第53話 さよならロビンお兄様

リィナの輿入れが順調であれば遠くへ、地方を巡回するというロビンの言葉にリィナはショックを隠し切れず、言葉を詰まらせた


「お兄様は魔王ですもんね。今の城ではできない大切な仕事がたくさんあるのでしょう。」

極力平然を装って紡いだ言葉だが、ロビンのまっすぐな瞳は私の本心を見抜いていないだろうか

気まずさで視線をそらしたまま、彼を直視することができなかった


「リィナも一緒に来ないか。」

「え・・・?」

予期せぬ誘いにリィナは目を見開き、兄を見た

月光に照らされた彼は穏やかにリィナに笑いかけ、時々吹きぬける春風に服の裾をはためかせている


「でも、私は、ライアンに嫁いだ身ですから。」

ライアンの傍で、ライアンがロビンお兄様に何か仕掛けないか見張っていなければならない。兄の自由を奪うものは、誰であっても、何であっても、この身に変えて封じてみせると、何度も誓っているのだ


「だから、うまくいってるのかって聞きに来たんだろう。電気もつけずに、ひとりで泣きそうな顔して、実家から持ってきた服を抱きしめてるお前の新婚生活が潤沢そうには、俺は思えないんだが。」

「それは、あの・・・・」

ばつの悪そうな顔で目を泳がせるリィナへロビンがさらにたたみかける


「部屋の趣味も、今着ている服の趣味もそうだ。リィナらしくない。気が合わないなら、無理に合わせなくても、離婚届を叩きつけて出てきたらいいんだから・・・って嫁ぐ前にも話をしただろう。」

「だい・・・・じょうぶ、です。」

心の弱い部分をピンポイントにえぐられたような気がして、リィナはやっとの思いでそう返しただけだった


ロビンの冷たい視線がリィナを凝視し、半分怒っているような、半分呆れているような、彼の強張った表情が少しだけ恐ろしい

言葉で表さなかった私の本音は、もう十分すぎるほど伝わってしまっているんだろう


ピンと張り詰めた沈黙がしばし流れ、ロビンは小さく息を吐くと

「好きなのか。あの、勇者のこと。」


まさか、私が好きなのはずっと、ずっと貴方、ただひとりです

忘れようと、他の方を好きになろうと努力はしましたが、結局、貴方の魅力にはかないませんでした


本音が胸に渦巻いて、今にも飛び出そうになってしまう

今目の前にいるお兄様に、そう伝えられたらどんなに幸せだろう

私をどこまでも一緒に連れていってくださいと言えてしまえたらどんなに楽だろう


ロビンへの思いが募る度、抑えている身体の中の剣がざわつき笑い出した

だけど、それでも、私はロビンお兄様が


「好きですよ。」


遠くへ行ってしまうのなら、もうこれが最後だと思ったから

春風にゆれる黒髪も、深い青色の中に光る金色の三日月も、細くて長い手指も、すらっとした細身の身体も、全部全部しっかり目に焼き付けてリィナは答えた


きっとロビンお兄様には「ライアンが」と伝わるだろう

頭が良くて、気が利いて、仲間の異変や危険にもすぐ気が付くくせに、私の恋心には全く気が付かない鈍感さに少しだけ甘えているんだ


「そうか。」

短く答えたロビンの横顔が、一瞬憂いをおびて、恋が砕けた失意に染まった気がして、リィナは自分の目を疑った

しかし、すぐに、そんなはずあるわけないと思いなおし、にこりと笑う


「じゃあ、幸せになれよ。」

「・・・はい。」


もう、会えることはないのだろうか

名前を呼んでくれることも、隣で頭を撫でてくれることも

本当の兄妹のようにじゃれついて、言葉では煙たがりながらも付き合ってくれた

お出かけして、買い物して、食事をして、私は勝手にデートみたいだって妄想にふけりながら手が触れるか触れないかの近い距離を歩くのが好きだった


胸のときめきも、高鳴りも、ロビンお兄様からもらうばかりで、ライアンにはない

お兄様を想って心が熱くなるに従い、身体の中の剣も騒ぎ出した


『魔王だ。魔王が近いぞ。血が欲しい。奴の血が、全て欲しい。』

ガツンガツンと頭の中で鐘が鳴り響き、自分の声がかき消されていく

さっき触れられたところが熱くなる。心が温かくなって、もっと近くにいたいと思うのに、それを黒塗りするようにしゃがれた剣のこえが下品にがははと笑っている


窓辺に立ったロビンがリィナを振り返り、優しく微笑んだ

優しい月光の光に照らされて、柔らかく穏やかに笑ったロビンの表情が、今にも壊れてしまいそうなほど儚くて、胸の鼓動も呼吸も、時すらも止まってしまったかのように、心を打った


さらりと吹く春風に乗って、雲のように夜空へ消えてゆく彼の一挙手一投足を目に焼き付け、瞬きすらもおしんでロビンの後ろ姿を見守る

真っ黒な夜空に浮かぶ雲のように彼はどこかへ消えてゆくのだろう


もう私の手が届かないところへ

私の隣を彼が温めてくれることはないのだろう


「私は、いつまでも、ロビンお兄様の妹ですよね。」

いまにも飛び立とうとするロビンの背中へリィナは早口に投げかけた

ロビンはそれに少しだけ振り向いて、優雅に笑い

「当たり前だ。」

と短く答える


もう一歩踏み出せば、バルコニーから消えてしまう

そんな時、ロビンの左腰の上着が動いた

いつも携えている金色の短剣を帯刀しているまさにその場所が大きくはためいて、「え。」と驚く暇もなく、ロビンの足元に赤黒い水玉がぽたり、ぽたりと落ちてゆく


『魔王の血だ』

リィナが気づくよりも先に、身体の中の剣が叫んだ

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