第三幕 同じ境遇

 刹那――、

 呪殺怨霊が鎌を再びロクロウに振り下ろし、それを抜刀したロクロウが素早く受け止め、脇に刃を流した。

 ガチンという音が反響して耳を劈く。三日月型に曲がっている鎌の内側の刃に刀を滑り込ませてあてがい、攻撃を適度にいなしていく。実体化したサネミが深雪と満春を少し離れたところに移動させたのを横目で確認すると、ロクロウは鎌を大きく払って後ろに一歩飛び、再度呪殺怨霊の懐に一気に飛び込む。

「何をそんなに夏越に対して恨み募ってるか知らねぇが、いい加減飽きてきただろう! そろそろそれも終いにしようや」

 相手の左脇腹に一度突きを繰り出した後、そのまま右肩に向けて刃を返し一気に切り上げる。だがその刃をすれすれのところでかわせば、呪殺怨霊は鎌を逆手に持ち直し、振り上げたロクロウの左脇腹をすくいあげるように攻撃し返す。

「っち、しゃらくせぇ攻撃しやがって……」

 体を狙う鎌の間に刀を滑り込ませてなんとか致命傷を避けるが、リーチの長い鎌の先が少しばかりロクロウの身に傷をつける。衣服が破れてロクロウの表情が一瞬歪んだのを蓮夜は見逃さなかった。

「ロクロウ……!」

 そばに寄りたいのに、やはり体の芯が抜き取られたように力が入らなくて立ち上がれない。どうにかしなければともがく蓮夜を背後に、ロクロウが前を向いたまま言う。

「無理して動くな。お前さんの魂は今……半分怨霊に引っ張られて体外に出ちまってる状態だ……下手すりゃ死ぬぞ」

 少しばかり圧をかけるようにそう言われて、思わず身を強張らせる。ロクロウが言うことはきっと嘘ではない。彼はこういう時に嘘を吐くやつではないということは、もうわかっている。

「しっかし……重てぇ攻撃するのな、お前さん」

 切られた場所を手でさすりながら言うロクロウに、呪殺怨霊が間髪入れずに追撃する。咄嗟に鎌の根元に柄をぶつけるようにして攻撃をはじき返し、そのまま懐に飛び込んでどてっぱらに一発拳をかましてやる。

 だがその直後、突然ロクロウは動きを止め、まるで頭が痛んだように手を額に当てがった。

「…………っ」

 刀を地面に突き刺して前屈みになるロクロウの背中に、リーチの長い刃が再び襲いかかる。

「ロクロウ!」

 蓮夜が叫ぶのと刃がロクロウの背に突き刺さるのはほぼ同時だった。

 その瞬間、蓮夜の脳内に見たこともない光景が浮かび上がってくる。


 どこか昔の光景……今とは違う和服を着た人々。

 閻魔の目に似た印を祭った霊場があり、その前に縄でくくられた男性がいる。

 群衆がそれを取り囲んで見ている。

 その人垣をかきわけ、捕らわれた男性に駆け寄ろうとする女性が見える。

 女性は人に阻まれ、ついに男性にたどり着けず……男性は命を落とした。


『許さない、絶対に許さない。彼を生贄にした夏越家の人間を許さない』

 

 この怨み……命尽きても末代まで祟ってやる……!


「…………っ!」

 ハッと我に返ってみれば、蓮夜は全身にぐっしょりと汗をかいていた。

(今のは……呪殺怨霊の記憶?)

 ロクロウの過去を見たときと同じような感覚……だとすれば、この記憶は鎌で刺されたロクロウに流れ込んできた呪殺怨霊の過去ということなのか。

 視線をあげて目の前で前屈みになったままのロクロウに視線を移す。ロクロウは背中こそ刺されているが、それを刀ではじき返し、なんとか立ち上がるところだった。

 全身何ヶ所も切られ刺され、彼はもう満身創痍だ。

「ロクロウ、今僕……」

「なんだ……蓮夜、お前さんも見えたのか」

 少しだけ振り向き、疲れた表情のロクロウが口角をあげる。

「……怨霊の気に当てられて油断したが、おかげでこいつの正体がわかったな」

 刀をもう一度鞘に納め、抜刀術の構えを取る。

「今の記憶が本当ならその昔、閻魔の目を封じる際に力及ばず生贄を用いてた時代があったってことだ……そんで、目の前のこいつは殺された側じゃなく、大切な人間を奪われた側の怨念だってことだ……」

