第四話 富が沼町の金魚(二)
「本当に見えてるんですかね、あの人」
「そう言ってたじゃない」
「俺と同じ物を見てるとは限らないですよ」
「けどさあそれさあ空飛ぶ金魚なんて言うかい、普通」
「それはそうなんですけど」
それでも秋葉はしっくりこなかった。
何か違和感があるのだ。それが何だかは分からないが、何となく佐伯は違うのだと感じる。
「もう一度金魚の塊を見たいです。多分この町にはあれ以外何もないと思います」
「ふむ。アキちゃんがそういうのならそうしよう」
ショッピングモールへ戻り端から端まで見て歩いたが、やはりここにも金魚はいなかった。まるで全ての金魚があの塊に集まっているようだ。
あそこに金魚を集める何かがあるのだろうか。
じいっと塊を観察すると、何かが陽の光を反射し秋葉の目をくらませた。
(なんだ。眩しいな)
しかしそこには変わったものは無い。いるのは金魚だけだ。
「……あ?」
「ん? どうしたアキちゃん」
「あの、佐伯会長の依頼メール見ていいですか?」
「んえっ? いいけど、何だい急に」
叶冬は胸ポケットからプリントアウトしたメールの内容を見せてくれた。
『金魚が溢れて困っています。宙を泳いでる金魚を引き取っていただけないでしょうか。』
「やっぱり! 『宙を泳ぐ金魚』は俺の見てる金魚とは違うんですよ! ほら、あれ!」
「どれ? なに?」
秋葉はモールの天井の方へ顔を向けた。
そして金魚の塊――のさらに少し上を指差すと、柱に小さな水槽が括りつけられていた。ただくっついているだけなので目を奪われるような装飾にはなっていないが、たしかにそこには金魚が泳いでいた。
「……え? まさかあれのことだってえのかい?」
「だって佐伯会長は空飛ぶ金魚なんて一言も言ってないですよ。宙を泳いでる金魚、です」
「うんん? 言ってたよ」
「言ったのは店長のとこから水槽運び出す業者さんですよ。あの人がメールを見せてくれたから佐伯さんが言ってるような気になってましたけど」
「ああ、そういやそうだったあね」
「店長を知ってる人なら『宙を泳ぐ金魚』イコール『空飛ぶ金魚』になるのも分かります。それに『引き取っていただけないでしょうか』って所有物ってことですよね。引き取れる物体なんですよ」
「っはぁ~!? じゃああれ!? あの不細工でみっともなくて落下したら怪我人が出るであろうあれ!?」
「だと思いますよ」
叶冬は露骨にがっかりしたように肩を落とした。いっそ怒りすら覚えているような表情に、申し訳ないけれど秋葉は少し安心した。
ふるふると叶冬が震えていると、空気を読まない明るい声で一人の男が割って入ってきた。
「御縁さん! どうです、うちの金魚は!」
「……会長。宙を泳ぐ金魚というのはもしやあれのことで?」
「そうですよ。結構苦労したんですよ、宙に括りつけるの」
あははと佐伯は自信満々に笑っているが、通り過ぎていく住人たちは呆れ顔だ。それはそうだろう。ぽたぽたと水滴は垂れているし落ちてきたら怪我をするに決まっている。
「あの金魚って餌どうしてるんですか……?」
「私がやってますよ。ほら、これで登ります」
佐伯は肩にかけて持っている脚立を叩いた。
まさかショッピングモールという人の集まるこの場所で素人がそんなことをするのか。
「会長の服が汚れてるのはもしかしてそのせいで?」
「ええ。動きやすい服じゃないといけませんからね」
これが自慢話になると本当にそう思っているのだろうか。行きかう人々の馬鹿にしたような目が見えないのか。
こんなことにお金と時間をかけているのかと思うと町の人に同情を禁じ得ない。
「それで、どうでしょう。あれは引き取って頂けますか」
「あれって、あれを? あの高いとこに括られたあのあれを?」
「はい」
