第二話 御縁叶冬という男(二)

「挨拶が遅れたね。僕は御縁叶冬かなと。金魚屋の店長様だよ」

「俺は石動秋」

「さあ! 話してくれたまえ!」


 既に名前は知られているのだから挨拶は必要ないかと思ったが、それにしてもこんな思い切り遮らなくても良いだろう。

 しかも話せとは一体何をだ。主語のない演技じみた喋り方にため息が出た。


「話すって何をですか」

「空飛ぶ金魚についてさ。見えてるんだろう?」

「やっぱりあなたも見えるんですね!」


 秋葉は思わず立ち上がり前のめりになった。

 ――仲間だ。

 若干、いやかなり奇異な男ではあるがそれでも同じ視界を持つ人間なんて他にはいない。秋葉は歓喜で頬がほころんでいくのが分かった。

 秋葉は期待で目を輝かせた。しかし金魚屋の男から帰って来た言葉は秋葉の肩を透かした。


「いいや、まったくさっぱりこれっぽっちも見えないよ」

「え……」 

「だから教えておくれよ。金魚ってえのはなんなんだい?」

「知ってるんじゃないんですか?」

「知らないから聞いているんじゃあないか」

「でも金魚を消せる金魚鉢って」

「そうそう。そうだよ。確かそうだったんだ確か違うかもしれないけど確か」

「……え?」


 からかわれたのか。

 ようやく見つけた仲間だと思ったのに、秋葉は脱力して椅子にどっかりと座り直した。

 それにしても空を飛ぶ金魚がいるなどという発想はどこから来たのだろうか。それは子供ですら笑い飛ばす愚かな話であることは秋葉が誰よりも理解している。

 けれど祭りで初めて会った時、確かにこの男は『君はこの金魚が見えるかい?』と右肩を指差した。あれはカマを掛けられただけということなのか、それともまだ何か試されているのだろうか。


「さあさあさあさあさ! お話をどうぞ!」

「え、いえ、あの、何なのかは僕も知りたいんですけど……」

「ええ? だって見えるんだろう?」

「見えるだけです。触れるわけでも喋れるわけでもないし」

「え~! なんだいなんだい! 期待外れだ! 君は金魚の少年ではないのか!」

「何ですか金魚の少年って……」


 期待外れはこっちだ、と言いかけて止めた。

 見えるわけじゃないとしても、空を飛ぶ金魚がいることを知っているのだ。とても偶然とは思えない。


「御縁さんはどうして空を飛ぶ金魚がいると思ったんですか?」

「店長と呼びたまえ! 偉そうで好きなんだあよ」

「……店長はどうして金魚のことを知ってるんですか?」

「知らないよ。見えないのだから」

「見えないのにどうして知ってるんですか」

「覚えてるからだよ」


 会話がかみ合わない。かみ合わせるつもりがないのか、それとも彼としてはかみ合っているのか。

 しかしこうも試すような話し方ばかりされると秋葉も混乱してくる。

 それを見透かされたのか、金魚屋の男はくすくすと面白そうに笑った。


「実はね、僕は金魚を捕まえたいんだ」

「空を飛んでる金魚を?」

「そう。金魚はいっぱいるかい? あちこちどこでもふよふよと?」

「……場所によります。ここにはいません」

「場所によるというのはどこがどうでどっちがなんなんだい?」


 この煙に巻くような喋り方はわざとなのだろうか。

 精神的な疲労を感じてため息を吐いて椅子にもたれた。招かれておいて失礼な態度かもと思ったが、金魚屋の男は気にせず真剣な顔で問いかけてくる。

 本気なのかからかわれているのかが分からないのも疲れるが、それでも金魚の話を笑い飛ばさない人間は初めてだ。


「分かりません。規則性があるようには見えないです」

「うむぅ。年中いるのかい?」

「はい。ああ、でも冬は多い気がします。梅雨あたりも」

「えへぇ? 夏じゃなくて?」

「夏に何かあるんですか?」

「夏は何もないのかい?」

「え、いや、どうだろう。特に少ないようには思わないですけど」

「増えて減るのかい? 増え続ける?」

「さあ……」

「むふぅ。少子化かなあ」

「はあ……」


 言っていることはふざけているが、眼差しは鋭く本気で考えているように見える。

 演技じみた口調や奇異な服装に惑わされるが、話している内容を箇条書きにすれば至って真面目に対話をしてくれている。

 そう思うと悪態は付きたくないと思う程度には楽しさを感じ始めたが、しかしそれを邪魔するかのようにスマートフォンが着信を告げた。


「どうぞ出てくれたまえ」

「すみません」


 モニターに表示されているのは『母』の文字だ。

 実家を出て一人暮らしをするにあたり、いくつか条件を出された。そのうちの一つに十九時の電話に必ず出て夕飯の写真を送ることというのがある。

 何を過保護なと思ったが、これは秋葉の身を案じているのではない。秋葉が妙な行動で周囲に迷惑をかけていないかを確認する電話なのだ。小学校の一件以来、母親は鬱陶しいくらいに秋葉を監視するようになっている。

 面倒なことこの上ないが、この電話を無視すると鬼のように電話が鳴り続ける。面倒だが、何も考えずに『何も無いよ』と口を動かすのが正しい対応なのだ。

 だがはたから見ればお笑い種だろう。会話を聞かれるのが恥ずかしくて店の外に出て、不信感を持って様子をうかがう母にテンプレート回答を済ませた。早く帰って夕飯の写真を送れとうるさく繰り返され、二十時までには連絡する約束を取り付けられた。

 ここから食材を買い帰宅し食事の準備をするとなると一時間はあまりにも短い。これ以上ここに留まることはできそうになかった。


「すみません。帰らないと」

「おやおやごめんごめんよ。随分と引き留めてしまった」

「いいえ。あの、また明日来てもいいですか」

「もちろんだとも。聞きたいことはどっさりもっさりあるからねえ」

「もっさりですか……」


 絶対来ておくれよ、と念を押されて秋葉は店を出た。

 姿が見えなくなるまで「絶対に来るんだよ」と大声で手を振っていて、数人とはいえ人に見られて恥ずかしい。


(でも金魚の話を必要とされたのは初めてだ)


 その日は穏やかな気持ちで眠りについた。夢の中の自分は光り輝く水中で揺蕩っていたが、金魚になることはなかった。

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