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 「この“リセット機能” あと何回使えるんや?もし、もしもよ?もしも回数に制限が無いのやとしたら……。

 俺は、この人生をここから何度でもやり直せるってことに……」


 しかもリセットする際、それまで得てきた全てを「次」に引き継ぐことが出来る。 

 これを何度も何度も繰り返していけば……俺は、もしかしなくても、「超すごい人」になるんじゃないか?


 そうなれば、何をやっても上手くいかず中途半端ばかりだった、このクソおもんない人生を、最高のものに変えられることも……っ


 「……いや、出来るやろ。やれるやろ…!鍛えて成長してからリセットする…を何回も繰り返せば、もの凄い超人にだってなれるかもしれん…!」


 そうなる保証はまだ無いし、なったとしてもそれまでに何のリスクも無いとも言えない。というかあるかもしれない。想像を絶するようなヤバい副作用リスクが。


 「それでも、俺はやる。やってやる…!こんなチャンス絶対に二度と巡ってこんやろうし。たとえ栄光を掴んだ先に破滅が待ってたとしても、絶対に引かへんぞ。

 これまでずっと中途半端の凡だった人生のクソおもんなくてつまらん人生。そこから飛躍できる唯一のチャンスが、俺のとこに転がってきた。

 こんなん、掴む以外の選択肢はあり得んやろ!」


 それに既にもう2回もやり直してんだ、賽はとっくに投げられてんだよ。もう進むしかねーんだよ…!

 てなわけで、覚悟は決まった。決意も固めた…!


 やり直してやる、何度でも。納得いく結果が出なければその都度リセットしちゃえばいい。その時までに研鑽して得た記憶(経験)と身体能力…体の「強さ」を引き継がせて、前よりも強い状態からまたやり直すんだ。

 そうすれば納得いく結果なんて簡単に出せるし、もっと上にだっていける……いずれ最強にだってなれる!


 これから俺は人生リセマラを駆使して、クソおもんなくてしょうもない人生を好き放題に修正して、最高の人生に変えてやる!!



 


 

 行動を起こす前に色々考えてはっきり決めておくことがある。そもそもの話、俺はどう人生をやり直したいのか…についてだ。


 やり直す前の俺はとにかく才能・センスが無く、中途半端なとこ止まりの凡の中の凡だった。成長度合いもカス。特に高校の部活では同期たちの中でいちばん遅く、しょうもない伸びしかみられなかった。

 俺はそんな中途半端止まりの自分に嫌というほどがっかりし失望してきた。何で俺は一流になれないんだ?たった一つだけでいい、何か一つだけでも一流になりたかった。自分にはこういう才能があったんだって、誇りたかった。安心したかった。

 そうなりたくて、俺は子どもの頃から人並み以上の努力をずっと続けてきたのに……。

 無理だった。現実は俺を一流どころか二流にすらさせてくれなかった。

 俺はそれがすごく、すごくすごく悔しかった。発狂したくなるくらいに。自分の才能の無さを呪いもした。


 だから、このやり直し人生で俺が掲げる一番の目標は、


 「何でもいいから成功を収めて、『超一流』になること」 だ。


 陸上で金メダルを獲るとか、世界一喧嘩が強い男になるとか、株投資で大成功し億万長者なるとか。

 たった一つだけでもいい、何かで成功して一流、その先の超一流になりたい。俺自身で頂きのてっぺんに立って、そこから全てを見下ろしてみたい。


 30歳にもなってそんなガキじみたことを……って、世の大人どもはこんなことをのたまい夢見てた俺を笑うかもな。実際そんな奴が目の前にいたらぶん殴るけど。


 そういうわけで、やり直し人生の目標というか夢を想起させてみたわけだが。これを実現するにはどうすればいいのか。

 決まってる。分かりきってる。それは――ひたすら鍛錬し努力することだ。

 一日、一か月、一年、十年……とにかく膨大な時間をかけて鍛錬を積んでいく必要がある。

 人生およそ80年はある。それこそ膨大な時間だ。これだけの尺度でみれば、超一流になることが不可能だとは言い切れない。


 ただ、時間が経てば経つほど深刻な問題がついてくる。それは「老い」だ。

 加齢を重ねていくにつれて、人の体は老いて弱くなってしまう。精神・気持ちはどうにか出来ても、身体の老化はさすがにどうにも出来ない。努力で老いを遅らせることは出来ても、無くすことは絶対に不可能。

 目指す分野が体を激しく動かすスポーツであればなおさらだ。時間が経つほど体の限界値が縮み、老いによる機能低下もみられるようになる。


 結局人生の中で努力が出来る時間は長いようで短い。才能が無い者にとって人生は短く感じられることだろう。えっちらおっちら努力してるうちに体に限界がきてしまい、全て水の泡。世の凡人なんて大半がそうだろう。俺もその一人だ。


 でもやっぱり才能無しの奴が一流になり成功するには、膨大な量の時間をかけて努力しなければならない。決して避けて通れない道だ。


 何かの本で「一万時間の法則」というのを読んだことがある。あらゆる分野において一流と呼ばれる人は皆たいてい、最低でも一万時間以上の鍛錬を積み努力してきたんだと。

 安直につなげるならば、一万時間以上の鍛錬を積んで努力すればどんな凡人でも一流もしくはそれに近いレベルになれる…ということになる。


 ただ俺はこの法則はほとんど当てにならないものだと考えてる。まるで一万時間以上努力をすればほぼ確実に一流になれる…みたいな物言い。それを間違った認識で捉えて、ただ鍛錬を多くこなしていれば良いなどと思ってると、馬鹿を見る羽目になる。

 大体これって「最低」一万時間って話なわけで、誰しもきっかり一万時間で一流になれるって話にはならない。俺がそうであるように人間何においても個人差というものがある。

 ある程度の才能がある奴なら、一流になるのに一万時間の鍛錬と努力で事足りるかもしれない。

 だけど前から言ってるように、非才の凡野郎が一流になるのに、一万時間の鍛錬では到底足りないと思う。二万時間、三万時間、もっと倍の時間かけての鍛錬と努力が求められる奴も、世の中ごまんといるだろう。俺もその一人だ、きっと。

 一流になるのにこれだ、「超一流」になろうと思えばいったいどれだけの時間の鍛錬と努力が必要になってくるのやら。もう考えるのも嫌になる。


 さらに見落としてはいけないのが、努力の「正しさ」と「クオリティ」だ。

一万時間もの鍛錬と努力を積んだとしても、それらの質が悪ければほとんどマイナスな成果で終わってしまう。俺が良い例だ。

 俺に努力する才能があったかどうかはさておき、少なくともこれまでの人生で俺は努力の環境づくりに失敗し続けてきたと、ずっと前から痛感し続けている。自分に適してない鍛錬を続けてしまった結果、タイムは縮められず、怪我をよくしてしまっていた。前回のやり直しでも怪我してしまったしな。


 ここまで長々と脱線させてしまった、本題に戻ろう。やり直し人生での夢を実現する為に俺がこの先やるべきこと、今後の方針は、もう決まっている。


まず一つ、それは―――「誰よりも鍛錬を多く積み、たくさん努力をする」 だ。

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