「奪われた側……」

「そういうことなら、話は早ぇな」

 ロクロウは姿勢を低くして、満身創痍の体で呪殺怨霊をまっすぐ見据える。

「……来な」

 その言葉を合図に、呪殺怨霊が再び鎌を大きく振りかぶってロクロウに切りかかる。ロクロウも抜刀し、懐に飛び込みつつ刀を呪殺怨霊に突きつけようとするが、すんでのところでその刃を止めた。一方で止まらない鎌がロクロウの背後から回ってきて、今度は思い切り深く背中を突き刺した。

「……っぐ、はッ」

 突き刺さった切っ先がロクロウの体を貫通する。

「ロクロウ‼」

 人間ではないロクロウから血が出ることはないが、そのダメージは血が出ていなくても致命傷になるとわかるほど彼の体を傷つけて大きく穴をあけた。鎌が刺さったままのロクロウが、刀を地面に刺し、自由になった両手で呪殺怨霊の衣服を掴み上げる。

「……殺された、か……なるほどな」

 ロクロウの手と声が震える。

「大切なやつを殺されたなんて……お前は……俺と、同じだな……」

 うつむいたまま言うロクロウの表情はわからない。しかしその声はどこか慰めるように優しく、そしてまるで自分自身にも言い聞かせるように穏やかだった。

「失う側ってことは……残される辛さもわかるだろお前さんには……夏越の先祖だって……好きでお前さんの大切なやつを殺したんじゃねぇ……もう夏越は何度も大切な人間を早くに失ってきてんだ……そろそろ、許してやってくれねぇか」

 ロクロウの言葉に、呪殺怨霊の鎌がカタカタと震える。動揺を隠すように体に深く突き刺した切っ先をさらに押し込み、それに連動するようにロクロウが呻いた。

「ロクロウ! もうよせ、離れるんだ! それ以上傷を負ったら……っ」

 動けないまま背後から叫ぶも、ロクロウは背を向けたまま何も言わない。いくら霊体とはいえ、幾度となくその魂魄に傷を負えばただではすまないはずだ。それはきっと傷を受けているロクロウ自身もわかっているはずだ。それなのに、彼は引こうとはしない。それどころか、衣服を掴んでいた両手を体を貫いている鎌に移動させると、自身でぐっと力を込めるように促しながら言う。

「どうしても気が晴れねぇなら……俺を、霊体もろとも殺せ。俺は怨代地蔵付きだ……役目くらい果たしてやる。お前さんの気が済むなら……恨みをぶつけて俺を消してみろ」

 ロクロウの手が震えている。恐らく体力の限界が近いのだろう。このままもうあと一撃でもその鎌を食らえば、ロクロウは本当に消えてしまうかもしれない。

「俺も……人生で唯一……俺を大切に思ってくれたやつを……助けられなかった……殺したやつを恨んだ……だからお前さんの気持ちを否定することは……できねぇからな……」

「ロクロウ……っ!」

 心臓がバクバクと鳴るのに、自由にならない体は言うことをきかない。頼むから言うことを聞いて動いてくれと願うのに、魂の半分なくなった体は地に伏したままだった。

 何もできない自分が情けなくて、両目から涙があふれてくる。どうすればいいのかわからず、ただただロクロウの背中を見ることしかできなかった。


 その時、突如呪殺怨霊の鎌がスッとロクロウの体から抜き取られた。自由になったロクロウがその場に崩れ落ちて膝をつく。呪殺怨霊は鎌を落とし頭を抱えながら、地に伏しているロクロウをただ見つめる。

 やがて呪殺怨霊の目に当たるであろう位置から、一筋のしずくが流れ出す。それは地に染み込んで微かに光を放った。それが合図だったかのように呪殺怨霊の姿が足元から薄くなり、徐々に消え始める。

