第二七話 天文十二年(一五四三年)一月初旬『百景』

「「「「「あけましておめでとうございます」」」」」

「うん、おめでとう」


 天文一三年(西暦一五四三年)元旦、早朝。


 新年の集まりということもあり、清州城表書院の間には我が下河原織田家の主だった家臣と寄騎が一堂に会していた。


「旧年から一人も欠けることなく、人が増えむしろ賑やかに新たな年を迎えられたことをまず心より嬉しく思います」


 皆の顔を見渡し、わたしはその事を噛み締めるように言う。

 今は血で血を洗う戦国時代。

 皆が元気に新年を迎えられるのが、当たり前の世界ではない。


 実際、今頃お隣では、この後三河を二分する内乱のきっかけとなる松平康孝の追放が宣言されているはずだ。

 そして、その争いには織田家、今川家が介入していくことになる。

 来年、この中の誰かがいなくなるなんてことも、十分にあり得るのだ。


 とは言え、本日はめでたき元旦である。

 そんな暗い話を考えるのはまた今度でいいだろう。


「旧年は皆のおかげもあり、我が下河原織田家は大いに躍進する年となりました」


 これは誇張抜きの事実である。

 まず清州の戦いで、領地が一二五〇貫から三五五〇貫と三倍近くになった。

 最初こそ人手不足でてんやわんやなところもあったけど、経験豊富なじぃこと佐々成宗の指導の下、特にトラブルもなく順調に領地経営もできている。


 財政的にも、熱田の加藤殿を介して、千歯扱きに石鹸、醤油、かつお節、他にもいくつかを売り出したのだが、どれも生産が追い付かないほど爆発的大ヒット中だ。

 勘定方の太田牛一の話では、すでに我が下河原織田家の金蔵には、すでに五〇〇〇貫文(六億円相当)以上もの銭が詰みあがっているという。

 清州城内の新屋敷の建設に、様々な新商品の開発、農閑期には農民たちを雇って、領内の河川や水路の整備に、新耕地の開墾作業も行ってもなお、これだけの銭が積み上がったのだから相当の儲けだったのがわかるだろう。


