第五話 金魚の意志(二)

「こんな良い店を知らなかったなんてもったいないことをしたなあ。ねえ、ハルちゃん」

「ハル? あ、ああ、そうですね。お中元前に来たかったですね」

「まったくだね。ところでご店主。向かいの空きビル、前は何があったんですか? こんな立派な店の向かいだというのに、あれじゃあ景観を損なってしまう」

「スーパーだよ。まあ仕方ないね。あんなことがあったんだし」

「あんなこと?」

「知らない? 強盗が入ってたくさん人が亡くなったんだよ」

「……へえ。そうだったんですか。それはいつごろ?」

「去年の始め頃かな。オーナーの娘さんは行方不明らしいし、再開は無理だろうね」


 金魚が幽霊であると考えてきた秋葉は金魚が群がるのは事故物件かもとは思っていたが、それよりも重いエピソードに秋葉は思わず息を呑んだ。

 言われて見てみれば秋葉でも見える建物の足元に花が添えてあった。ここで亡くなった人への花だろう。

 店主から煎餅を受け取ると、叶冬は店から出た途端にあられの袋を開けてぽいぽいと口へ放り込んだ。眉間にしわを寄せながら秋葉の口にもどんどんあられを押し込んでいく。


「アキちゃんはなあんでそんな重大事件を知らないんだい」

「……げほっ。だって去年て俺もう引っ越してますよ」

「ん? なんだって?」

「だから、引っ越しました。大学始まる前に」


 叶冬は急に真面目な顔をして、ふうん、と真面目な顔をした。


「アキちゃんはいつから金魚が見えるようになったんだい?」

「生まれつきです。鳥みたいに空にいて当たり前だと思ってました」

「きっかけがあったわけじゃなくて?」

「違います。むしろ見えない方が不思議です、俺には」

「へー……」


 袋に残っていたあられ三粒のうち二粒を一気に口へ放り込みばりばりと食べ尽くすと、最後の一粒をむいっと秋葉の口に押し付けた。

 普通に渡してくれないかと思いつつそのまま食べると、叶冬がするりと頬を撫でてくる。これは癖なのだろうか。人前でされるとさすがに恥ずかしくて一歩後ずさるが、叶冬の言葉に秋葉は足を止めた。


「もしかしてアキちゃん、双子だった?」

「は?」

「アキちゃん双子だったろう。それも死産か、物心つく前に亡くなってる。違う?」

「……そうです。春陽はるひ――双子の弟が一歳になる前に亡くなってます。何故それを?」

「やっぱりね」


 石動春陽の存在は身内以外は知らない。

 特に言って回るようなことではないし、秋葉自身も弟を覚えていないから語れる想い出も無い。ただ母が秋葉に対して過保護なのはそのせいもあるだろうと思っている。だから秋葉も母を強く突き放すことができないのだ。


「なんで知ってるんですか。俺は誰にも言ってない」

「推測だよ。多分だけど、アキちゃんの見てる金魚は死者の魂じゃないかと思う。事件の被害者が金魚になったんだよ」

「……幽霊かなとは俺も思ってます。けどそれと春陽がどう関係するんですか」

「人には見えない金魚が見える。それは君が金魚と同族にカテゴライズされてるからじゃないかな。なら君は物心つく前から金魚に取り憑かれていた可能性がある――かなと思ってね」

「だから同時に生まれて死んだ双子がいるって?」

「そう。おそらく執着しているものに憑りつくんだよ。それは人であったり場所であったり」


 ――真面目な顔で何を言っているんだ。

 ふざけた格好とふざけた口調だが馬鹿な人だとは思っていない。しかし秋葉が会うことも叶わなかった弟を持ち出されても全く関係の無い物語を読みあげられているような気分だった。

 それに死者を、会ったことが無いとはいえ弟を冒涜するような物言いをされるのは気分が悪かった。


「……随分と突拍子もないですね」

「そうかな。冬と梅雨は金魚が増えるというのもそれっぽいよ。死亡者数が多くなる時期だろう」

「それは知りませんけど……」


 そう言われると辻褄は合うような気がしてくる。

 その説の真偽は分からないが、それよりも秋葉が気になったのはその発想が今この場で思いついたことなのかどうかというところだ。こんなぶっとんだ説がふと思いついたことだとは思えない。

 それにお前双子だっただろうなんて考えるだろうか。どちらかと言えば出会う前から調べていて意図的に秋葉に近付いたと考えた方が自然だ。

 何しろ叶冬は金魚を知っている。それ自体が突拍子もない話なのだ。どうにもこの話はすんなりと飲み込めなかった。


「死者の魂だとして、地球の歴史を振り返れば金魚の数が少なすぎませんか」

「全てが金魚になるわけじゃないんだろうね。あとは金魚を間引く誰かがいるとか」

「誰かって誰ですか」

「さあね。でも数が減ってるんだろう、金魚の塊」

「……そうですけど」


 数えたわけではないが、前回見た時よりは確実に減っている。二階の窓が視認できる程度には。

 だが金魚を間引く誰かがいるというのも、それも突拍子もない発想に思えた。それはつまり、秋葉と叶冬以外に金魚へ積極的に関わる人間がいるということになる。

 ――例えば叶冬はその人間から金魚のことを聞いたとか。

 秋葉は急に不安になり身構えた。けれど叶冬はいつものように大仰な身振りでくるりと回った。


「さあさあどうしようか! 金魚退治するなら付き合うよ!」

「……いえ。何もできないし害も無いのでいいです。それより金魚が死者の魂だって仮定について考えてみたいです」

「そうかいそうかい。では帰ろうか。僕らの金魚屋へ」

「はい……」


 叶冬はやけにあっさりと金魚に背を向けた。まるでこの話をするためだけにここに来たかのように。


「さ、帰りの弁当を買おう。アキちゃんは何弁当がいい?」

「夕飯は家で作って食べることにしてるのでいいです」

「ほー。真面目くんだあね」


 それでも叶冬は大量の弁当を買い、秋葉の鞄に二つほど詰め込んだ。

 ついでのように新幹線の切符を買ってくれようとしたが、実家に寄ってから帰ると嘘を吐いて叶冬から逃げた。

 結局自分で高い新幹線代を出し、自宅マンションに着いたのは十八時手前だった。夕飯を作る気にはなれず、けれど貰った弁当を食べる気にもなれなかった。だが何も食べなければ母に送る夕飯の写真も取れず、それは何よりも面倒くさい。

 仕方なくもらった弁当を皿に移し、さも作った風に崩して写真を撮った。


 その夜は悪夢にうなされた。

 足がまた少し多く金魚になっていて、飛び起きた秋葉の頭に響いていたのは叶冬が出会った時に言っていた台詞だった。


『ようこそ金魚屋へ。君が来るのを待っていたよ』


――彼の言う金魚屋とはなんだろうか。

その答えは出ないまま、秋葉は夜が明けるのを待ち続けた。

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