第二六話 天文十一年一二月下旬『戦は下準備こそ肝要』

「そろそろ年の瀬ねぇ」

「そうですね~」

「なんかやる気出ないわー」

「あたしもです~。こたつから出られない~」

「そうね、こたつが悪いのよ、こたつが」

「はい。全部こたつが悪いです!」


 わたしとはるはこたつで寝そべりみかんを頬張りながら、中身のないしょうもないやりとりをしていた。

 平和だわぁ。

 こうやってごろごろだらだらのんびりするのが最高に幸せだわぁ。


「つやー!」


 と思っていたそばから、玄関のほうから信秀兄さまの野太い声が響いてきた。

 あの声の調子からすると、けっこう大事があったっぽい。

 短い春だった。いや、冬だけど。


 ドタドタドタッと荒い足音がどんどん近づいてくる。

 はるが慌ててこたつから出て、台所の方へと消えた瞬間、パァン! と障子戸が勢いよく開いた。


「いらっしゃいませ、信秀兄さま。出来ればもう少し優しく戸は開いて頂きたいですけど」

「それどころではない」


 わたしのささやかな抗議を一蹴し、信秀兄さまはずかずかと入室して、わたしの隣にどかっと腰掛ける。

 信秀兄さまの近習と思しき少年たちが戸を閉めたところで、


「長親が死んだぞ」

「へ? ……えええっ!?」


 ぼそっと端的に言い放たれた信秀兄さまの一言に、わたしは一瞬意味がわからずぽかんとし、ついで驚愕の声をあげた。


「長親って、松平長親のことですよね!?」


 この時代にはよくある名前ではあるので、一応確認するも、


「儂とおぬしの間で長親と言えば、そやつしかおるまい」

「ですよねー……」


 同意しつつも、わたしの頭の中には?マークが乱舞していた。

 え? まだ天文一一年の年末ですよ?


「長親が死ぬのは、天文一三年の八月頃のはずではなかったか?」


 そう、そのはずだった。

 いったい何がどうなっている?


