第54話 君に殺されるために
ロビンは右手で握った短剣で自らの左腕を切り裂いたのだ
彼の血は、腕を伝ってバルコニーへと流れ落ち、赤黒い水玉を3つ、4つと増やしていく
今まさに飛び出してロビンへ襲い掛かろうと勇む自分の中の剣を必死に押しとどめ、リィナは低いうめき声をあげながら身を屈めた
「なんで、お兄様。」
リィナがロビンの血にひどく反応すると知っていて、自らの短剣で血を流したのか
目を丸くするリィナへロビンは苦し気な顔で笑いながら
「遠くにいくって言っただろう。」
とこぼした
幸い、彼の傷はあまり深くないようで、今この間にも少しずつ切り裂かれた傷口が端の方から閉まっていく
人よりもはるかに頑丈な魔族の身体に刀程度の傷はほぼ無意味といっても過言ではないだろう
おそらく兄の本意は、リィナの中の『退魔の剣』を暴れさせることだ
ロビンがうっかり怪我をしたとき、人の力とは思えないほど強い力で暴れるリィナを無理やりにも隔離し、幾度となく万事を救ってくれた魔族の仲間たちは今ここにいないというのに、兄は何を思い自らの手で血を流したのか
「今日は、リィナに殺されに来た。」
刀の鋭い痛みに歪んでいた顔は、一転、優しい表情でほほ笑んでいる
「勇者が、リィナの剣を使い俺を殺しに来ると思っていたんだ。自動的にリィナの身体の剣は抜ける。俺のせいで長い間、苦しませていた物が勇者の手に渡れば、リィナの身体が楽になると思ってな。」
じゃあお兄様は初めから、この結婚が純粋な愛ではないと分かっていて送り出したのか
感慨なさげに、とんとん拍子で勇者のもとへ嫁がせたのは自分の身を危険に晒してでも、私の身体を案じてのこと
「だけど、そううまくいかないもんだな。勇者は俺を倒したいわけじゃないんだろう。むしろ、リィナの剣はそのままにして俺を脅したい。」
冷ややかに笑うロビンへ、リィナはこくりとうなずいた
「それじゃ、何も意味がない。俺はいつまでも、リィナを救ってやれない。だから、」
ロビンが最後の言葉を言う前に、リィナは激しく首を横に振った
「嫌です。お兄様を手に掛けるなんて、私は絶対に嫌です。」
ロビンは手に持った短剣を鞘にしまわず、よく研ぎ澄まされた剣の先をきらりと光らせながらゆっくりとリィナの傍へと近づいた
「世襲制の魔王に跡継ぎがいない場合、現魔王の指名する者が次の魔王に襲名できると知っているか。俺はリィナに次を託したいと思ってる。魔族ではないが、俺の妹だし、周りからの信頼も厚い。困ったらラドルフもいるから、お前の優しさでたくさんの魔族を救ってやってくれ。」
リィナは小刻みに首を横に振りながら、次々とあふれ出る涙をほろりとこぼした
「俺を殺せばリィナが勇者だ。これまで分かり合えなかったふたつの勢力が一緒になれば、きっと魔族も人も平和になる。どうだ、合理的だろう?」
そのためにリィナがどうするのか、そのために自分はどうなるのか、全くわかっていないかのようにあっさりと笑って、リィナに告げるロビンの表情は清々しく一点の曇りもみられない
「嫌です。私は、お兄様を傷つけたくなどありません。」
ざわざわ騒ぐ身体の中の剣の声を必死に押しとどめ、自分の意思をはっきりと兄に伝えた
ゆっくり剣の切先が届く範囲へ近づいてくる兄から離れるため後ろへとのけぞったが、大きくて柔らかいソファに阻まれて、すぐ腕を伸ばせば触れられる距離まで詰められてしまった
月光を背に浴びたロビンが手に持つ短剣をリィナの首へと押し付ける
深い青の瞳がリィナをまっすぐに捕らえ、冷たい刃先がぞくりと背筋を凍らせていく
「初めて会った時のこと、覚えているか。」
大火に染まる街を走り抜け、魔王の森に迷い込んだ
そのとき、今と同じようにリィナの首に短剣を押し付けたロビンの殺気という圧力は喉が詰まりそうなほど恐ろしく、心臓が凍りつきそうだった
「あの時の恐怖を思い出して。なるべく、痛みを感じる前に刎ね飛ばしてくれればありがたい。」
まっすぐ殺意に燃えていたあの日の少年とは違う。柔らかく笑って、リィナの首元に当てられた手や腕はほんの少し、わからない程度に震えている
リィナの中で剣はぞくぞくと笑い血を沸かせ、四肢を自分たちの物にして操ろうと暴れまわる
この身体からまた剣が飛び出してお兄様を襲うことがあったら、また彼の代わりに自分の血を振舞ってやろう
剣を身に沈めたあの日より、さらに魔の血は濃くなっているはずだ。本当の血のつながりはなくとも、私はいつまでも、どこまでも、ロビンお兄様の妹なのだから
絶え絶えになりそうな息をゆっくりと吐いて、剣に飲まれそうになるのをやっとの思いで踏みとどまった
冷淡な表情で剣を突き立てていたロビンは、リィナがどうしても手に掛けたくないと抵抗するのを見て、ふっと笑い、諦めたように剣を下ろすと左手で優しくリィナの頬をなぞった
少し冷たくて細い指が優しく顔を包み込んで、しばらくリィナの顔をじぃっと眺める
「これで、最期だから、許せよ。」
そっとリィナへ顔を近づけ、何をするのだろうと思ったのも束の間
唇に柔らかくて暖かいものが触れた。お兄様の香りがふわりと全身を優しく包み、彼の体温がとろりと伝わって全身が熱くなる
そっとロビンの背に回したリィナの腕を彼は払いのけることなく、むしろ、彼自身もリィナの頭に右手を回した
優しく触れていた唇をロビンがゆっくりと離し、絡み合った視線をリィナはうっとりと見つめ返して、さらに、まだもっとこうしていたいと訴える
ロビンは安心したようにふわっと笑い、頭に添えていた手で髪をくしゃりと掴んだ
「リィナを愛している。」
はっきりと紡がれた彼の言葉は春の風にかき消されることなく、リィナの耳にまっすぐ届く
ロビンの告白に、リィナは驚きながらもしかし
「私もロビン様を愛しています。」
と答えた
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