第二幕 死神

「……夜笛っ」

 六怪異として封印する以上、最後にこうなることはわかっていた。だが、何年も彼は蓮夜の近くにいて、それこそ思いがないと言えば嘘になる。

「……蓮夜、顔上げろ」

「……うん」

 だがここで悔やみに徹するのは違う。蓮夜には蓮夜の使命がある。きっと夜笛だって、それをわかっていたから引導を渡したはずだ。

 そう頭の隅で自らに言い聞かせ、顔をあげて立ち上がる。

「深雪さん、突然作戦を説明したのに……協力してくれてありがとう」

「……当たり前じゃない。満春の命がかかってるんだもん」

 変な事言わないでよ、と深雪が髪を払いのける。

「でも本当に上手くいって……良かったよ」

 

 そこで初めて異変に気が付いた。

「……あれ?」思わず声が出る。

「夜笛は消えたはずなのに……僕たち以外の人がいない。術が……解除されない」

 それどころか、さっきまで夕方だった空はいつの間にか夜の表情になっている。校舎には人気がないばかりか、電気すらついていない。校庭にいる蓮夜達以外に人の気配もない。

「どういうこと? 夜笛は……消えてない?」

「それはなさそうよ」

 蓮夜の問いかけに答えたのは、少し離れた所で満春に寄り添っていた深雪だった。深雪は横にいる満春の制服を少しばかりめくって背中を確認しながら言う。

「夜笛は消えてるわ。だって……満春の背中の五番目の色が変わってるもの」 

「なるほど確かに。五番目は他の部分と同じで変わってますな」

 そう言ったのは、どこからかひらりと深雪の横に舞い降りてきたサネミだ。サネミは満春の背中をまじまじと見ながら頷く。

「ちょっと……あんた仮にもレディの背中なんだから勝手に覗かないでよ!」

 深雪が払いのけるように右手を振り回せば、サネミはひらりと一歩後退してそれをかわす。

「これは失敬。夜笛は強敵でしたゆえ、封印できた確信を得たかったのです」

「サネミ、作戦通り援護射撃してくれてありがとう。おかげで何とかなったよ」

 蓮夜が言えば、帽子を被りなおしながらサネミが会釈をする。

「いえ、私は私に出来ることをしたまでです。しかし……この不思議な空間が解除されていないことがひっかかりますな。夜笛の力は消えているはずなのに」

 顎に手を当てて考え込むサネミを見ながら、蓮夜は改めてあたりを見渡す。暗くなった校庭には、自分とロクロウ、サネミと深雪と満春の五人以外の存在が確認できない。誰かが暮らす気配もなければ生活音もしない。遠くで聞こえるはずの自動車の喧騒もない。

「こりゃ……何かが夜笛の張った空間を引き継いだな」

 蓮夜の少し後ろで、木にもたれかかったままロクロウが言う。

「どういうこと?」

「簡単なことだ。夜笛が俺たちを個別空間に閉じ込めたのをって思ったやつがいたってことだ。利用しない手はないと便乗して空間を生き残らせた奴が他にいる」

「そんなことって……」

「ありえなくもない。波長さえ合わせりゃ、術の引継ぎなんかどうとでもなる」

 ロクロウがそう言った時だった。満春の背中を見ていた深雪が「……待って」と、どこか驚いたような声をあげた。すぐ近くにいたサネミが一番に反応して深雪の視線の先――捲られた満春の背中を同じように覗き込む。

「これ……六番目、なんか反応してない?」

「本当ですね、何かに共鳴しているようですな」

 満春の背中の痣……そこに記された残りのひとつの炎の印が微かに光を放って点滅する。まるで何かに共鳴するようなそれは、徐々に光を増していく。

「……っぃ、たい」

「満春⁉ 痛むの⁉」

 ふいに背中を丸めるようにして満春が前かがみになる。肩を抱くよう添えられた手には力が入っているようで、爪がシャツに食い込んでいる。額には汗が浮かび眉間に皺を寄せてじっと何かに耐えるように唇を嚙みしめる。