「わ、わたしがスサノオノミコト様のところで見た歴史では、そうでした。いったいどうして……」

「おぬしにもわからぬか」

「ええ、正直、困惑しております」

「ふむ……おぬしが見た歴史では、確か儂は尾張守護代にもなっておらず三奉行のままで、土岐頼芸様を奉じて美濃に攻め込んでおったんじゃったな」

「はい……あっ、まさか!」


 信秀兄さまの言葉に、わたしもピンとくるものがあった。


「うむ、心労が死期を早めたんじゃろうな」

「おそらくは……」


 確たることは言えないが、その可能性は高そうである。


 わたしが知る歴史に比べ、今の信秀兄さまが持つ力は格段に大きい。

 守護代という尾張全土を治める大義名分を持ち、今生では美濃に牙を向けることなく、むしろ盟を結び、鳴海城に居を移すなど、その領土的野心を三河征服に全振りしている。

 その圧は、わたしが知る歴史とは比べ物になるはずもなく、齢八〇を越えた老人には相当堪えたのだろう。


「まあ、邪魔者がさっさと消えてくれたのは丁度いい。予定よりは早いが、三河攻略に本腰を入れようとかと思ってな、我が孔明の意見を聞きに来た」

「なるほど」

「何か面白い智慧でもあるか?」

「そう言われても、わたしの知る歴史とは違うのでなんとも……あっ!」


 不意に、天啓が頭に降ってきた。

 今は天文一一年の年末だ。

 そして天文一二年の年始には確か――


「松平信孝が、追放されます」

「なにっ!?」

「主家である今川家に年始の挨拶に出向いた隙に、妻子や家臣を岡崎城から放逐されるのです」

「ほう、広忠に近しい者たちとの間で亀裂が入っていたのは知っておったが、まさかそのようなことになるとはな。だがなぜあの時言わなかった?」


 じっとわたしの目を見据えて、信秀兄さまは問う。

 あの時、というのは二月の上旬、美濃の斎藤利政が守護である土岐頼芸を追放した時にした会話のことだろう。

 なぜあの時に話さなかったのか、それは――


「えと、てへ、ど忘れしてました♪」


 とりあえず、テヘペロとともに言ってみる。

 これで許してくれないかなぁ。


 なんてチラリと上目遣いに信秀兄さまの顔を覗きこんでみたのだが、唖然としていた。


「ど忘れ、だと?」


 どうやらさすがにこの解答は予想していなかったらしい。


「はい。スサノオノミコト様から授かった知識は非常に膨大です。状況に合わせて都合よく思い出したりできないですって」

「ふむ、確かにそのような事を言ってはおったな」


 虚空を見上げ、その時の事を思い返したように、信秀兄さまは言う。


「まあ、人間、そんなものではあるか」

「です」


 よかった。

 とりあえずわかってもらえたらしい。


「って納得すると思うたか! さすがに重要な事は覚えておきちゃんと報告せい!」

「はい、すみませんでした!」


 なんてそう問屋が卸すことはなく、しっかり怒られる。

 まあ、確かにほんとけっこう重要な事柄だしなぁ。

 とりあえず平謝りなわたしである。


「……まあいい。で、松平信孝が追放されて、どうなる?」

「自らに二心ないことを告げて広忠に許しを請いますが、追放が解かれることはなく、信秀兄さまを頼ってきます」

「ほう」


 にぃっと信秀兄さまがあくどい顔になる。

 卓越した策略家である信秀兄さまのことである。

 信孝の利用法がこれでもかと脳内を駆け巡っているのだろう。


「つや、貴様ならどう動く?」

「信秀兄さまの考えとほとんど一緒かと」

「ほう、それはぜひとも訊いてみたいな」


 信秀兄さまは先ほどより興味深そうに、目を瞠らせる。

 尾張の虎相手に戦略論を語るのは正直気が引けるけれども、問われたからには仕方ない。


「まず松平信孝を松平家当主の神輿に据え、三河侵攻の大義名分とします」

「然り。まさしく儂が考えておったことじゃな」


 顎ひげを撫でつつ、信秀兄さまがニタリと笑う。

 戦を仕掛けるには大義名分が絶対に必要である。

 そして松平信孝の復権を支援するというのは、三河の内部争いに介入する格好の名目だった。

 実際の信秀兄さまも、史実ではそのように動いていた。


 まあしかし、二心ないと言って許しを請いながら、許されないと見るや自らの復権の為に敵国に頼りその介入を手引きし国を割る。

 外患誘致は二一世紀の日本では極刑以外にない重大犯罪である。

 松平信孝という人物は武勇にこそ秀でているのかもしれないが、到底ろくな人物とは言えそうにない。

 まあだからこそ、我が織田弾正忠家にとっては、実に便利な手駒と言えるのだが。


「ついでまずは西三河の諸将の調略、でしょうね。日の出の勢いの我が織田弾正忠家に対し、松平家では長親、信孝という武勇に秀でた将が二人もいなくなったのです。旗色悪しとこちらになびく者も少なからず出てくるでしょう」

「それも然りじゃな」


 満足げに信秀兄さまが頷く。

 戦というと、先の清州の戦いのようなそれ一つで家の明暗を分ける一大決戦を思い浮かべがちだが、そういうのはもう最終局面であり、まずは水面下での情報戦、調略戦、そして小勢力での小競り合いといった地味な長期戦が常である。

 戦わずに敵の戦力を奪いこちらの戦力を増やせるのなら、それに越したことはないのだ。

 こうして、後に第二次安祥合戦と呼ばれる戦いが今、静かに幕を開けたのである。


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第二部二四話の最後三行を、本エピソードに合わせて修正しました。

ライブだとどうしてもこういうことがありますね(汗)


また、松平信孝という人物については、第一部を書いている段階で、作者、不覚ながら知らなかったのですよね(汗

賢くなかったのは、つや様ではなく、作者だと思って頂ければ(苦笑)


てへぺろしているのもつや様らしいといえばらしいのですが、

本作はつや様賢い! が売りの作品ではあるので、二部が切りのいいところまで書きあがったら、第一部の該当部分と本エピソードを多少書き換えるかもしれません。

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