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 人生初の府大会優勝、走り終わってからしばらくはその余韻に浸っていた。ゴールした直後はそりゃ嬉しさがこみ上げたし、思わず拳を突き上げたりもした。タイム速報を見てる間、他の選手に話しかけられもした。こんなことは今までの周回でも一度も無かった。レースを終えたら誰とも話すことなくすぐにトラックの外へ出ていたから。

 スタート地点にある自分の荷物を持ってトラックを去り、学校の陣地に戻ると部員たちが俺におめでとうと言ってくれた。後輩女子たちからは前よりさらにもてはやされた。傷害騒動の件で俺から距離を置いていた同期たちからも、この日は一緒に労いと祝いの言葉をかけてくれた。心が少し温かくなった。

 競技場の外では古村が待ってくれてた。声をかけると彼女は終始ハイテンションで、俺の走りが凄いだのカッコいいだのサインくれだのと、推しの有名人を前にしたファンみたいにしていた。

 うーん、ただこの感じだと交際出来る可能性は限りなく0な気がするなぁ。


 そんな感じで優勝を決めてからしばらくの間、色んな人から称えられたこともあったから、俺自身も浮かれていたが、その日の夜一人の時間になった途端、急に熱が冷めていくのを感じた。


 「何つーか、別に凄いことやないよな?『今』の俺に限って言えることやけど。

 こんだけやり直して……しかも前周回のアドバンテージでどんどん強くなってるんやから、勝って当たり前やろって話やん。

 そう考えると何か……めっちゃ冷めてきたな。もう何とも思わんくなったわ」


 いい年した大人が中学生の大会に出て、それに勝ってはしゃいでるようなもの。というか完全にそう。それの何が凄いことなのか。確かに嬉しかったよ。念願の大阪ナンバーワンを勝ち取ることが出来て。

 だけどさ、俺って今ズルをしてるわけじゃん。それを思い出すと何か素直に喜べない自分がいる。30歳の大人が都道府県別の中学の大会で優勝したくらいでガチ喜んで浮かれてるとか、俺はどんだけ小さくしょぼい奴なんだってこぼしてる冷静な自分がいる……。

 思い切りズルをしたからこそ、必ず勝たなければいけない。だから勝っても喜ぶことは出来ない。俺にその資格はない。


 「中学とか高校の間は、大会で優勝しても『ズルしとんのやから勝って当たり前やろうが』って、あんまし素直に喜べへんかもなぁ……。

 大学なってからやっと、喜べるかもしれん」


 ふと今日のレース直後のことを思い出す。2位の魚住が「大会新おめでとう」と言って、握手を求めてきた。それに応えて握手すると彼は敬う感じの目で俺を見た。本来なら彼がこの200mの優勝者になっていた。タイムも22秒50台と今季中学ランキング50位内に入るレベルで、十分速い。俺と違って一回きりの人生の中でそのタイムを出した彼の方が凄い。だから本当は俺が敬う方なんだよ……。

 同じ東大阪市出身の富竹からも初めて話しかけられた。彼とも当時は地元の大会で何度か一緒に走った。いつも彼の背を見ながら走っていたな。あと0.01秒で全国の標準記録に届かなかった、本当は凄く悔しいはず。なのに同じ地元の俺が好タイムで優勝したことを祝ってくれた。出来た人間だよ彼も……。


 彼らと違って俺は散々ズルをしてきている。ズルの上で得た優勝なのだ。だからやっぱり、彼らにはある程度の申し訳なさがあるというもの。


 「すまん、こればかりは魔が差したから……としか言えんわ。

 だからと言って、これで終わりに……なんてことはせえへん。まだ全然満足してへんからや。せやからまだまだ続けるで、ずっと……」





 府大会で3位内になったことで、近畿大会に出場した。8月6日から2日間、和歌山県の紀三井寺陸上競技場にて開催。当然人生初めてとなる大会。前周回では近畿をすっ飛ばしていきなり全国に出てたからなぁ。中学の場合、別に地方別の選手権に出てなくても全国には出られる。標準記録さえ突破していれば府大会3位内にならなくても出られるからな。

 だからこの大会俺は気楽に走ることにした。府大会・全国の時の緊張感は必要無い。全国を見据えた調整レースのつもりで走る。


 予選レース……府大会の予選・準決勝より少し速いタイムで走り、決勝進出を決める。近畿大会は都道府県・全国と違って、ラウンド戦は予選と決勝のみとなっている。

 同日の夕方時刻、200mの決勝の時を迎えた。同じ大阪の魚住も残っている。そしてもう一人、俺が注目している選手が…滋賀の彦根南中の柳生。

 前周回では全中の予選で一度一緒に走ったことがある。今から約7年後、100mで日本人初の9秒台を記録することとなってる、未来のトップアスリートだ。

 そんな彼とまた走れるとは、しかも全国を前に、これはラッキーとしかいえない。前周回からさらに速くなってはいる。それでもこの頃の柳生にはまだ勝てる気がしない。全中前のランキングでは2位、タイムも21秒台を出してる。中学生で200m21秒台って、ヤバ過ぎるんよなぁ……。