叶冬は明らかに嫌そうな顔をして見上げたが、その時ぴちょんと水滴が叶冬の頬を濡らした。次第にぽたぽたと粒が大きくなり、ついには雨のように滴ってきた。
え、と叶冬が声を上げた時はもう遅く、ばしゃんと水が大量に落ちてきた。
「ぎゃあ!」
「あ、ああ、なんてこった」
「うわあうわあ」
水槽の括りつけが緩かったのか、ぐるりとひっくり返って金魚ごと落ちてきた。
「ちょ、ちょっと! 金魚金魚! 水槽!」
幸いにも展示されていた金魚の水槽がすぐ傍にあったので秋葉は大慌てで移したが、叶冬はすっかりびしょ濡れだ。
「店長。そこでタオル買ってきますから」
「ああ、あんた、これ使いな」
「え? あ、有難う御座います」
騒ぎを聞きつけてか、向かいの煎餅屋から老齢の男性が駆けつけタオルを貸してくれた。
怒りでかぷるぷると震える叶冬はタオルを受け取らず、秋葉は代わりに受け取りわしゃわしゃと頭を拭いてやる。
これはもう金魚の貸し出しはないだろうなと思っていると、ふと叶冬のうなじが視界に入ってきた。そこは肌色ではなく、赤黒くなり皮膚が引きつっている。
――傷だ。横からうなじまで、すごく大きい。
あまりにも大きな傷跡に一瞬手が止まったが、とても軽く聞いていいような物とは思えなかった。叶冬が長髪なのはこれを隠すためなのかもしれない。
秋葉は見なかったことにしようと叶冬の頭を拭き続けたが、空気を読んだのか読まないのか、佐伯が機嫌を取るようにへこへことしながら顔を覗き込んでくる。
「あのう、だ、大丈夫ですか」
「大丈夫ではないですけど……」
「も、申し訳ない。改善しておきます。それで、あのう……金魚の引き取りは……」
「はあ?」
この状況でよくもそんな話ができたものだ。思い切り馬鹿にしたような返しをしてしまったが、それを反省する間もなく叶冬はうがあと叫んだ。
「お断りだ! うちは選び抜かれた金魚のみしか入れない高貴な金魚屋なんでね!」
「へ?」
「ああそうだ。すまないが貸出はキャンセルだ。金魚にこんな仕打ちをする男にうちの子たちは貸せない」
「ええ? そんな、困ります。もうイベントは決まってるんです」
「他の業者をあたりたまえ。『金魚』『レンタル』で検索すればどっかしらヒットするだろう」
「ちょ、ちょっと待って下さい。そんな急に」
「さあさあ帰るよハルちゃん!」
「あ、は、はい」
礼儀正しい叶冬はどこへやら、佐伯の手を振りほどいてガニ股でどすどすと駅へと向かって行った。
さすがに佐伯が気の毒には思うが、埃も降るだろうし日差しも強いあんな中空に金魚を放置するなんて、貸したら丁寧に扱ってはくれないことが立証されたようなものだ。空飛ぶ金魚の当てが外れて残念というのを差し引いても、貸し出しはしたくないだろう。
柱に括りつけられている金魚を見上げると、陽が落ち始めているのに気が付いた。こんなくだらない着地をするために一日を費やしたのかと思うと秋葉も脱力してしまった。
「今日はここまでだね。金魚の塊調査はまた今度にしよう。週末は暇かい?」
「え?」
「あ、平日の方が良いかね?」
「い、いえ。土日の方が。じゃなくて、あの、また一緒に来てくれるんですか?」
「当り前じゃあないか。君がいなきゃ調べられないよ」
叶冬につむじをぐりぐりと押され、まるで秋葉の方がおかしなことを言っているように頬を膨らませている。
まるで遊んでもらえず拗ねている子供のようだ。
「アキちゃんの休日は僕におよこし! 金魚調査だよ! いいね!」
「……頑張ります」
秋葉はぐしゃぐしゃと髪を掻き回されながらカレンダーアプリを立ち上げ、土日に『金魚屋』と登録をした。
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