第七話 金魚の襲撃(二)
「さてアキちゃんどう思う?」
「不思議ね、他にも見える人がいるなんて」
「そうだけど、それよりも怖がってる理由が気になるかな。別に怖くないし」
「急に見え始めたら怖いんじゃないかしら」
「そうだとしても、本当に金魚なんだよ。襲ってくるわけじゃないし見た目が凶悪なわけでもないし」
ただ富が沼で見た塊なら別だ。あれは確かに気持ちが悪かった。
けれどあのレベルの金魚は秋葉ですら初めて見た。外出が恐ろしくなるほど頻繁に見る物でもない。
「とにかくこのライブ見に行ってみましょうか」
「そうだね。どこに金魚がいるんでしょうクイズはできるし」
「私も行」
「紫音は駄目」
「ええ!? どうして!?」
「駄目に決まってるだろう! あんな怪しげな子がわんさといる場所に行くなんて!」
「怪しいならかなちゃんだって怪しいじゃない!」
「にゃにおう!?」
紫音は大人しい顔をして随分はっきりというものだ。
絶対行くんだから、と紫音はチケットを奪いばたばたと喫茶店を出て行ってしまった。
「……目の届かない場所でこっそりされるより連れて行った方がいいんじゃないですか?」
「ああ、もう! 普段は大人しいのになんだってこんな時ばっかり!」
それはおそらく、大好きな兄と遊びたいだけなのではないだろうか。一緒に出掛けられるのが嬉しいようだったし、ここまで来て仲間外れにするのも気が引ける。
「それにライブ後じゃちゃんと話もできませんよ。また時間取って話そうって、帰る言い訳にもできますし」
「おや。アキちゃんはじっくりみっちりお喋りする気なのかい?」
「そりゃまあ、やっぱり気になりますし」
気になる理由は二つある。
一つは単純に金魚が見える者同士ならその大変さや辛さを理解し合えるかもしれないという期待だ。
もう一つは金魚を怖がる理由だ。秋葉は金魚が見えること自体は恐ろしくはない。恐ろしいのは金魚になっていく悪夢だ。ならば神威には金魚を恐ろしいと思う別の理由があるのかもしれない。例えば怪我をさせられるような物理的な弊害があるのか、それとも精神的に良からぬ影響を及ぼしているのか。
だとしたらそれはいずれ秋葉にも起きることなのかもしれない。そう思うと一度会ってみたい気持ちは強かった。
「……じゃあ紫音も連れて様子見としよう」
「ええ。そ」
「やったあ!」
「うわあ」
「やったー! お出かけ!」
「お前、なんてとこから出て来るんだい」
紫音は待ち構えていたのか、叶冬の後ろにある窓から飛び込んできた。やはり兄妹だ。
「いいかい。僕の側を離れてはいけないよ」
「うんっ」
「お手洗いは済ませておくんだよ。ライブハウスなんて小汚い場所でうろついてはだめだ」
「うんうんっ」
「服はズボンにおし。脚の出てるスカートなんて万が一があってはいけないからね」
「うんうんうんっ」
それからあれもこれもと子供の遠足のような注意事項が続いた。
それはまるで秋葉が母親から強いられたルールよりも細かいけれど、紫音は嬉しそうに聞いている。秋葉はこういうのを家族っていうんだろうな、と思ったりした。
そしてライブ当日。秋葉はライブというものは未経験だったせいもあり、その雰囲気に圧倒された。
薄暗い地下の室内にひしめき合う無遠慮な客。どこかに紫音を座らせようかと思ったが座席などなく、想像以上の過ごし難さに秋葉はめまいがした。
「アキちゃん帰るかい?」
「い、いえ。大丈夫です。それよりここちょっと変です」
「む? 何がだい?」
「金魚がいるんです。ステージに八匹」
「八。それは多いのかい?」
「多いと言うより珍しいです。せわしなく泳いでるんですけど、ステージから出ないんです。ずっとステージにいます」
「ああ、室内にちょいちょいじゃなくて」
「はい」
秋葉の経験からすると、金魚は一か所にとどまって動かないか人に付いて行くかのどちらかだ。こんな風に特定のエリアの中だけを動き回ることは無い。
「ここは特別な場所なのかなあ」
「富が沼みたいにですか? 何の関係もない土地ですよ」
「事故物件なのかもしれないよ」
「えー。ここに未練があるだけじゃないの?」
「未練?」
「だって金魚って魂なんでしょ? 私だったら『もっとこういうことしたかった』って未練のある場所に行っちゃうと思うな。例えばほら、今日みたいにレーベルの人に見てほしかった! とか。だからせっせと動いてアピールしたいのよ、きっと」
「ああ、なるほど……」
それは何だか説得力のある説だ。それならば人に付いて回るのも説明がつく。未練の対象が場所ではなく人だったのだろう。
依都から貰ったチラシを見ると、客席投票というのがありそれがオーディションの得点にも含まれるようだ。ここで優勝すればデビュー確約となっている。
「このオーディションに落ちた後に亡くなったとか」
「オーディションに受かったのに亡くなったならそれも未練よね」
「……依都君に投票して帰ろう」
「駄目よ。公平にみなくちゃ」
「けどこういうのって組織票だよ。客席投票ってどれだけお客さんを呼べるかを見るんだろうし」
「そうだねえ。歌がうまくたって売上にならなきゃ意味がない」
「えー。夢が無い」
「商売に夢なんてないのだよ」
「でも一般のお客さん入ってるなら依都君のバンドは票集めそうだよね。神威君てすごい格好良いよ」
「んー、私はこっちのひよちゃんがいいな」
「ひよちゃん?」
「雛依君だって。可愛い」
「本当だ。依都君の兄弟かな。名前似てるね」
「えー。芸名でしょ。二人とも可愛いけど似てないよ」
「こっちの更夜って人と神威君は似てるよ」
「ならそっちは兄弟なんじゃない?」
思いのほか依都のバンドについて盛り上がり金魚から話が逸れたが、珍しく叶冬は何も言わなかった。もっといつものように迷惑を掛けながら騒ぐかと思ったがとても静かだ。
そういえば着物も羽織っていないし、やはり紫音に何かあってはいけないと控えているのかもしれない。
良くも悪くも紫音が錘となり、依都のバンドについてあれこれ話していると、フッと灯りが消えた。
「あ、始まる!」
「一番最初なんだよね」
「うん! 前行く!?」
「こら。駄目だよ。後ろで大人しく見る約束だ」
「やっぱり?」
紫音はぴょんと跳ねて前へ行こうとしたが、がっちりと叶冬に抱き込まれた。今日は金魚どころじゃないな、と兄の顔をする叶冬の姿が妙にくすぐったかった。
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