 足、胴と来て腕……消えていくにつれて蓮夜の体に力が戻ってくる。首まで呪殺怨霊が消えた時ようやく蓮夜は立ち上がることができるようになり、急いでロクロウの下へと駆け寄った。

 近寄ってみれば、ロクロウは人間で言う虫の息に近い状態……至るところに致命傷を負い、霊体そのものが消え始める寸前だった。

「ロクロウ、消えたら駄目だ!」

 なりふり構っていられなかった。

 蓮夜はそばに突き刺さっているロクロウの刀を素手で力任せに掴み上げると、そのまま両手から血をこぼし、ロクロウの一番大きな胴体の傷に両手もろとも血をあてがった。

「……っ、蓮夜、力の無駄遣いを、するなよ」

「馬鹿野郎! 無駄なもんか!」

 涙でぐちゃぐちゃになったまま蓮夜が念を込めれば、ロクロウの体もろともあたりが明るく輝きだす。実体化していなかったロクロウの体が強制的に実体を持ち、肉体がじわじわと蓮夜の血を吸収して塞がりだす。その光を消えゆく呪殺怨霊は黙って見つめていたが、最後消える瞬間、たった一言だけ蓮夜に向けて言った。


『モウ、ヨイ。スマナイ』


「……あ、」

 蓮夜が顔をあげるのと同時に、呪殺怨霊はパッと光の粉のようになって空に舞い上がった。空中を漂うそれは、まるで蛍のようにしばらく夜空を照らしていたが、やがて跡形もなく消えて見えなくなった。

 同時に、蓮夜たちを孤立させていた空間が消えて、遠くに喧噪が蘇る。どうやら確立された空間から抜けられたようだったが、夜笛と呪殺怨霊を相手にしている間に現実時間はかなり進行していたらしい。蓮夜がちらりと腕時計を視界に映せば、時刻は深夜二時を回っていた。

「お、わった……のかな」

 深く息を吐き出せば、蓮夜が治療のために手をあてがっていたロクロウが、地面に尻もちをつくように座りなおして空を仰ぐ。表情には疲れの色が見て取れるが、どうやら消滅は免れたようだ。一番大きな傷はなんとか塞がっていた。

「……蓮夜、体大丈夫か。こんなに能力放出しやがって」

「ロクロウこそ! なんて無茶な戦い方をするんだよ!」

 珍しく声を荒げてみれば、ロクロウは少しだけ驚いた顔をした後、困ったような微笑みを浮かべて「悪かったな」とだけ言った。

「これで六怪異は全部封印できた……でも、となるとこの後出てくるのは……」

「ああ、気ぃ抜くな……多分、そろそろお出ましだろうぜ」

 

 ロクロウがそう言った時、少し離れた位置にいた深雪の叫び声が響いた。それと同時に苦しそうに絶叫する満春の声が深夜の校庭に響き渡る。

 すぐさま蓮夜とロクロウが反応して近寄れば、筋書き通り……六怪異を討伐したことによって満春の背中の痣が大きく光り始めていた。やがてその光はひどく強いものになり、しまいには強い風が巻き起こって満春を取り囲む。

 近寄れず、蓮夜たちは満春から一定の距離を取った。

「満春‼」

 深雪が思わず風の中に飛び込もうとするのを、横にいたサネミが掴んで阻止する。

「いけない! 深雪さんまで風に呑まれてしまう!」

「でも、あの風の渦の中心に満春が!」

 その間にも、姿の見えない満春の悲痛な叫びが聞こえる。

「満春! 満春!」

 深雪が懸命に手を伸ばそうとした時、今度は空に稲光が走った。それに共鳴するように地面がゴゴゴゴと不穏な音を立てて揺れ始める。立っていられなくなってその場にしゃがみ込んだ。

 さながら天変地異のような光景を目の当たりにして、蓮夜の背中を冷や汗が伝った。

「満春ちゃん――!」

 風の中心にいるであろう満春を呼んで、蓮夜がなんとかその場から一歩踏み出そうとした、まさにその直後――、


 満春のいた位置が地割れを起こし、大きく開いた穴の中に満春が落ちていく光景が……皆の目に映りこんだ。

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