第五話 金魚の意志(一)

 一週間経ち待望の金魚調査の日がやってきた。

 今日の叶冬はいつも通り着物を羽織っていて周囲からじろじろと見られているが、もうこれも慣れてしまった。

 再び新幹線で大量の弁当を食べながら来たわけだが、到着して金魚の塊を見たら秋葉はそれを吐き出してしまいそうになった。


「おえっ」

「電車酔いかい? 金魚酔いかい?」

「金魚酔い……この前よりも暴れてて最高に気持ち悪いです……」

「暴れてる? 喧嘩してるのかい? 暴れてる理由は分かるかい?」

「……そういや何でだろう。とにかく暴れてます。それにしても少し減った気が……」

「えへぇ? なんだいなんだい。共食いでもしたのかい」

「き、気持ち悪いこと言わないで下さい」

「だって魚が暴れるのって餌を欲しがる時じゃないかい? てっきりすいよすいよと気持ちよく泳いでんのかと思ってたんだけど」

「普通はそうです。あいつらはなんかこう、真ん中に行こうとしてるのかな、あれは」

「へえ。ど真ん中に何かあるのかな」

「そうかもしれないです。俺は見えないですけど」

「僕はただの建物しか見えないなあ」


 秋葉の視界で金魚は常に見えている。透けているわけではないので、当然その向こう側の景色は見えなくなるのだ。

 もしあの金魚を掻き分けることができれば中に何があるか見えるだろうけれど、触ることはできないのでそれもできない。こうして見るだけしかできない以上調べようもないのだが――


「ようし! ちょっと通ってくるよ!」

「え!?」

「どの辺か指示しておくれよ」

「ちょ、ちょっと! 危ないかもしれないですよ!」

「アキちゃんは危ないかもだけど僕は見えない普通の人だもの」


 普通と言われると何言ってんだと言いたくなるが、金魚の可視・不可視を基準とするなら確かに普通の人ではある。

 それに金魚の見えない一般人は金魚を通過する。秋葉も通過するが、見えてしまうのでついつい避けて歩いてしまう。それにあの塊に飛び込む気にはなれないし、そう思えば見えないからこその調査ができる叶冬とはバランスが良いのかもしれない。

 金魚の見えない叶冬は躊躇せず金魚の塊に突っ込んだ。当然そこには何も無いのだろうが、秋葉からは叶冬の膝から下しか見えなくなってしまう。


「真ん中ってこの辺かい?」

「もうちょっと右です。二、三歩。そこ! そこです!」


 足の動きを見るに、恐らく叶冬はきょろきょろと周囲を見回しているのだろう。

 その中で何をしてるのかは見えないが、数秒そうして満足したような叶冬は首を傾げながら戻って来た。


「何かありました?」

「いんや何も」

「まあそうですよね……」

「金魚は常に一か所に留まるものなのかい?」

「そういういのもいればそうじゃないのもいます。人に付いて回るのもいるし」

「えっ、なんで? 執着心?」

「分かりません。特に何かをしてるわけじゃないです」

「ふうん。じゃあそこの子達は何らかの意思があってここにいるんだね」

「意思、ですか……」


 そんなことは考えたことも無かった。

 人が金魚を見えないように、金魚も人が見えてないのだろうと秋葉は思っていた。絶対に目は合わないし避けようともしない。どんな感情を持っているかは分からないが、意思や目的があるようには見えなかった。


「思考能力なんて無さそうですけど」

「人に付いてくならあるんだよ。じゃなきゃ本能だけど、それなら一斉に同じ行動を取るはずだ」

「ああ、そうか。そうですよね」

「何も無ければ執着しない。やっぱりここは特別な場所なのかなあ」

「金魚にとってですか? どんな建物なんです、ここ」

「二階建ての空きビルだよ。テナント募集って書いてあるね。なんでこんな最高の立地で空き店舗なんだか」

「駅出てすぐならお客さんいっぱい来そうですよね」

「ふむ~。前は何だったか知ってるかい?」

「いえ。でもこの辺りで話題になるような店は無いですよ」

「なら余計妙だね。何も無いのに異変が起こるはずがない。常と異なるものにはそうある理由があるものさ。ちょっと調べてみよう」

「じゃああの煎餅屋で聞いてみましょうか。この前タオル貸してもらったお礼も兼ねて。それに地元の人は町に気を配ってそうだし」

「おお賢い! うむ! 聞き込み調査だね!」


 商店街には幾つもの店が並んでいるが、そのほとんどがチェーン店だ。

 こういう店はバイトの入れ替わりも多いだろうし、となると何かあったとしても見ていない可能性が高い。ならば絶対にここらを見てきたであろう、バイトのいない老舗の方が情報源としては良いだろう。

 長い月日が刻まれた古い建物の煎餅屋に入ると、中には全て手作りの煎餅が所狭しと並んでいる。

 店員はおらず、すみません、と声をかけると中から老齢の男性がゆったりとやって来た。


「いらっしゃい。おや? あんたら確か……」

「先日はタオルを有難うございました。大変助かりました」

「いやいや、あんな馬鹿なことに付き合わされて申し訳ない限りです」


 叶冬はいつの間にか着物を脱いだのか、ベストとパンツというスッキリとした好青年風へと姿を変えていた。

 やはり時と場合によっては着物を脱ぐのだろう。こういうところを見ると、真実ふざけた人ではないように思える。


「今日は何かお探しで?」

「あ、ちょっと聞きた」

「ええ。実は夏休みで甥と姪が遊びに来るんです。十歳と十二歳なんですが、子供にも好まれるのはどれでしょう」

「お子さんね。なら色の綺麗なあられとか、詰め合わせがいいんじゃないかね。楽しいでしょう」

「なるほど、確かにそうですね。ではこの大粒あられ十粒入りを二つと七種類二十三個の詰め合わせを一つお願いします」

「有難うございます。ちょっと待ってね」


 話を聞いて立ち去るつもりだったが、それでは単なる冷やかしだ。これが喫茶店だったら何かしらを注文するし、買い物をするのは礼儀だろう。秋葉も新商品と書かれている星やハート形の煎餅五枚入りの袋を買うことにした。

 店主は嬉しそうにして梱包をし始めたが、その合間に叶冬はさらりと話を始めた。

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