第七話 金魚の襲撃(一)

 謎の金魚少年を連れて御縁神社まで戻ると、紫音は喫茶店のほうでお茶の用意をすると言って走って行った。

 そして叶冬はというと、通らなくても良い水族館をわざわざ通ってのんびりと喫茶店の方へと向かっていく。もちろん目的はこの少年のリアクションを見ることだろう。


「なっ、んだこりゃ」

「金魚だよ」


 少年は素直に驚いた。

 秋葉としては、金魚の水槽を記憶だと言った叶冬のように不思議なことを言い出すかと思ったがそうでもないようだ。うわあ、と驚き続けている。


「金魚に感動する金魚少年よ。仮に空飛ぶ金魚がいたとして、だからなんなんだい?」

「あんたには関係無」

「アキちゃん、帰るなら送っていくよ」

「え?」

「おい!」


 秋葉を餌に少年を釣ろうということか。

 ううんと秋葉も首を傾げたが、しかし秋葉もこの少年を無視することはできない。


「用件は何? 目的が分からないとこっちもどうしようもないよ」

「……悪かった。ただ話がしたくて」

「なるほど! 金魚少年ズだね!」

「は?」

「あ、気にしないでいいから」

「そんじゃあまあ一先ずのんびり白湯でも飲むとしようか」


 白湯ということばに嫌な予感がし、喫茶店に入ると叶冬が出したのは『金魚湯』と書かれたペットボトルだ。

 少年も大きな目をぱちぱちとさせている。まあそうだよなと心の中で大きく頷いたが、すかさず紫音がアイスティーを出してくれた。紫音がいてくれてよかったと息を吐く。

 秋葉も少年も紫音の紅茶を飲んだが、叶冬はぐびぐびと金魚湯を飲み干した。ただのお湯なのだろうけれど、やはりこれは受け入れがたい。


「で、君は誰で何歳で何者だ! 四十文字以内で述べよ!」

「……依都。『Jujube』ってバンドのボーカルをやってる。大学一年だ」

「うむ。四十文字以内」

「じゃなくて、え、大学生なの?」

「んだよ。悪いか」


 高く見積もっても高校生、一見した印象では中学生かと思っていただけに驚きだ。まさかこんな幼い風貌で一歳しか変わらないとは恐ろしい。


「あんた名前は?」

「ああ、俺は」

「この子はアキちゃんだよ。僕のことは店長とお呼び」

「……そうかよ」


 依都は物分かりよく諦めたようで、まあいいやとさておき身を乗り出し秋葉をぎろりと睨んだ。


「なあ。空飛ぶ金魚ってのは本当にいるのか?」

「ん? 君見えるんじゃないのかい?」

「俺じゃない。神威が、うちのギターがそう言うんだよ」

「ほっほう。いかにもバンドマンっぽい名前」

「うるせえよ。んで、こいつが練習中もライブ中も金魚が出たとか騒いでその度に中断だ。さっきアクアリウムん中でも騒いで一人で帰っちまったよ」


 さては先ほどの騒ぎはそれだったのだろうか。

 こんな騒ぎだったとは、紫音に首を突っ込ませなかった叶冬は正解だ。


「神威君は昔からそうなの?」

「いや。ガキの頃からの付き合いだけど、言い出したのはここ一年くらいだ。もう大学にも行かなくなった」

「大学生? 同じ歳?」

「一個上だよ。二年」

「ほうほう。アキちゃんと同じ歳でしかも一年前」


 一年前。叶冬が言いたいのはおそらく、一年前秋葉がこの街に来たのと同じタイミング――ということだろう。

 だがそれを言ってどうなるものでもないし、妙な疑惑を持たれるのも嫌だ。それは言わないでくれと叶冬に目配せすると、自信満々の笑顔で大きく頷いてくれた。

 しかし叶冬はまた予想の斜め上をいく。


「ところで神威君とやらの周辺で死んだ人はいるかい?」

「は?」

「ちょ、ちょっと、店長。止めて下さい」

「重要なことさ。いる? いない? いるだろう?」

「何であんたにそんなこと」

「アキちゃん、そろそろ帰るかい?」

「……餌にするの止めてもらえます?」

「いやいやあはははいやいや」


 せめて肯定か否定かしてほしいものだ。そうすれば文句を言い返すこともできると言うのに。初対面の少年と息ぴったりにため息を吐いてしまった。


「本人いねえのにンなプライベート教えられるか」

「まあそうだね。うん、正しいよ」

「じゃあさあ君さあ、よりちゃんさあ、なんでそんな与太話信じたの。金魚教なのかいね?」

「よりちゃん?」

「依都くんだからよりちゃん!」


 にぱっと笑顔で解説したのは紫音だった。

 ――ここは止めずに乗っかるのか。

 秋葉はこの兄妹に行動制限は無理だなと理解した。


「最初は何バカなこと言ってんだって思ってたけどよ、ああも騒がれるとさ……」

「そりゃいきなり見え始めたなら驚くよね」

「あんたは驚かないのか?」

「俺は生まれつきだからもう慣れた」

「へ? 生まれたときから?」

「うん。でもどうにもできないよ。本当に飛んでるだけなんだ」

「何でだよ! 見えるんだろ! どうにかできないのかよ!」

「できたとしてもアキちゃんがどうにかしてあげる義理はないね。大体本人の意向が分からないのに何しろってんだい」

「ああ、そうですよね。神威君はどうしたいの?」


 依都はばつが悪そうに舌打ちすると、乱暴に一枚のチラシを机に叩きつけた。そこには依都が中心に立っているバンドの写真が使われたライブの告知が書かれている。


「来週だ。あいつも出るから見に来てくれ」

「出ないんじゃなかったの?」

「レーベルの人間が見に来るんだ。引っ張ってでも連れてく」

「金魚騒ぎ起こされたらデビューもくそもないんじゃないかい?」

「だからあんたも来てくれよ。金魚が見える同士、話したくなるだろ」

「ははあ、餌かい」

「そんなつもりはない。でも頼む。来てくれ」


 心配しているのだろう。秋葉の両親も、言い方もやり方も不愉快だが根っこは心配してくれていた。

 秋葉はまるで異常者のように扱われたけれど、こうして思いやってくれる人がいるのならそれは助けてあげたいと思う。


「話すくらいならいいよ」

「ああ! 助かるよ! 終わったらフロアにいてくれ! 連れてくから!」

「分かった」


 依都はチケットを三枚くれた。おそらくこの三人で見に来いということだろう。

 紫音も受け取ろうとしたけれど、それは叶冬が横から奪い取った。行かせないつもりなのだろう。

 まあいいけど、と依都は少し不満げだったが、練習があるからと足早に帰って行った。

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