第四話 富が沼町の金魚(一)
富が沼駅に着き貰った地図の場所へ行くと、着いた場所は公民館だった。
二階建てではあるが敷地は狭く、町を上げてのイベントや行事をやるにしてはやや狭いように感じる。
駅から三十分近く歩いたがどこも人はまばらで商店街も閑古鳥が鳴いていたあたり、町おこしをしたいのだろうというのは言わずもがなだ。
公民館の受付に声をかけると応接室へと通されたが、埃っぽくてソファは薄汚れてる。
叶冬は入った途端にうわ、と嫌そうな顔をして着物を畳んだ。明らかに高級なそれが汚れるのは嫌なのだろう。
まるで客を歓迎する気の見られないその部屋で待っていると、背の低い中年の男性がやって来た。男は工場員のような作業着を着ていて煤や泥で汚れている。やはり客を歓迎する気が見られない。
「富が沼町内会会長の佐伯修平です」
「御縁金魚屋の御縁叶冬です」
叶冬は名刺交換をしようとしていたが、佐伯は持ち合わせがないと言って片手で受け取るとすぐにズボンのポケットへ放り込んでしまう。
これは名刺交換のマナーを知らないのだろうことは秋葉にも分かった。
それにアポイントを取ってやって来る客がいるならお茶を出すのが礼儀だ。別にお茶が飲みたいわけではないが、部屋は汚い服も汚い礼儀もマナーも何も無い大人はあまり好きになれなかった。
「まさか店長自ら足を運んで下さるとは」
「うちの金魚が活躍する場所を見ておきたいと思いまして」
「さすが金魚屋さんですね。ところでそっちの子は誰です?」
「金魚に詳しい金魚の少年です。子供を連れ戻したいのなら若い感性も必要でしょう。きっとお役に立てるかと」
「へえ。こんな細い子が大丈夫ですか」
金魚に詳しいわけではないのでそれを疑われるのは別に構わないが、それと身体の細さは何の関係があるのか。あったとしても訝しげにじろじろ見るというのは単純に感じが悪い。
イラついたのが顔に出たのか、叶冬にぽんっと背を軽く叩かれた。
――そうだ。これは仕事なんだ。
ここで不愉快さを露骨に出せば佐伯と同レベルだ。秋葉は叶冬の笑顔で落ち着きを取り戻し、ふうとため息を吐いた。
それにしても、叶冬は想像以上にきちんとしていた。てっきりいつもの調子で意味不明なことを言い出すのではないかと心配していたが、礼儀正しいし普通に喋る姿。着物を脱いだのも失礼がないようにかもしれない。
秋葉は金魚屋の店員ではないが、一緒にいる以上は迷惑を掛けないようにしなければと改めて姿勢を正した。
「では先に手続きをしましょう。書類はご記載いただけましたか」
「はい。こちらに」
「有難う御座います。拝見します」
通常手続きの全てはオンラインで済ませているらしい。だが佐伯はパソコンが苦手だとかでPDFとは何ぞやから説明せねばならなかったらしく、その方が面倒なので今回は話を聞くついでに手書きにすることにしたらしい。
まだ四十代だろうに、今時パソコンが苦手で仕事はできるのだろうか。それとも作業着が汚れ切っているのを見るに肉体労働なのだろうか。
書類を書く手も遅く文字も流れているので読みにくい。しかもこれは何を書くんですか、電話番号は公民館でいいですか、等逐一質問をしているのも苛立ちを覚えた。
相手に気配りもせず自分で考えることもしないというのは秋葉の苦手なタイプでついあら捜しをしてしまうが、叶冬はにこにこと微笑んで回答をしている。社会人って大変だなと思っていると、ところで、と叶冬は話を変えた。
「子供というのは誰をお探しなんですか?」
「子供。そうそう。若者がいなくなってしまって」
「若者? 若者全般という意味ですか?」
「ええ、そうですね。華やかな催しで名が知れればと」
「なるほど。では空飛ぶ金魚というのは?」
「お! さっそくですね。見たでしょう、そこらで」
佐伯は持っていたボールペンで窓の外を指した。その先を見ると大小二匹の金魚が寄り添って泳いでいる。
つんっと叶冬に腕をつつかれ、金魚がいるのかと目で訴えられた。秋葉はこくんと小さく頷いて、金魚の存在を肯定した。
「そこらですか。私には見えませんでしたが」
「ははは。金魚屋には取るに足りませんか。では駅の北口。ショッピングモールにもたくさん飛んでますからご覧になって下さい」
「……そうですか」
「お勧めはモールに入ってすぐのところです。金魚が固まっていますよ」
「分かりました。有難う御座います」
佐伯はくくっと含み笑いをした。いやらしい笑い方に不快感を覚えたが、叶冬にもう一度ぽんっと背を叩かれ秋葉も笑顔を取り繕った。
手続きが済み話を聞いてしまえば佐伯に用は無い。叶冬と秋葉は足早に公民館から離れ、揃って大きなため息を吐いた。
「お疲れ様です」
「ハルちゃんもね」
「町おこしが失敗続きの理由がちょっと分かりました」
「あはは」
あんな振る舞いの佐伯に協力したいと思う人間は少ないだろう。この町に思い入れの無い外部の業者ならなおさらだ。別に叶冬は金魚を貸さなくたっていいのだ。
