第三話 金魚のご相談(一)

 今日は土曜日で大学が休みだ。

 小学校で事件を起こして以来、どこかへ出かけようとすると母親が行先や行動スケジュールをしつこく確認してくるようになった。

 誰かと一緒だと相手の名前と連絡先を教えなければならず、外出後は何度も電話がかかって来て迷惑を掛けてないか確認される。さらには言っていることが嘘じゃないかの証拠として周囲の写真を要求された。

 それが鬱陶しくて外出するのが面倒になり、秋葉は自主的に引きこもるようになった。遊びに行きたいと思う気持ちはあるものの、それ以上に母親が鬱陶しかった。


「おはようございます」

「おお! 来たね来たね! 待っていたよ!」

「ぎゃっ」


 約束通り叶冬へ会うため水族館――金魚屋へ行くと、相変わらず着物を羽織っている叶冬は抱き着いて歓迎してくれた。

 友達と言うには年齢が離れているが、叶冬は若く見えることもあり秋葉は友達と遊ぶような感覚だった。それにここは喫茶店も並列されている。これなら母親への連絡も「喫茶店へ行く」で済む。

 しかも議題は長年推し殺されてきた金魚についてだ。特に言って回りたいと思っていたことはなかったが、否定され続けた自分を肯定し歓迎してもらえたのは単純に嬉しい。

 前向きな外出がこんなにも気持ちの良いものだとは思っていなかった秋葉は抱き着かれたことすらも嬉しく感じた。


「暑いですよ、店長」

「ありゃあ、ごめんよ。お詫びに金魚湯をあげよう」

「いえ、大丈夫です。それよりこれ何やってるんですか?」


 生ぬるいペットボトルを避け、周囲の景色に話題を移した。

 昨日は水族館の中にあった水槽がいくつか外に出されている。大きなトラックも横付けされていてツナギ姿の業者が大勢歩き回っていた。どうやら水槽をどこかへ持ち運ぶようだった。


「移転するんですか?」

「うんにゃ。貸出さ。お祭りとかイベントに貸してあげてるんだよ。僕としては一度くらい雪祭りに金魚すくい屋台出したいんだよねえ」

「え……金魚死にますよね……」

「それは困るなあ。あはは」

「はあ……」


 ――金魚屋とはその名の通りだったのか。

 この服装と喋り方で意外とまっとうな仕事をしてたことに驚いた。


「これって神社のじゃないんですか?」

「神社もここも黒猫喫茶も全て御縁家がやってるのさ。ここは神社の倉庫を水族館に見立てただけだあよ」

「やっぱり水族館なんですね」

「むむっ! 騙し討ちとは卑怯なり! うちは金魚屋だ!」


 叶冬はぷんぷんと口で言いながらじたばたと暴れた。

 きっと叶冬は年甲斐もないとか変人だと思われるだろうけれど、秋葉にとっては同じ目線で話せる貴重な人間だ。まるで子供のような叶冬との会話が秋葉は楽しかった。

 出荷が終わるまで待っておくれと言われて水槽が運び出されるのを見守っていると、業者の中でも年長の男性が困り顔で一枚の紙を睨みながら駆け寄ってきた。


「店長。ちょっといいですかい」

「何だい? 足りないかい?」

「数は問題無いですよ。ただ依頼者から追加で妙なメールが届きまして」

「何だとう!? 営業妨害か!」

「いえ。店長がよく言ってたやつですよ。空飛ぶ金魚を引き取って欲しいと」

「……なんだって?」


 ぴくりと叶冬の眉が揺れた。

 空飛ぶ金魚なんて偶然一致するものではない。秋葉は叶冬と目を見合わせメールがプリントアウトされた紙を覗き込んだ。

 そこには『金魚のご相談』という件名と、送信元であるフリーメールのアドレスが印刷されている。


『金魚が溢れて困っています。宙を泳いでる金魚を引き取っていただけないでしょうか。

 引き取って頂ければ運賃はこちらで負担します。』


「店長。これって……」

「うん。妙だね」

「でしょう? 溢れてるなら借りる必要ないでしょうに」

「届け先を見せてくれるかい?」

「へえ。こちらですよ」


 業者の男性はもう一枚書類を取り出した。

 そこには『貸出契約書』と書かれていて、配送先や宛先が書いてある。受取人は佐伯修平。宛先の住所には富が沼町と書かれていた。

 叶冬は特に何も感じないようだったが、秋葉には覚えのある場所だった。


「ここは……」

「知ってるのかい?」

「……俺の実家があった街です」

「ええぃ?」

「色々あって引っ越したんですけど、なんで……」


 秋葉は大学に入ると同時に引越して一人暮らしを始めた。

 これは偶然だろうか。


「じゃあこれはもしやきっとアキちゃんのことかなあ」


 プリントアウトされたものは二枚あったようで、もう一枚に目をやると秋葉はぎくりと胸が跳ねた。


『街から去った子に戻って来てもらいたく、興味を引ける大きな催し物を考えています。

 これに際して、彼が興味を持っていた金魚でイベントができればと思っております。』


「町おこしにしては『彼』ってピンポイントだね」

「……俺のことだと?」

「だって子供が集団で金魚に興味持つかね。金魚教なのかい、この町」

「いえ……」

「差出人に覚えは?」

「……ないです」


 同級生にいた苗字であればまだ分かるが、全く覚えがない。

 それに秋葉は金魚を好いているような振る舞いをしたことは無い。むしろ避けて通り、口にも出さなくなっていた。

 ――それなのに何故今。

 妙な一致に気持ち悪さを覚え、ふるっと手が震えた。しかし叶冬は秋葉の手を両手で握り、ずずいっと顔を近づけてくる。


「ようし! 意味不明な愚か者の顔を見に行くとしよう!」

「はい? 店長が直々にいらっしゃるので?」

「面白いじゃあないか。空飛ぶ金魚なんて見たくて見たくてたまらないよ」


 はあ、と業者の男性は意外そうな顔をしてぽかんと口を開けた。

 出会ったばかりの秋葉でさえ叶冬が地味な作業に東奔西走するタイプだとは思えない。

 けれどきっと、金魚のことならどんなことも厭わないだろうとも思った。


「アキちゃん、一緒に来てくれるかい」

「はい。もちろん」

「うむうむ。さすが金魚の少年だ。では金魚の一挙手一投足を説明をしておくれよ。何をしてるか動いてるか動いてるならどこへ向かっているか」

「でもあいつら変わった行動しないですよ。ただ泳いでるだけで」

「変わった行動をする金魚がいるかもしれないだろう?」

「そうですね。はい、分かりました」


 叶冬はよし! と叫んでひょいと秋葉を抱き上げた。


「頼んだよ、ナビくん」

「……その前に降ろして下さい」


 そんなに細い身体でよくも成人男性を持ち上げられたものだ。

 頑張ろうねえ、と叶冬は嬉しそうにしていた。まるでお姫様のように抱きかかえられるのはとても恥ずかしかったが、放してなるものかと強く抱きしめられるのは嬉しかった。

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