第四六話 天文十二年三月下旬『岡崎の戦いその肆』織田信光SIDE

「「「「「おおおおおおおっ!!」」」」」

「ちっ、もう来おったのか!」


 北方より轟いてくる鬨の声に、織田信光は忌々しげに吐き捨てる。

 こちらの撤退を察知した松平勢が追撃を仕掛けてきたと見て間違いないだろう。


 とは言え、早すぎる。

 こちらが撤退準備を始めてまだ一刻ほどしか経っていない。

 敵は今この時のために、兵の士気を高め準備を整えていたのだ。

 城を守るのではなく、一気呵成に攻め込むための!


「敵はいかほどだ?」

「確認できるのは三備! 数は二〇〇〇ほどかと思われます!」

「二〇〇〇か! 厳しいな。だが、そうも言ってられんか」


 昨日までであれば飛んで火にいる夏の虫だった。

 数にものを言わせて叩き潰せばいいだけである。

 だが今、信光の下にいる手勢は一〇〇〇。

 相手の半分である。


 あるいはもう一刻ほど敵が来るのが遅ければ、問題がなかった。

 井田城、平岩城に向かった別動隊が戻ってくるまで、上和田城に籠って戦うこともできた。

 だが、今はそのどちらもできない。


 今まさに信秀率いる五〇〇〇が、船橋を渡っている真っ最中だったからだ。

 渡河しながらの撤退など、軍としては最も危険な状態である。

 誰かがその後背を守られねば、追撃の格好の的になる。

 信光は野戦に撃って出ざるを得なかったのである。


「とにかく応戦するぞ! 矢を射かけい!」


 信光の号令とともに数百と言う矢が空を舞う。

 相手のほうからも矢の雨が降り注ぐ。

 またこちらからも矢が空を舞う。

 あちらから矢の雨が降る。


 この時代の合戦は概ねこの矢の応酬から始まる。

 いわゆる『矢合わせ』と呼ばれるものだ。

 兵を出すのは相手への示威行動であることも多いので、白兵戦にまで至らずこの矢合わせだけで合戦が終わることのほうがむしろ多い。

 が、今回はさすがにそうはならない。


 矢盾を並べ、じりじりじりじりと危険を冒して突っ込んでくる。

 何度矢を射かけても、止まる気配がない。

 ここで雌雄を決すという並々ならぬ決意を感じた。


 距離が一気に詰まってくる。

 ならばと今度は斜め上ではなく、直線に矢を放つ。

 牽制ではなく、殺傷を目的とした射撃だ。


「うっ!」

「ぎゃあっ!」


 悲鳴とともに、敵兵たちが何人も倒れ伏してゆく。

 矢盾も万全ではない。

 矢盾と矢盾の間を上手く狙い打てばちゃんと当たるし、名人ともなれば矢盾の木目を見抜いて真っ二つに割ったりすることもできる。

 だが、それでも松平勢は止まらない。


「大した士気だ。まるで炎よ」


 丘陵である岡崎城からは、撤退を始める織田軍が丸見えだった事は想像がつく。

 兵士たちも今なら勝てると気がついているのだ。

 勝てる確信を得て、戦果を求めて勇猛果敢に戦う修羅と化している。

 だが、それだけでもないだろう。


「将の闘志が伝染うつったか」


 敵兵たちからは、燃え盛るような怒りと敵意が伝わってくる。

 組織というものは、上に立つ者の色が多少なりとも出るものである。

 率いる者の禍々しいまでの攻撃性を感じずにはいられなかった。


「さすがはあの清康の子。鷹の子はやはり鷹であったか」


 松平清康は一三歳で家督を継ぐや、諸勢力が乱立していた三河をわずか六年で統一し、その盟主となった傑物だ。

 信光の守る守山城に攻めてきた時に遠目に見た事があるが、まさしく鷹のごとき眼光を持った恐ろしい男であった。

 今、敵兵から伝わってくる感じは、彼のものに実によく似ていた。


 おそらく敵将は、松平広忠か。

 守山にて自分と対峙し不慮の死を遂げた男の息子が、今、自分の前に立ちはだかってきた。

 因果は巡るとはまさにこの事である。


「だが、無念を晴らさせてやるわけにはいかぬ。弓隊下がれ! 長槍隊、前へ! 敵を食い止めよ!」