 そしていざ決勝レース。コーナー中盤までは府大会と同じかそれ以上に良い感じで駆けれた。しかしコーナーを抜ける辺りで内側レーンの柳生が猛然と加速し、俺を追い抜いていった。ピッチを速めて走りのリズムを上げて、柳生の後を追うが、追い返せる気がしない。ジリジリと差が広まっていく。前周回よりかは近い位置で彼の背中が見えるが、彼と並んで走るのはまだ先になりそうだ……。

 見事に負けた。それでも初の近畿大会で2位と悪くない結果(タイムは22秒30台、セカンドベスト)ではあった。優勝タイム21秒90を出した異次元と思えるくらい速い柳生は、知り合いの選手と何か話している。

 中身が色々開き直った大人の俺だが、一度も話したことが無い相手に自分から話しかけられないのは相変わらずということで、柳生とは何も話すことなくトラックを去った。あ、魚住とは少し喋ったな、うん。


 それから1、2週間は全国大会に向けての練習に専念した。仕上がりとしてはこれまでにないくらいの出来、良い走りが出来る気しかなかった。

 全国大会前の最後の学校練習の日、短距離のみんなから応援の言葉やスポドリと補給食をもらった。こうして応援してもらえるくらいの人望が俺にもあったことを嬉しく思った。



 8月17日、全国大会1日目に俺は大会の舞台である鳥取県布施に到着した。レースは翌日ということで、人が少ない時間帯にサブトラックに入って前日練習をこなし、その後は競技観戦して過ごした。何度見ても中学生が400m49秒台で走るのやべーよな。去年なんかは48秒前半で走ったバケモンがいたんだって。


 2日目、1本目のレースに合わせていつもより早く起きて、飯も早い時間で済ませて、シャワーも浴びて身体を完全に起こしてやる。予選レースの2時間前にサブトラックに到着し、ウォームアップをこなす。

 そして午前最初の競技として200m予選が始まり、俺はその5組で走った。今周回は柳生とは違う組、初めて見る顔しかいなかった。

 その中で俺の予選レースがスタート。前周回とは違う、俺はあの時よりもずっと速い。なので組1着でゴールして、しかも余力を残しての予選突破を決めた。


 約1時間半後、準決勝レースの時間。予選時よりも気温は高くなっていて、何もしてなくても汗が出てくる。令和の酷暑を経験している俺だが、平成の真夏もやっぱり暑い。前周回はこの暑さにやられてしまい、散々な結果に終わった。

 今回はあんな無様を晒したりはしない。調子も問題無い。いける……!

 アナウンスの選手紹介に俺はしっかり応えて手を軽く振ってやる。「位置について」がかかっても余裕を崩すことなくスタブロに足をかけて、クラウチング体勢となる。

 「用意」――号砲、良い感じの飛び出しが出来た!大きな動きで強く押して、スムーズに加速する――これも出来てる!ここでつくった加速を殺すことなく、コーナーを駆けていく。

 カーブ抜けて直線に入る区間―――いいぞ、スゥ―――っと直線に入れた!ここでさらにリズムを上げた後、そのまま何もしないをするだけだ。外を走る柳生との差がほとんどない。でも内側から静岡修善寺の日和にすーっと抜かれた。別に構わない、追うだけ無駄だ、余計な力を入れるな、このままいけ―――――


 速報掲示板には3着に俺の名前が表示されていた。準決勝は着順で決勝へ行けるのが2着まで。3着以下の選手は全体でタイム上位2名が拾われて決勝へ進める。俺が今走った組が準決勝最後の組。2組終了時の決勝進出のボーダーは22秒50。これより速いタイムじゃないと決勝へは行けない。


 しばらく経って出てきたされた俺の正式タイムはというと、22秒―――55。

 残念ながら数歩及ばず、準決勝敗退だ。前周回よりは速いタイムで、全体で9位という今までいちばん良い位置に上れたが、準決勝で散ったという事実は同じだ。


 はぁ~~~あ。中身が高校2年生以上だというのに、4回も人生やり直してるのに、まーだ全国決勝に走れないのか、俺。やっぱ弱いなー。こんだけやっても舞台にすら上がれないなんて。あー弱い弱い。

 だけど、前周回と違ってスッキリしてもいる。やれるだけのことはやれた。猛暑炎天下の中でいちばんのパフォーマンスを発揮出来たと言える。それでダメなんだったら、仕方ないとしか言えない。

 それにまだ中学の大会だ。ここから高校、大学、その先がまだある。ここで勝てなかったからといって腐ることはない。高校や大学で勝てれば良い。今ここで必要以上に目立つ必要も無い。200mを21秒で走ったり100mを10秒で走ったりするのは、高校に上がってからでいい。

 

 「ま、中学陸上はこんくらいで十分やろ」


 ようやく、このやり直し人生に一つ区切りを入れられそうだ。



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