第六話 新たなるの金魚の少年(二)
予想を裏切って穏やかな叶冬の運転で四十五分ほど街から離れた方向へ進んだ。
民家もこれといった施設もなくなってきたころ、ぽつんと一軒の建物が見えてきた。全体が真っ白で窓はひとつも無くて、まるで箱のようだ。
「凄い真っ白ですね。掃除大変そう」
「んえ~? 他に感想ないのかい?」
「そういわれても……」
「ふふっ。これアクアリウムのために建てたの。だからそういうことは考えてないと思うわ」
「え? わざわざ?」
「そうよ。終わったら何するのかしらね、ここ」
金持ちの道楽が過ぎる。せめて駅から近ければマンションに改築して貸出も良いだろうが、車で一時間近く走らないといけない距離はとても住宅には向かないだろう。周辺にはコンビニすらないし、生活には不向きだ。
けれど入場客は数人だが列を作っていて、それなりに人気イベントのようだった。金持ちの考えることは分からないなと首を傾げたが、中に入ってみたらそんな考えは吹き飛んだ。
「うわぁ……!」
「すごーい!」
会場内は一面鏡張りだった。壁は水槽でできているのかと思うくらい三百六十度水に囲まれている。
泳いでいるのは金魚ばかりで、いつもなら多少恐ろしく感じる金魚も不思議とここの金魚は可愛らしく見える。それも光による演出があまりにも美しいからだろうか。
客はぐるりと館内を動画に収めていたが、どこもかしこも水なのでどこを撮っているか分からなくなりそうだ。
うっとりと息を吐いて見惚れていると、それをすべてぶち壊す者がいた。
「おお! 可愛い我が子たちよ!」
「ちょ、ちょっと、店長静かに」
「あれはうちのあそこのそこに置いてあるあの金魚だ!」
「え!? ちょっと!」
叶冬はよし行こうと叫ぶと、他の客を無視して一人でぴゅうっと走って行ってしまった。
妹が奇異に見られると困るなどと言っていたのは誰だったか。その妹は面白そうにクスクスと笑っている。
服の前に行動を控えろと言うべきだったか。客がじろじろと訝しげに見ていて、この視線を浴びながら順路を飛ばして追いかける勇気はない。
「……ゆっくり行こうか」
「そうだね。私もアキちゃんの話聞きたいし」
「俺の? 別に面白い話ないよ」
「あるわよ。アキちゃんは空飛ぶ金魚が見れるんでしょ?」
「え? あ、ああ……まあ……」
「ねえ、金魚ってここにもいるの? 水槽じゃなくて飛んでる子よ」
「……あのさ、それ信じてるの?」
「だってかなちゃんがそう言ってるし。ねえ、いる?」
兄の言葉だったとしても馬鹿にするのが普通ではないだろうか。実際秋葉の親は嘘つき呼ばわりをして監視するほどに異常者扱いだ。
それがこんな風に無邪気な笑顔で受け入れる家族もいるのだと思うと羨ましい。
「いないよ。この街は凄く少ないんだ」
「えー。つまんないの」
「見たいの?」
「そりゃあもちろん! 飛んでる子はどんな顔してるの?」
「顔って、顔は金魚だよ」
「じゃなくて。人間だって顔は違うでしょ?」
「どうだろ。見分けようと思ったこと無いからな」
「えー。もったいない!」
「なにが?」
「金魚がよ。素敵じゃない、空飛ぶ金魚なんて!」
「はは。紫音ちゃん店長に似てるね」
「え!? かなちゃんに!? どこ!?」
「あ、顔じゃなくて考え方。やっぱり兄妹だよね」
「ああ、そういうことね。うん」
空飛ぶ金魚が素敵。そんな風に言われたことは一度もない。金魚の話をして受け入れられる場合もあるが、大体が可哀そうな子供を同情しているだけだった。
叶冬はずっとこんな風に受け入れてもらえていたからあんなに明るく面白げにいることができるのだろうか。
「店長って昔から金魚が好きなの?」
「……ううん。嫌いだと思うよ」
「嫌い? どっちでもいいわけじゃなくて、嫌い?」
「多分だけど」
「でも、嫌いなのに金魚屋なんてやる?」
うーん、と紫音は困ったように秋葉から目を逸らした。
てっきり金魚好きが高じて金魚屋をやっているのかと思っていたが、嫌いでもやらざるを得ない理由でもあるのだろうか。
回答を求めて紫音をじっと見ていると、それに気づいた紫音はまた困った顔で小さく微笑んだ。
「かなちゃんが何も言わないなら聞かないであげて。色々ね、あったんだ」
「金魚関連で?」
「それ以外も。ちょっと奇異なくらい別にいいわ。かなちゃんが無事ならそれでいいの」
それは明らかに何かあったということだ。
本人も奇異だと分かっているあの服装と行動にはやはり何か理由があるのだ。
「アキちゃん、かなちゃんとお出かけしたでしょう? 私嬉しかったの」
「そうなの? 何で?」
「かなちゃんはもうずっと誰とも縁を持たなかったから。私も――……かなちゃんとお出かけなんて何年ぶりだろ」
「それはインドア派だからってことではなく?」
「んー……」
紫音はそれ以上は答えたくないとでもいうかのように、頭上を泳ぐ金魚を見上げた。
「覚えてるのはきっともう私だけだから」
――不味いこと言ったのだろうか。
紫音は妙に寂しそうな顔をして横を通り過ぎる金魚を目で追いかけた。
気まずい空気になってしまったが、紫音はにっこりと微笑みぎゅうっと腕にしがみ付いてくる。
「ねえ、連絡先教えて! かなちゃんのお友達なら私も仲良くなりたい」
「あ、ああ、うん。じゃあライ」
「何をしてるんだあ!」
「ぐえっ」
「離れろ離れろぉ!」
「お、俺じゃな、ぐえっ」