 信光が号令を下すや、備えの陣形が入れ替わる。

 矢合わせが終われば今度は槍合わせに移る。


 槍というと突き合うものと思いがちだが、実はこの時代の戦においては叩き合う・・・・ものである。

 二間半(約四・五メートル)もの長さの槍だ。

 柄の材質は竹だが、それでも重さはざっと六〇〇匁(約二・二キログラム)以上。

 長い分重心の問題もあり、先には穂先という鉄の穂先もついている。

 数字より体感では相当重い代物である。


 そんなものを地面に水平に突こうとしても難しい。

 となれば、上に振り上げ、振り下ろして叩き潰すほうが効果的なのだ。

 普段、クワを振っている農民ならばなおさらである。


 殺す必要まではない。

 とにかく相手を打ち据え転ばせ、まずは敵の陣形を乱し、穴を開けるのである。


 ただひたすらに叩き合う。

 叩き合う。

 叩き合う。


 一進一退の攻防が続いていたが、やがてじりじりと陣形が崩れ出したのは織田勢のほうであった。

 やはり単純に敵方の兵力が多い。また勢いもある。

 どうしても押されがちになってしまうのだ。


「鬨の声をあげよ! なんとかこらえるんじゃ! そのうち内藤勢と青山勢も戻ってくる。堪えきればもう敵は袋の鼠! 我らの勝ちだ!」


 これはいかんと、信光も喉が張り裂けんばかりに兵たちを鼓舞する。

 その言葉を馬に乗った使番が駆け巡り伝えるや、弱気になっていた兵たちの目に活力がみなぎる。

 家中随一の猛将の言葉には、やはり並々ならぬ力があるのだ。


「「「「「おおおおおおおっ!!」」」」」


 鬨の声とともに、押し返しにかかる。

 まだ不利は否めないが、これならまだいける。もちこたえられる!

 そう思った矢先の事だった。


 ゾクリと背筋に怖気が疾る。

 信光は思わず右方を振り返り目を凝らす。

 だからと言って見えるわけではないが、何かがいる。

 恐ろしく不吉で危険な何かが。

 それが近づいてくるのがわかるのだ。


 だが、今の織田勢は前方の松平勢を防ぐのに手いっぱいである。

 別のところに避ける兵などどこにもない。

 どうすることもできずただ時間だけが過ぎ――


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」


 危惧した通り、右方より鬨の声が巻き起こった。


「殿! 右手より敵兵が! 旗印からしておそらく戸田かと!」

「やはりか!」


 清州からの使番が、そのようなことも言っていた。

 松平の後詰めとして側面攻撃を仕掛けてきたのだ。


 軍というものは前方の敵には滅法強いが、左右の側面や背面からの攻撃にはすこぶる弱い。

 戦局が一気に敵方に傾き始める。


「ぐあっ!」

「な、なんだこいつ!?」

「殺せぇっ!」


 畳みかけるように、前線の方から兵たちの悲鳴とともに混乱が伝わってくる。

 どうやら敵方に一番槍を果たした猛者が出てきたようである。


「我は長坂信政なり! 人呼んで血鑓九郎! 我が槍の錆となりたくなくば、さっさと逃げるがいい!」


 大喝で名乗りが轟いてくる。


「ちぃぃっ、よりにもよってあやつか!」


 信光は忌々しげに吐き捨てる。

 一番嫌な時に、一番嫌な相手が出張ってきてくれたものである。

 あるいはわざとそれを狙ってきたのかもしれぬ。


 思えば今回ではなく、先の第一次安祥合戦の時もそうだった。

 あの男の勇戦からこちらの陣が崩れ、戦の流れが敵方に傾いたのだ。


「ひぃぃっ!」

「血鑓九郎だぁっ!」

「こんなの勝てるわけがねえ!」


 その恐ろしさは尾張中に轟いている。

 先の安祥で、身をもって知っている者も兵たちの中には当然いるだろう。

 前線が浮足立ち、陣形の乱れが加速していく。

 そこへ――


「「「「「うおおおおおおおおおっ!!」」」」」


 ドドドドドドドドッ!


