほどの黄色い悲鳴が飛び交った。音楽性を好きなのかどうかは分からないが、メンバーのビジュアルが好きなのだろうことは一目瞭然だ。
見た目からするにきっと激しいロックバンドなのだろうと思っていたがしっとりとしたバラードもあり、依都と雛依の可愛らしさを活かしたまるで双子のアイドルのような曲もあった。
秋葉はバンドの良し悪しは分からないが、これはなかなか面白くて魅力的だった。けれど一つだけ気になったのは、神威がずっと下を向いて顔を上げないことだ。
「店長。あれもしかして金魚を見ないようにしてるんですかね」
「んー、僕なら襲ってこないように見張っておきたいけどねえ」
「でも触れないし。見なければいいってのは分かりますよ」
んー、と小さく唸ると叶冬はそれきり黙ってしまった。やはりこの騒然とした中に紫音を連れている以上、あまり余計なことで騒ぎたくないのかもしれない。
今日はもともと何をするつもりもなかったし、せめて観察だけしておこうとステージに意識を戻した。
けれど結局ライブ中は何も起きず、神威が暴れるようなことも無く終了した。あまりにもあっさりとしていて拍子抜けだ。そしてそれは紫音もそう感じたようだった。
「何にもなかったね」
「まあ、俺も今まで騒ぎになったことなんてないしね」
どうせ誰にも見えはしない。自分から言い出さなければ何も騒ぎにはならず、騒げば白い目を向けられるのが金魚だ。
終わったらフロアで待っててくれと言われたが、トップバッターで終わられてしまうとこのあと全バンドを見なければいけないことにようやく気がついた。
チラシを見ると、登場するのはあと六組。他にもセッションやらなんやらと、オーディションだからか色々なことをするようだった。しかも終わるまで四時間以上ある。
ライブ後に会うとしても一旦外に出るか、紫音もいることだし帰ろうか叶冬に提案しようとしたが、その時、わあ、と大きな悲鳴が上がった。
「何だい何だい」
「……神威君じゃないですよね……」
「うーん……」
困ったねえ、と叶冬は面倒くさそうに眉をひそめた。
いつもなら率先して飛び込んだだろうに、その腕はがっちりと紫音を抱きしめている。
「アキちゃん、悪いけど今日は帰ろう」
「ああ、はい。そうですね」
万が一暴力沙汰にでもなったらたまらない。
秋葉は大人しく叶冬に付いて行こうとしたが、アキ、と先ほどまでステージで歌っていた美しい声に呼び止められた。
「アキ! 来てくれ!」
「依都君。ごめん、今日はちょっと」
「頼むよ! 神威が金魚に噛まれたんだ!」
「は?」
思わず叶冬と目を合わせた。いつもなら秋葉が止めても我先にと見に言っただろう。だが今日は紫音がいる。
「アキちゃん。悪いけど僕らは先に帰るよ」
「いいよ、かなちゃん。私先に一人で帰るからアキちゃんと一緒に」
「駄目だよ。こんなところ一人で歩かせるわけにいかない。ごめんよ、アキちゃん」
「構わないですよ」
「おい! 待てって!」
「俺がいればいいでしょ。店長は金魚見えないし」
「あ、ああ、そうか。そりゃまあ……」
「ごめんよ。それじゃあね。紫音、おいで」
「う、うん……」
紫音はごめんねと秋葉に謝り、泣きそうな顔で叶冬にしがみついた。
ごめんね、来なければ良かったね、と言っていたけれど、叶冬は気にすることは無いよ、と優しく頭を撫でて去っていった。
「おい。ちょっと来てくれって」
「あ、ああ、うん」
依都に手を引かれて楽屋へ入ると、椅子に座っている神威がいた。しかし右肩からは血が流れている。それも切り傷ではなく、ぷつぷつと幾つかの穴が開いている。まるで何かの歯形だ。
スタッフらしき女性が手当てを始めていたが、明らかにそれは歯形で全員が困惑していた。
「なあ。ここに金魚っているのか?」
「いない。でも金魚は触れないんだ。噛みつかれることなんてないよ」
「けど噛みつくような生き物いねえぞここ」
「俺に言われても……」
はっきり言って何の力にもなれない。むしろ秋葉自身も巻き込まれるかもしれないと思うとあまり長いはしたくない。
「血が止まらないわ。病院行きましょう」
「じゃあ俺車取ってくる。より! お前付いててやれよ!」
「うん! アキは」
「ごめん。俺も今日は帰るよ。今度ゆっくり話そう」
「……そうだな。ああ。じゃあ明日金魚屋に行く」
「分かった。お大事に」
秋葉は薄情だろうかと思いつつも、ステージ上の金魚を睨みながらライブハウスを出た。
念のため周囲を見渡すが、この付近には金魚は見られなかった。
――仮に襲ったのが金魚だとして、何故噛みついたのだろう。
恐れている以上、神威から手を出すとは考えにくい。しかもピンポイントで神威を狙ってきたということは、金魚を見れる者には金魚にとって何かしらの利益、もしくは害を成す存在なのかもしれない。
噛みついた目的は殺すことなのだろうか。それとも。
その夜、秋葉は夢を見た。
手足は人間だった。金魚になる夢ではない。けれど何かを食べている。手はその汁で汚れている。その汁は真っ赤だった。まるで血のように。
しかし何を食べているのだろう。自分では見えない。
ぺっと口からそれを出すと、それは真っ赤な金魚だった。
「わああああああ!」
はあ、はあ、と飛び起きた秋葉は吐き気をもよおし洗面所へと駆けこんだ。
食べた夕飯をすべて吐き出し、何度も何度も手を洗った。
――夢だ。
そう何度も言い聞かせた。けれどそれ以上眠るのは恐ろしくて、秋葉はそのまま夜を明かした。
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