第41話 10年の約束

自分でも気づかないうちに、いや、気づかないようにしていただけかもしれない


叶うことのない望みを抱いたところで残る物は何もないと頭の片隅で理解しているからかもしれない

気が付くと目が追っていて、お兄様のことばっかり考えてしまって、

身に宿した剣が喜び力をつけていくと分かっていてもやめられなかった


兄の自由と引き換えにささげたこの身に宿る大剣は、日ごろ息を潜めていても新月の夜になるれば決まって暴れ出して頭の中で

『魔王の血が欲しい』

と喚き散らす


野獣のように身体をかきむしって暴れ、お兄様に襲いかかろうとするのを事前に食い止める方法をひとつだけ見つけたのだ


新月の日の夕方、兄の部屋を訪れてそわそわと身を揺らしてそれを待つ

兄の白い腕に刺された注射器が毒々しい鮮血を吸い上げて、小さなショットグラスに落とした


コップから湧き上がる鉄の香りにリィナの中の血が騒ぎ、暴れようとするのを何とか押しとどめて素早くそれを口に含む


口の中でまったりと絡む鮮血をゆっくりと味わうように飲み込むと湧き上がりかけた暴動が静かに収まって行った

「もう少しいるか?」

「いえ、大丈夫、です。」


毎月こんなことをさせているのだから、リィナの胸はひどく締め付けられる

なるべく少量で済ませられるように、もっとと騒ぐ者たちを無理やり押やって、笑顔を浮かべた


「あまり無理するな。これぐらいなんてことないから。明日、晴れてたら海でも見に行こうか。」


ぐったりと体重を預けるリィナの身体をロビンは抱きしめるように支えて、耳元で優しい言葉をささやく

気軽に触れる指も、触れあった体温も、全部全部心地よくて、もっとこうしていたくなってしまう


本当は分かっている。兄の傍にいればいるほど発作の間隔が短くなっていっていることも

いつか自分が剣に飲み込まれて、兄を襲ってしまうのではないかという恐怖も全部抱えて、全部理解していて

それでもこの人の隣にいたいと願ってしまう


貴方の傍にいられる時間が少しでも長く続けば

名前を呼んで欲しい、近くにいたい


「リィナ、ひとつだけお願いをしてもいいか。」

ロビンはやけに神妙な面持ちでリィナをまっすぐに見て切り出した


「なんですか。ひとつと言わず、いくらでも聞きますよ。」

リィナはにっこりと笑って、あまり他人を頼ることを知らない兄の珍しい申し出を待った


「10年でいい。剣を身体の中に収めておいてくれないだろうか。それだけの期間があれば、今、魔族が抱えている問題も争いごとも必ず治められると思うんだ。だから俺に10年だけ自由をくれ。」


魔王らしい彼の顔は真剣で、まだ12だというのに魔族の将来を両肩に背負った者の凛々しい顔だった


「10年後には必ず、リィナの中に宿る剣を何としてでも取り出し、お前の望みを全て叶えてやる。もう一度、俺をここに封じてくれても構わない。リィナが望むなら、俺の首も喜んで差し出そう。だから、10年、10年だけでいい、俺のわがままを聞いてくれないか。」


リィナの両の目をしっかりととらえるロビンの目は熱く決意を感じられるものだった


リィナはロビンの勢いに少し圧倒されながらも、柔らかい笑みを作って

「もちろんです。お兄様。10年と言わず、ずっと永遠に、自由に羽ばたいていてください。お兄様はその権利も価値もある方ですよ。」


リィナがにっこりと笑ったのをみて、ロビンもほっとしたように大きく息を吐いて張り詰めていた肺の中の空気を入れ替えた


「剣を取り出す方法も随時探す。俺に自由を与えてくれた代わり、とは言わないが、必ず、リィナのことは幸せにするから。」

「はい!」

リィナは弾けるように無邪気な笑みを作り、敬愛する兄ともうしばらくの間、共にいられることを純粋な気持ちで喜んだ



彼と約束をした10年という月日の間に大きく変わったものはひとつ。

兄として慕っていたはずの自分の気持ちに気が付いたのはいつ頃だろうか


何度も否定して、でも胸の高鳴りも身体の火照りも収まらなくなって、ロビンお兄様がいつまでも気が付かないのを良いことにずっと甘えている


彼は妹としてしか見ていないから


気軽に触れてくれる、一緒に出かけて、一緒にご飯を食べて、笑いかけて、時には抱きしめてくれる

そんな幸せを壊すのがもったいなくていつまでも蓋をしたままだった


違う。剣を宿したときから崩壊は始まっていたんだ

貴方のそばで過ごせる砂時計は着実にすごい速度で下へ流れ出していて私は砂が無くなってしまうまで抗うことなく夢に浸っていたかったのに


彼は夢を覚ましてでも私の身体を大切にした

不器用な優しさが私を剣よりも鋭く貫いているのをお兄様は気づいていないだろう


「幸せにしてもらえよ。」

なんて言って笑わないでよ

私は貴方に幸せにしてもらいたかったんだよ


特別な純白のドレスのベールをあげて誓いのキスをしてほしかったのは

ロビンお兄様。貴方ひとりだけです。


他の誰に愛の言葉を頂こうとも、触れて、同じ時を過ごしても、温まった熱が冷めそうにありません。むしろ締め付けられて燃え上って、逢いたくて、声を聞きたくて、たまりません


お兄様との約束を聞いていたかのように、『退魔の剣』は身に宿してから10年をすぎたあたりから、血を求める剣の声はずんずんと強くなり、心も身体も彼らに乗っ取られそうになった


それでも忘れられなくて

魔王の敵である勇者の妻にもなったのに、まだお兄様のことばかり考えてしまう

私はとても不躾な妻ですね

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