魔族は恐ろしく冷たい生き物ですか
第26話 ロビンの胸中
陽の沈みかけた魔王城ではロビンがやけに苛立った様子で、机に向かっていた
魔王なるもの魔族の領地の管理や争いごとの和鄭、各種承認印の押印と、やることはたんまりと積みあがっていく
ロビンは涼しい顔で、けれど、いつもより激しい音をたてながら、溜まっている書類に判を押してく
いつもなら少し確認してから押す印鑑も、今日はちらと見やるでもなく機械的に印鑑をどしん、どしんと押して次から次に仕事を片付けていった
「そろそろ、夕食の頃合いでしょうか。」
ロビンの傍で一緒に書類に目を通しながら書類の山を砕いていくラドルフがふいに零した
「あぁん⁉」
「いえ、そろそろかな思っただけですよ。」
ラドルフが含んだ笑いを浮かべ、すまし顔で笑うのに苛立ったロビンは机を両手でダンッと叩きその勢いでどうっと立ちあがる
「てめぇ、ぶっ飛ばされてぇか。」
「いいえ。ロビン様の、ですよ。お腹がすくころかなと思いまして。」
ふっと笑い、いつも『腹が減ったか』などとこんな時間に聞くことがないのに、ひらりとかわすラドルフに一層腹が立ってロビンはラドルフのほうへと歩み寄る
自分より頭一つ分背の高い長身の白づくめの男はそんなロビンに一縷のおののきも見せず飄々として
「なんですか?」
と言ってのける
ラドルフを睨みつけて、憤るロビンに
「先ほどから、せわしなくカリカリされているご様子ですので、お腹でもすいているのかと思いまして。」
またもにこりと笑って抜かすものだからさらに胸糞悪くなってラドルフの胸ぐらをつかみかける
「まぁまぁ。さぁ、お仕事の続きを。」
この数日、リィナの結婚準備だとか、最後のお出かけだとか、最後の食事だとか、最後のなんやかんや難癖をつけてべったりされていたものだから仕事があまりにもはかどらなくてこの始末だ
いつもなら適当なところでひっぺがすのだが、『最後』と冠言葉をつけられては拒否しづらくなってしまい結局なし崩し的にリィナのペースに持っていかれて、あいつが満足するまで付き合わされてしまった
それで今になって溜まっていた膨大な量の仕事に打ちのめされて、休憩もそこそこに仕事部屋に缶詰になっているから
だから、俺は機嫌が悪い
だから、だからだ
仕事が多いから、終わらないから、だから無性にイライラして、ムカついて、何かがこう胸の中でざわついて、ちょっとのことで癇癪をあげるほどはらわたが常に煮えくり返ってぼこぼこ沸騰中だ
「ちょっと出てくる。」
「いけません。そんな余裕は、」
制止しようとするラドルフを無理やり振り切ってロビンは足音高らかに外に出た
夕日が真赤に染まり、水平線に落ちてゆく
昨日はリィナとふたり、魔王城を出てすぐのところに広がる見晴らしの良い丘の上で肩を並べて陽が落ちるのをぼーっと眺めていたというのに
泣き出しそうな顔で夕日を眺めていたリィナが、ふと目を逸らすと三角座りした膝の上に腕を交差させて顔を沈め、肩を沈めているものだから
「え?おい、どうした?」
と俺は慌てて、リィナの背中をさすったんだった
「なんでも、ないです。あんまり夕日が綺麗だから。」
夕日が綺麗で感動して泣くやつがいると深く眠っていた記憶の沼から引きずり出してきて、本当にいたんだな。と胃の腑に落としたものだ
でも今日は、今日は、そんな暇もないくらい忙しくて
赤く沈みゆく夕日は大きくたゆんで水平線の中に消えていく。あたりの空や海や街を燃え上るように真赤に染めて最後の灯火を惜しむかのように精一杯最後の力を振り絞って力強く燃え上らせてゆっくりと落ちて行った
たしかに芸術的で美しいとは思うが、俺の目からは何度夕日を見ても涙が溢れることはなさそうだ
すぅと大きく息を吸い込んで、山の緑の香りを鼻腔に感じながら、なぜか左側が寂しい気がしてそっと横を見る
リィナがいるはずはない
だって今日リィナは彼のところへ嫁いでいったのだ
彼女を本気で愛し、大切にしてくれる男のところへと嫁にいったのだ
兄として喜ぶべきはずが、なぜか心に穴が開いたように隙間風ばかり吹きぬけて釈然としない
まぁ少し五月蠅い奴だったから。俺の後ばかり追いかけてじゃれついて
それが無くなったから少しだけ感慨深いだけだ
元の静かで安穏な生活に戻る
この城の中で、皆と共にずっとー
いや、違う
リィナのおかげで俺は自由にどこへだって飛べるようになったんだった
翼をもぎ取られ籠の中に入れられていた鳥が翼を取り戻し空へ、広い空を駆けてどこへだって行けるんだった
リィナが俺をこの地に磔にしていた『退魔の剣』の呪縛から、その身を呈して解き放ってくれたから
自分が自由になったのに、彼女をここにしばりつけておく訳にはいかない
リィナの首に巻き付けたドックタグははじめのうちこそ効力を持たせて、リィナの足取りを感知していたがしばらくたって俺の魔力も完全に抜け本当にただのアクセサリーでしかなかった
「それ、外していいぞ。」
って言ってやればよかったな
もう自分でも外せたのに、それに気づかなかったのか、それとも俺にしか外せないと思い込んだままだったのか、リィナの首元で銀色を放つ親指大のドックタグは彼女の首元にしっかりと結びつけられたままだった
けれど、もしも勝手にどこかへ逃げたって追いかけないつもりだった
彼女の居場所が分かっても突き留めず、そのまま逃がしておいてやるつもりだった
リィナがひとりで街へ出かけると行って山を降りるたび「もう帰らないかもしれない」と何度も頭をよぎって、陽がずいぶん沈んでも帰らなかったときにも「探しに行きましょう。何かあったのかもしれない。」と慌てる使用人たちに首を振ってそっとしておいた
あのときも、そうー
夕暮れになっても出かけていったリィナが帰らなくて「あぁ、これは。」と諦めたんだ
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