「今年も引き続き、皆で一丸となって下河原織田家を盛り立てて下さると有難いです。よろしくお願いいたします」

「「「「「御意っ!!」」」」」


 新年の挨拶とともにぺこりとわたしが頭を下げると、皆も一斉に了承の言葉とともに頭を下げる。


「ささやかながら、馳走と酒を用意いたしました。今日は無礼講。仕事抜きで楽しんでいってください。それでは皆の衆、盃を……乾杯!」

「「「「「乾杯!!」」」」」


 音頭とともに、カンカンっと盃を交わす音が部屋中に鳴り響き、わいわいがやがやとそこかしこから談笑が始まる。


 ふぃぃぃ、とりあえずこれで当主としてのお仕事は終了、っと。

 人前で挨拶とか緊張するし、ガラでもないんだけど、これでするべきことはしたので、後ははるとゆきがその腕を存分に振るってくれた料理の数々に舌鼓を打つだけである。


「か~っ! やっぱり百景のこのガツンっとくる感じは、はたまらんのぅ!」


 早速、じぃがぷっは~! と気炎を吐いている。

 百景とは、わたしが興した蔵元で製造・販売している酒であり、今や我が下河原織田家の有力な財源の一つとなっているヒット商品である。

 と言っても日本酒ではない。

 いわゆる蒸留酒だ。


 天文年間の頃は、まだ酒と言えば清酒に濁り酒、どぶろくぐらいで、蒸留酒である焼酎はまだ九州地方ぐらいにしか広まっていなかった時代だ。

 せいぜい高くてもアルコール度数一五%のところに、四〇%である。

 しかも不純物が少ないので二日酔いもしにくい(二日酔いの原因の大半は、蒸留の初期の段階で捨てるメチルアルコールである)。

 となると、


「けっ、酒の趣味だきゃあ良いじゃねえか、親父」

「ふん、お前ごとき青二才にも百景の良さがわかるとはのう」


 三度の飯より酒が好きという呑んべたちには、それはもう最高の酒であろう。


 とは言え、ほぼ無味無臭できつい酒であるので、舌に合わないという人も多い。

 それでは売り上げも高が知れている。

 そこで考えたのが、


「ふふっ、お言葉ですが成宗殿。百景の本領は果実酒ですぞ」

 赤色の液体の注がれた盃を揺らしながら、そう言ったのは林秀貞殿だ。

 そう、これがわたしの考えた販売戦略『いろんな果実を漬けられるお酒』である。

 漬ける果実によって、様々に味を変えていく不思議なお酒。

 加水して酒精を下げるもよし。

 自分好みの酒を自分で気軽に作れます!

 しかもそのまま呑めば、ガツンとくる酒精も楽しめる。


 という触れ込みだ。

 ストレート、リンゴ漬けや、イチゴ漬け、山ブドウ漬けと色々な試飲サービスもした結果、加藤さんはけっこう強気な値段を付けたのだが、即日完売。

 売り出したのが熱田という港町だったこともあり、瞬く間に噂は広がり、今や三年先まで予約で満杯という盛況ぶりである。

 いやぁ、もう左団扇がいくつあっても足りないわ~。


「あら、さすがは林様。百景の良さをよくわかっておいでで」


 ちょうど通りかかったゆきが追従する。

 ふんっとなんともつまらなさげにじぃも鼻を鳴らして抗弁する。


「わかっとらんな、二人とも。果実を足すなど邪道よ。ただ酒精を楽しむのが百景の真の楽しみ方じゃ!」

「たまには良い事言うじゃねえか、親父! 俺も同感だぜ」

「いえ、お言葉ですが、百景とはまさしく百の景色を楽しむという意味で姫様が名付けられたものです。それを否定されるおつもりですか?」

「む、むむぅ。そ、それは……」


 ゆきの会心の一撃に、じぃがたじろぐ。

 さすがに主君の言葉は否定できなかったらしい。

 まあ、四人ともそんなに熱く語るぐらい、百景が気に入ったということである。


「ふふっ、苦労して作った甲斐があったというものね」


 わたしはうんうんと頷く。

 蒸留自体は、アルコールの沸点が約八〇度、水の沸点が約一〇〇度で、その差を利用すれば、元の酒よりはるかに度数の高いアルコールが抽出できるという理屈だ。


 その理屈自体は中学生の理科レベルなので、装置自体はすぐに作れたのだが、これが意外と奥が深いのだ。

 とにかく火加減が難しい。

 純粋にアルコールを抽出するにはかまどで八〇度ぐらいにきっちりキープしないといけないわけで、その辺でまず試行錯誤の連続だったのだ。

 温度計なんて便利なものも当然ないしね。


 しかも蒸留は一回で終わらなくて、何回も何回も繰り返すというね。

 火の番のひとはほんと大変だったと思う。

 実際、白樺の活性炭で臭いをけっこう取ってはいるんだけど、それでも初回製造ロットではまだちょっと焦げた臭いが酒についていたらしい。

 後、日本酒特有の米の甘みもほんのり残っているんだとか。


 やっぱりできる限り無味無臭に近づけたいので、大麦での製造法をなるべく早く確立したいな。

 蒸留装置ももうちょっと効率的な形とかありそうだし。


 まあ、でも今はそれより大量生産体制の構築が急務、ね。

 作れば作るだけ、高値で売れる金の成る木だ。

 おそらく今回の歴史でも、今川家は三河の内乱に介入してくるはずだ。

 となれば、戦は数年がかりのものとなるだろう。


 戦は物量でするものである。

 その為にも、金は出来る限り稼いでおきたいところだった。

 兵を雇うにも、兵糧を買うにも、武器防具を買うにも、お金は必要なのだから。


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