 ただ事ではない満春の様子に、深雪が背中をさするも効果はない。

「満春ちゃん、とりあえずどこか横になれる場所に移動して……」

 そう言いながら蓮夜が満春たちの元に駆け寄ろうとした――


 ――その時だった。


 突如蓮夜の背後にぐわっとすさまじい気配が膨れ上がった。

 それは黒い靄で、現れたかと思えばすぐさま人の様に形を変え、手に持った大きな鎌を蓮夜の首めがけて振り下ろそうとした。

 それは時間にしてわずか数秒。


「⁉」


 だが、蓮夜を背後から眺めていたロクロウがそれに気が付き、行動に出るには十分の時間だった。


「蓮夜‼」


 余裕のない叫びが響く。

 ロクロウは木の根元からすぐさま一歩踏み出し、顕現させた己の刀を抜きながら蓮夜の背後に飛び込む。

 刀は、蓮夜の急所に鎌が届く前にその刃を弾き返す。

 ガキンという鈍く重たい衝突音がすぐ背後で鳴り響き、蓮夜は思わずその場に倒れ伏した。

 弾かれた鎌をもった人型は一瞬怯んだように鎌を引いたが、ロクロウの刀が構えの体勢に戻る前にもう一度その鎌を、今度はロクロウの胴体めがけて大きく振りかぶった。

「ロクロウ‼」

 鎌はロクロウの胸から脇腹までを抉った。直前で少しだけ身をひいたロクロウだったが、かなり深く切られたらしく、思わずその場に膝をつく。

 蓮夜も上体を起こしてロクロウのもとに駆け寄ろうとしたが、不思議なことに体に力が入らない。まるで今まで体内にあった何かがぽっかりと抜け落ちたように、感覚が鈍い。腹の虫はもう戻っているはずなのに、どうして……。

「ロクロウ、そいつは……!」

「サネミ、蓮夜と女どもを連れて下がれ……」

 異変を察知し近づこうとするサネミにロクロウが言う。

「……ようやく合点がいったぜ」

 ロクロウはどこか不敵な笑みを浮かべて言う。表情には余裕こそなさそうなものの、その言葉には確信が含まれている。

「こいつは呪殺じゅさつ怨霊おんりょう……俗に言うみてぇなもんだ」

「呪殺怨霊……?」

「……蓮夜、お前さんの家系は代々男が長生きしねぇって言ってたな。それは恐らくこいつのせいだ。夏越家に恨みを持ったやつのなれの果て……お前さん達の繁栄を邪魔するために代々夏越家の跡取りの魂に移り取り憑つき、殺してきたんだろうぜ。お前さんが変に心臓が弱かったのも、俺様と出会った時に魂に触れなかったのもこいつのせいだ。てっきりばあさんが防術でもかけてんのかと思っていたんだがな」

「そんなことって……」

 蓮夜の声が震える。魂に怨霊が巣くっていた? 今の今まで気が付かなかったという事実が、今目の前にいる怨霊の強さを物語っている気がして思わず身震いする。

 ロクロウは膝をついた状態からなんとか立ち上がると、刀をもう一度鞘に納めて抜刀術の構えを取る。

「問題はなんでその怨霊が今になって顕現したか……これに関して答えは簡単だ。お前さんに取り憑ついていたこの呪殺怨霊が……最後の六番目の怪異に選ばれたからだろ」

「……!」

「だから……五番目の夜笛を倒した段階で姿が浮き彫りになったんだ。そんで、多分夜笛が蓮夜に怪異討伐を辞めさせたかったのも、こいつがお前さんの魂に取り憑いてるって勘付いたからだろうな」

 ロクロウの言葉に、夜笛が消える際に言ったことが思い起こされる。確かに怪異討伐を続けていれば、蓮夜がこの呪殺怨霊と対面することは避けられない。

 彼は蓮夜に言ったのだ。

 出来る限り長生きさせてあげたかったのだと。

 最後の怪異は、魂に巣くっている――と。

「……っ!」

 言葉のピースとピースが繋がると同時に、呪殺怨霊が再び鎌を構え直して大きく振りかぶる。その際、鎌の柄に眼の印が浮かび上がっているのが見えた。

「……代々取り殺して、息を潜めて夏越の血に影響してきたんだ。余程強い恨みなんだろ」

 姿勢を低くして、右手を柄にかける。

「けど呪殺怨霊……運がいいな。何て言ったって今目の前にいる俺様は怨代地蔵付きの悪霊だぜ?」

 ロクロウの低い声だけが風の中に響く。


「――恨みつらみ、愚痴ってみな。聞いてやるよ……俺様がな」

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