 敵方のほうから重々しい地響きとともに、鬨の声が巻き起こる。

 敵陣を崩し、満を持しての騎馬武者隊の突撃だった。

 槍隊が崩れていては、とてもではないが騎馬の突撃など止められるものではない。

 たちまち前線が崩壊していく。


「無念、もはやここまでか」


 戦は勢いである。

 一度、ここまで大きく戦局が傾いてしまえば、もはや挽回は不可能だった。

 大勢は、決したのだ。


 さりとて逃げるわけにはいかぬ。

 信秀率いる本隊が撤退する時間を、少しでも稼ぐ必要があった。


「織田信光殿とお見受け致す。その首頂戴!」

「猪口才!」


 ついには本陣にまで敵が雪崩れ込んでくる。

 だが、むざむざ簡単に討ち取られる信光ではない。

 敵の槍をかわすや、こちらも槍を放ち敵の喉元を貫く。


「そう簡単に俺の首が獲れると思うなぁっ!」


 吼えるや、その後も信光は奮戦を続ける。

 一人、二人、三人、四人。

 次々と松平兵を討ち取っていく。


「どうしたどうしたぁ!? 松平の兵に武者はおらぬのかぁっ!」


 ここぞとばかりに一喝してやる。

 自分と敵の鮮血に染まった姿はまさに修羅そのもの。

 大将首に色めき立つ松平兵さえ、この気迫の前にはたじろいだ。

 織田家随一の猛将の名は伊達ではないのである。


「どけ。お前らでは相手にならん。拙者がやろう」

「っ! 貴様が血鑓九郎か!」


 そんな中、敵陣から一人の若武者が進み出てくる。

 その顔をまだ拝んだことはなかったが、松平軍で皆朱の槍を持つことが許されているのは、長坂信政ただ一人である。


 だが、仮にそれがなかったとしても、判別することは容易だったろう。

 まとっている雰囲気が他とは段違いである。

 対峙しているだけで、恐ろしく強い事が伝わってくる。

 まるで死神とでも接しているかのようであった。


「ふっ、スサノオ様も粋な計らいをしてくださる。貴様とは一度、槍を合わせてみたいと思っていたところだ」

「奇遇だな。拙者もだ。織田家随一の猛将の実力、見せてもらおう!」


 言葉を交わすや、どちらともなく槍を繰り出す。

 打ち合うこと数合。


(くっ、強い! こやつ、勝家並みか!?)


 このわずかの間に、信光は彼我の実力差を感じ取る。

 連戦の疲労はあるにはあったが、全く関係ない。

 十戦やれば、十戦全て負ける。

 それほどの圧倒的技量の差を感じたのだ。

 瞬く間に防戦一方となり、


「ぐうぅっ!」


 そしてついに、血鑓九郎の槍が信光の右肩を貫く。

 鎧の隙間を狙った見事な一撃であった。

 一気に腕に力が入らなくなる。

 これではもう槍は振るえない。


「ぐっ……み、見事だ……っ!」


 信光は肩を押さえつつ、その場に崩れ落ちるように片膝をつき目蓋を閉じる。

 もう勝負は付いた。

 生き浅ましく見苦しい振る舞いをしては織田家の恥である。

 後は覚悟を決め、潔く散るのみだった。

 

 正直、ここに残る事を選択した時点で、自分は死ぬという予感はあった。

 それでも残った事に、一切の悔いはない。

 自分は所詮、戦しか出来ぬ武辺者である。

 尾張を守り、発展させ、民に安寧をもたらすことができるのは、自分などより信秀のほうが適任である。

 どちらを生かすかなど、選択の余地はなかった。

 たとえ天秤の片方が、自らの命だとしても、だ。


(兄者の事は任せたぞ、つや……っ!)


 幼き妹に思いを馳せる。

 あれぞまさしく天が織田家の下に遣わした神童と呼ぶに相応しい。

 つやがいるならば、尾張の未来は安泰である。

 何の憂いもなく、あの世に逝けるというものだった。


「御免」


 そんな言葉ともに、刀が振り下ろされる音がする。

 そこで信光の意識は途切れた。

 享年二八歳。

 史実より実に一三年も早い死であった。


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sageターンはここまでなのでご安心を!

あまりキャラクターを殺したくはなかったですし、殺さないほうがと迷いもしたのですが、後々までのストーリー展開、演出なども考えると、殺したほうが面白くなると泣く泣くの判断でございますorz

次の次からはつや様のageターンなのでお楽しみに!


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