第四七話 天文十二年三月下旬『岡崎の戦いその伍』松平広忠SIDE

「敵将、織田信光! 血鑓九郎、長坂信政が討ち取ったりーっ!」

「おおっ、やったか!」


 前線から轟いてくる咆哮に、松平広忠は思わず喝采をあげる。

 織田信光と言えば、織田家随一の猛将として名高い男である。

 また、広忠の父清康が攻め、倒しきれなかった男の名でもある。


「はははっ、父の無念、晴らしてやったぞ!」


 口では建前としてそう言うが、心の中に満ちるのは父に勝ったという想いである。

 ずっと父と比べられてきた。

 父に比べ凡庸、と。

 浅慮が過ぎる、と。

 だがその父が倒し切れなかった男を討ち取った。

 家臣の乱心によって不慮の死を遂げたせいではあったが、それでも名将と名高い父にも出来なかった事を成し遂げたという事実は、広忠の心を大いに湧き立たせたのである。


「よぉし! このまま信秀の首も討ち取ってくれる!」


 広忠は勢い勇んで気炎をあげるも、


「殿、お待ちください! 深追いは危険です!」


 重臣の阿部定吉が諫言してくる。

 広忠は思わずカッとなって叫ぶ。


「軟弱者が! ここで攻めずしていつ攻める!?」

「頃合い的に、もうすでに敵も渡河し終わったところでしょう。船橋ももう解散しているはずです」

「はぁ? そんなものまた架けさせれば良い」

「井田城と平岩城に引き付けた織田勢もこちらへと向かっております! そのような時はさすがにないかと。下手すれば今度は我らが後背を突かれますぞ」

「ちぃぃぃっ!」


 広忠は忌々しげに舌打ちする。

 広忠率いる松平勢も、織田信光勢との激戦で疲労の色が濃い。

 挟み撃ちになりかねない状況での連戦が危険すぎるのは、興奮して頭に血が上った状態の広忠にもさすがにわかった。


「先代清康公の因縁の相手、織田信光を討ち取り、信秀も撤退! 戦果はもう十分かと。後は速やかに撤退し、被害を抑えるのが肝要と存じます」 

「……そうだな。おぬしの言を入れよう。撤退する!」

「はっ、お聞き入れ頂き、ありがとうございます!」

「ふんっ」


 つまらなさげに鼻を鳴らし、広忠は愛馬を回頭させる。


 こうしてここに、矢作川を挟んでの織田家と松平家の戦いは一旦幕を閉じる。

 戦略的には矢作川以西と、橋頭堡としての上和田城、三木城を確保し、支配領域を大幅に拡大した織田家の大勝利だったと言えるが、織田家としても家中随一の猛将との呼び声高い織田信光を失うなど、手痛い損失を被るなかなかに苦い戦いとなった。

 またこの戦いで織田信光を討ち取った松平広忠の武名は周辺諸国に轟き、家中での求心力も高め、少し後より『三河の鷹』の二つ名で呼ばれるようになる。


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