もしかしたら叶冬に金魚貸出を頼んだのは他の業者に断られたからかもしれない――などと邪推が止まらない。
「ともかくショッピングモールとやらを見てみようか。何か分かるかもしれない」
「はい」
秋葉の考えていることが分かったのか特に意味はないのかは分からないが、叶冬はぽんぽんと秋葉の背を軽く叩いてくれる。何も言わずにっこりと微笑んでいて、秋葉は気を引き締めようと再び背筋を伸ばした。
佐伯から教えて貰ったショッピングモールへ行くと、金魚の異様な状態に秋葉は硬直した。
「多い……!」
「金魚がかい?」
「はい。実家付近の倍以上はいます」
「倍。具体的な匹数は分かるかい?」
「数えられません。でも建物が見えなくなるくらいにはいます」
「そんなにかい? ちなみに二階建てなのは分かるかい?」
「いえ。金魚で壁が見えないので……」
おそらくそこには何らかの建物があるのだろう。だが金魚が見える秋葉の視界ではどんな建物かが分からない。一面びっしりと金魚で埋め尽くされているからだ。中に人がいるのかいないのかも分からない。
「それはかなりもっさりだねえ。この建物は何だか知ってるかい?」
「いいえ。南口の焼き肉屋に行ったことはありますけど、こっちは本当に来たことがないんです」
「ふうん……」
金魚の塊に目をやるが、金魚というより鯉が餌を求めて集まっている様子に似ている。
秋葉が過去見てきた限りでは複数の金魚が同一の行動を取ることはなかった。たまに数匹が一緒にいることはあるがそれでも二、三匹だ。それに無心に何かをしているところも見たことがない。基本的にふよふよと泳いでいるだけで何もしないのだ。
「けどなんでここだけなんでしょう」
「アキちゃんが引っ越したから、とか?」
「え?」
「だってタイミングよすぎないかい? 金魚を見える君が金魚を捕まえたい僕のとこに来た途端に金魚が爆増した報せが来るって」
「それなら俺の実家がこうなると思いますよ」
「まあそうだよね。場所は関係ないのかなあ」
叶冬の言い分も分かるが、秋葉にはあまり自分が関わっているようには思えなかった。
意図的に金魚を集めることができるなら叶冬の言ったとおり直接送り込めば良いし、建物にしか留められないのなら叶冬の金魚屋でも良かったはずだ。
それをしないのならこれは自然発生したということのように感じられた。
「ちょいと他の場所も見てみようか。何か分かるかもしれない」
「は、はい」
そうして、南口へ行き辺りを歩き回ったけれど金魚が大量発生している様子はどこにもなかった。
それどころか――
「……おかしい」
「ん!? 何がだい!?」
「金魚がいないんです。一匹も」
「いない? それはおかしいのかい?」
「はい。普通は視界に数匹います。一匹もいないなんて初めてです」
「ふん~。初めて尽くしの赤飯祭りだねえ」
言っている言葉はふざけているが、叶冬は真面目な顔で悩んでいた。
今まで秋葉の金魚話を信じるどころか耳を傾ける人間はいなかった。こんな風に悩んでくれる事なんてあるはずもない。
それなのに叶冬の問いに答えが出せないことが悔しかった。
「……すみません」
「うん? なにがだい?」
「分からないばっかりで、何もできなくて」
「なあに言ってんだか。僕の方がもっと分からないよ。それに調べるのが楽しいんじゃあないか!」
叶冬は、あっはっは、と秋葉の背を強く叩いて笑った。楽しいのか。金魚の話をするのが。
秋葉はきゅっと唇を噛んだ。
「金魚は塊でいるのは珍しいのかい?」
「一点集中してるのはたまに見ますよ。あんな多いのは初めてですけど」
「この店には?」
「いないです。一匹も」
「ふうん。建物の中にはいないものなのかい?」
「いいえ。いるところにはいます」
「規則性は無い、と。他に変わったとこはあるかい?」
金魚は規則的に動く方が風変わりである印象があった。だからこそ塊で蠢いているというのは妙なのだ。
塊になろうとする金魚には何か共通点があるのかもしれないと、塊を思い出してみる。
「……そういえば大きい金魚が多かったです。カラフルで」
「ふえっ? 金魚って個性大爆発なのかい?」
「そうですね。小指くらいのもいれば両手で抱えられないくらいのもいます。色は大体赤ベースですけど、ここは黒いのがいました。あんなの初めてです」
「へーえ! そりゃあ不思議だ。何で違うんだい?」
「分かりません。白人黒人みたいな違いがあるのかも」
「ふえ~。どうして佐伯会長はそんな変わり者ならぬ変わり金魚が見えるんだろうね。アキちゃんと共通する何かがあるのかなあ」
共通、と言われて少し、いやかなり不愉快だった。あんな男と似通っていると思うと気分が悪い。
しかしそうでなくとも佐伯が金魚を見ているというのはなんだか違う気がした。
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