第40話 解かれた封印

ふわりと気持ちが良くていつまでまどろんでいたのだろう


重い瞼をゆっくりと開けると、まばゆい光が差し込んみ、一番救いたい人が、どうしても護りたかったひとの顔があってあぁ、夢かとリィナは落胆した


だって死んでしまったんだもの、会えるはずがない


頭の中で騒ぐ声に侵食されて、四肢も思考も全て剣に乗っ取られあわやお兄様を傷つけかけた

ふと思考が帰ってきたとき、お兄様が私を睨み短剣を構えていたのを見て安心したのも束の間、それを投げ捨ててこちらへ走ってくるんだもの


あんまり驚いて。そして剣があんまり喜ぶから、腹が立って


そんなに血が欲しいなら私のを全部くれてやると自らの腹に突き立てた。魔王、魔王って、私だって魔王の妹なんだもの、私で我慢しなさい


鋭い痛みが走ったのを覚えている

身体がじんじんと疼くように熱くなって、燃えるように身体が芯から震えてえぐられる痛みがひどく続いた

頭の中の声も喚き散らして鳴りやまず、割れんばかりの痛みにいつしか意識が遠くなってしまった


最後にお兄様が抱きかかえてくれた気がして、とても嬉しかった

温もりと、香りと、私の名を呼ぶ声を今でも鮮明に思い出せる


私を幸せにしてくれた恩は少しでも返せたかな。今はもう、どこへでも自由に行って笑ってるかな


「ロビン・・・お兄様。」

うわごとのように零れた言葉を目の前で心配そうにのぞき込んでした人が驚いて拾い上げる


「気が付いたか。リィナ。痛いところは、どこかないか?」

アルトの響きも、握ってくれている手の感触も全てその人のもので、リィナは虚ろだった視線をそこへ定める


「動かないところは?聞こえてるか?見えてるか?俺のこと、覚えてるか?リィナ・・・?」

答える暇を与えず矢継ぎ早に質問する人は私の手をぎゅうっと握って、反対の手で優しく頬を撫でる


横になったままの姿勢でぐるりとあたりを見回すと、見慣れた医務室の風景だった

白で統一された清潔感のある医務室にはしみついたアルコール臭がふわりと漂い、普段より硬いシーツやマットが違和感を感じさせる


いつもの黒の礼服を身に纏った兄がリィナの手を取って傍に座り、その奥には白衣をきた男性が3名と女性が2名、同じように心配そうな顔をしてリィナをのぞき込んだ


「私、生きてるんですか。」

長く発声していなかった声は少し枯れてすんなりとは出しにくかったが喉にも以上は無いらしい


「不思議なことにな、刺し傷ひとつ残っていない。彼らの見立てでは異常なしとのことだが、本当に大丈夫そうか?」

リィナは手や足を少し動かしてみたが異常はなく自分で刺したはずの腹もちらとも痛まない


「なんともない、みたいです。」

リィナの一言に兄もそして医師たちも顔をほころばせほっと安堵のため息をついた


ロビンはにっこりとほほ笑んで

「じゃあ何か食べるか?もう少し休むか?」

リィナの頭をくしゃりと撫でてそう言った


重い頭を回転させ、自分がなぜ剣を手に取ったのかというのを思い出してからはっとして


「ロビンお兄様は自由になりましたか?」

リィナの瞳が、ロビンの深い青の瞳を捕らえた


瞳の中の金色の三日月は少し揺れて、優しく諭すように続ける

「おそらく。でもまだ確かめてないんだ。リィナが起きてから一緒に行きたくて。」

不安と期待を含んだ顔で、しかし柔らかく笑っていた




それから数日後、青い空に白い入道雲ぐんと伸びていき、気持ちの良い風が吹く夏の日のこと

強い日差しに照らされながらあの赤いリボンの麦わら帽子と、季節に似合わない黒の礼服を纏った男が共に森を抜けて街に出た


足早に深い森を進み、ぱあと明るくなった街へ最後の一歩を踏み出すとき、ロビンは少しためらうように少し後ろを必死について行った私を振り返ってごくりと唾を飲み込んだ


以前は透明な壁のようなものに強いられて身体が跳ね返され指の一本も領地の外へ出すことができないどころか、小さくけれど強い電流が身体をぴかりと流れて地面をのたうつことになったのだ


またあの悪夢が襲うのではないかと、彼はらしくなく弱気になって最後の一歩をためらった


「行けると、思うか。」

「はい。」

リィナは渾身の笑顔でロビンを見つめた


彼は大きく頷いて、そして大きく息を吸って、優しくリィナの手を握った

細くて長い彼の手はほんの少しだけ震えていて氷のように冷たく力がない


ロビンの手を握った時、リィナの中で何かが疼いた。何者かが笑って、喜ばし気に笑い転げているのを腹の奥深くで感じた


それは自らが宿した『退魔の剣』の喜びの詩だと気が付くのにそう時間はかからず、彼らはロビンに近づくたび、傍にいればいるほど力を増して私の中で欲望を蓄えていく


貴方の傍にいれば私はいつか怪物になってしまうかもしれない

貴方を殺すための剣に飲み込まれてしまうかもしれない

だけど、それでも離れられなかった。離れたくなかった


街の賑わいを自分の目で肌で感じたときの兄の瞳の輝きは舞台の上で光る役者のように神々しく、期待に胸を躍らせる横顔と泣きそうな笑顔をリィナは鮮明に記憶している


夏の日差しを燦燦と受け爽やかな風に黒髪を揺らし、街へ出られた喜びと感動で日ごろのクールなキャラを夏の汗と共に吐き出してしまったらしいロビンがリィナを強く両腕の中に抱き込むと、耳元で

「ありがとう。ありがとう。リィナ。」

と震える声で何度も繰り返した


夏の強い日差しのせいでやけに身体が火照って、心臓までもがドクンと跳ねる。細身ですらっとした見た目とは裏腹に筋肉質な体躯を薄手のワンピースの上からでもしっかりと感じていた


恐れながらそっと兄の背中に手を回し、さらに兄の両腕の締め付けが強くなって息まで苦しくなるとなぜかそれすらも心地よくて、ずっとこのままでいたくて、もっと触れて欲しくなって


五月蠅いくらい心臓が早くなっているのは、きっと夏の暑さのせいだ。涼しかった森から急に抜け、雲に隠れることなく強い日差しがギンと照っていて身体の中から熱が湧くほど暑いからだ


だって、私の一番大切な人は『お兄様』なのだから

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