先行していたはずの叶冬が何故か後ろから突進してきて、ギリギリと首を絞められる。
紫音はあははと笑っていたけれど、このふざけた明るさは何かを誤魔化しているのかもしれない。そう思うと周囲の白い目くらいは受け入れようと、一緒になって暴れ回った。
そして当然のように警備員につまみ出された。
展示エリアから追い出されると、やけにざわついていた。そんなに自分達は騒ぎになっているのかと思ったが、どうやら他の客も騒動を起こしているようだった。
「何かしら」
「こら、行くんじゃないよ。危ないことだったらどうするんだ」
「そうだよ。店長みたいのがいたらどうするの」
「ちょっとアキちゃん。それはどういう意味だい」
「そのままの意味です」
本心だが、また妙な空気にならないように和ませるつもりで秋葉はわざと笑ってみせた。
兄はぎゃんぎゃんと騒ぎ妹はきゃらきゃらと笑っていて、やっぱりこの調子が良いのだろうなと安堵のため息を吐いた。
「まったくひどい言いがかりだよ」
「あ、お土産売ってますよ」
「アキちゃん少しは人の話を聞きたまえ」
「金魚がいっぱいいますよ。あ、風鈴可愛いですね」
「むきぃ! ふんだ! もういい! 紫音おいで! 何か買ってあげよう!」
「本当!? やったあ!」
叶冬は妹の肩を抱いてお土産エリアへと突進して言行った。
秋葉も後を付いて行こうと思ったが、その時ぬうっと目の前を金魚が通過した。突然のことに驚いて、うわっと叫んでよろめくと何者かにぶつかってしまう。
「わあ!」
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
「はい。僕もよそ見してて。すみません」
秋葉はよろめいただけだったが、ぶつかられた方はころりと尻餅をついていた。十代だろうか、女の子のような可愛らしい顔をしているが少年だ。しかし顔に似合わず髑髏柄のダメージTシャツに黒地に血が飛び散ったような柄のダメージジーンズという気合の入った格好だった。
けれどその手には金魚のストラップという可愛らしい物を持っていて、丁寧な挨拶やぺこぺこと頭を下げてくれるあたり背伸びして悪ぶっているように見える。
「おお、おお、どうしたんだい。何も無いところですってんころりしおってからに」
「や、突然金魚が飛んで来たから」
「え!? どこから!?」
「壁から。こいつら建物はすり抜けて来るんだ」
「へー! 可愛いー!」
「壁すり抜けるのが?」
女の子だからか叶冬の妹だからか、紫音も独特な感性だ。
兄妹はすり抜けてるところが見たいとはしゃいでいたが、その時ぐいっと強く腕を引っ張られた。あまりにも唐突で、秋葉は再びよろめいたが振り返った先にいたのは先ほどの愛らしい少年だった。
「テメェ今なんつった!」
「……はい?」
「金魚が飛ぶって言わなかったか」
「え、あ、いえ、そんなことがあったら素敵だねって話で」
「嘘吐け! 壁すり抜けるとか言ってたじゃねえか!」
――何だこの変貌ぶりは。
さっきと随分態度が違い、しかも何故金魚の話に怒り心頭食いつかれたのか分からず戸惑いを隠せない。
何だこの事態はと頭を抱えたが、少年は秋葉を見上げながら胸倉を掴んで引っ張ってきた。
「ちょ、ちょっと、君一体」
「お前も空を飛ぶ金魚を見るのか。そうなのか」
「え?」
「どうなんだ! 本当に見えるのか!」
「お前も、って、え? あの、まさか」
君も金魚が見えるの、と聞こうとしたが、それよりも早くに叶冬が間に入ってきた。
「ちょいとお待ちよ少年。そんな凄まれちゃあ話もできやしない」
「……なんだお前。関係無い奴はすっこんでろよ」
「関係あるよ。僕はこの子の保護者なんでね」
「はあ? 同じくらいじゃねえかお前ら」
「僕は三十五歳でこの子は成人したばっかりの未熟成人だ。そんなもんだから話は僕が代わりに聞こう。何しろ僕は金魚屋だからね」
「金魚屋!? あんたも見えるのか金魚!」
「いいやまったくこれっぽっちも見えないよ」
「……あ?」
「この人は金魚専門水族館の館長です」
「金魚屋の店長様とお呼び」
叶冬はさあ呼んでごらん、と大袈裟に胸を張った。
土産物屋という人の多い場所でまた怪しい行動に出たものだ。店員に不審がられた秋葉たちは、貴重な常識人である紫音がまあまあと宥めて少年と共に外へ出た。
「で。お前本当に空飛んでる金魚が見えてんのか」
「ロックな風体で空飛ぶ金魚なんてロマンチストだねえ。何故そんなことを考えついたんだい?」
「あんたには関係無い。おい、お前なんて名前だ」
「俺? 俺は」
「よし! 誘拐だ!」
「は?」
「うわっ! お、おい!」
叶冬はあろうことか少年を担ぎ上げると、秋葉と少年を車の後部座席に放り込んだ。
「何すんだよ!」
「餌だ餌だぁ!」
「は!?」
「金魚屋に新しい餌が来た! さあ帰るよ!」
新しい餌ということは古い餌があるということで、それはもしかしなくても自分のことだろうかと秋葉は苦笑いを浮かべた。
助手席に乗っている紫音はお茶請けはお煎餅ね、と笑っている。やはり図太い娘だ。
こうして謎の金魚少年を連れて帰ることになり少しばかり胸が高鳴るが、それよりもまずこれが誘拐として罪に問われないことを祈るばかりだった。
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