第二三話 天文十一年一二月中旬『あえて火中の栗を拾う』

 銭湯――


 いわゆる大衆浴場であり、天正一九年(西暦一五九一年)に伊勢与市という者が江戸の銭瓶橋のほとりに銭湯風呂を建てたのがそのはしりと言われている。

 当時はまだ蒸し風呂形式であり、二一世紀の人たちにとっては普通の、湯に肩までつかる『据え風呂』が出来たのは慶長年間の末頃という話だ。

 なんと今から七〇年も先、大阪の陣あたりの話である。

 戦国の世も終わり、太平の世となったことで、薪をそういうものにも使う余裕が生まれたということなのだろう。


 だが幸い、尾張には大量の褐炭が眠っている。

 明治から昭和にかけては、全国消費量の実に四分の一を供給していたと言えば、その産出量の凄まじさがわかるだろうか。

 しかもこれが重要なのだが、比較的地表に近いところで採れる!

 つまり、重機などが使えないこの時代でも、比較的容易に採掘が可能と言うことである。

 これを利用しない手はなかった。


 そうして、清州の街外れにわたしの肝入りで銭湯を作ったのだが、これがもう空前の大ヒットを飛ばしたのだ。

 連日超満員、入るのに二刻(四時間)待ちという長蛇の列。

 慌てて二軒、急ピッチで店舗を増やしたのだが、それでもまだ一刻待ちがざらという大盛況ぶりである。


「国外から熱田や津島を訪れる商人たちも、最近はわざわざ風呂に入りに清州まで足を運ぶんだとか」

「ほおぉぉぉ」


 わざわざ遠出してまで風呂に入りに来るのか。

 やっぱもう風呂好きって日本人のDNAに刻まれているのかもしれない。


「おかげで街では、物が飛ぶように売れてます。商人たちはもうほくほく顔ですよ」


 人の往来が増えれば、物が売れる。

 これはもう自然の摂理のようなものである。

 つまり、清州の町は銭湯客によって空前の大景気に沸いているのだ。


「ふぅん、じゃあ清州の運上金、もう少し値上げしてもいいかもね」

「左様でございますな」


 秀貞殿も頷く。


 運上金とは、いわゆる営業権である。

 二一世紀みたいに帳簿いちいち確認して、お金の入出もしっかり確認して、なんてやってられないしね。

 こうして清州で商売するなら、一定額のお金を納めろ、という形式で税を徴収しているのだ。

 まあ、清州で商売するのがそんなに儲かるのなら、銭湯を作ったのは他ならぬわたしなので、分相応の分け前は頂くのが筋というものだろう。

 世の中持ちつ持たれつ、である。


「続いて、遊郭の運営についてですが……もう少し利益をとっても……」

「それは絶対にダメ!」


 秀貞殿の提案を、わたしは断固とした口調で拒否する。

 大がかりな入浴施設があれば、そこに性風俗が生まれる。これはもう人の世の逃れられない定めである。

 実際、江戸時代の湯屋は二階がそういう場所だったというし、二一世紀の日本でも、温泉街にはけっこうな率でそういうものがある。


 それを取り締まることができないことは、人類の歴史が証明している。

 規制を強めればむしろアングラ化し、より非人道的なものが横行するようになるだけだ。

 日本でも、江戸時代の遊女の人生は、苦界、この世の地獄とまで言われ、遊女屋を営む者は忘八、すなわち仁義礼智忠信孝悌の八つの徳目を失った者と呼ばれたものだ。


 わたしの目が届く範囲で、そんなものを現界させるつもりはない。

 ならばどうするか?


「前にも言ったでしょう? これは利益を追求しては絶対にダメ。悪徳な連中がはびこる隙をわずかも与えちゃいけないの」


 これである。

 オランダでは西暦二〇〇〇年、売春が合法化されたが、その結果、当時は一三五〇軒もあった売春施設が、二〇年でなんと二五〇軒程度まで大幅に減少したという。

 厳しく取り締まってもなくならないものが、合法化し管理すれば、逆に減らせるということが証明されたのだ。


 わたしはこれをさらに進めて、あえて公が利益度外視で運営すれば、と考えたのだ。

 公金というものは、民間がやっても利益が出ない、それでいて民の生活には必要なことに投入すべし、というのが基本である。

 私はそれにもう一つ追加したい。

 そこで利益を追求してはいけないところにも、公金を投入すべきだ、と。


 性風俗はその類だとわたしは考えている。

 公が利益度外視で運営することで、民間が参入できないようにする。

 遊女たちの生活環境をちゃんと整え、仕事の合間に文字の読み書きや計算を学べるようにもし、遊女たちが他の業種でも働けるように教育もする。

 どうしてもそういうことが嫌という子には、安月給にはなるが娼館の裏方に回ってもらう。

 公がそういう良質なものを作ってしまえば、民間業者は太刀打ちのしようがないという寸法である。


 とはいえ、公自ら公序良俗に反するものを運営するのだ。

 下手すれば私の評判はがた落ちするかもしれない。

 秀貞殿にもそう心配された。

 だがそんなもん知ったことか! である。


「……そこまで仰るのであれば、わかりました」

「無理を言ってるのはわかっています。申し訳ありません」


 今は太平の世ではなく、無法がまかり通る生き馬の目を抜く戦国乱世。

 儲けられるところで、あえて儲けないなど馬鹿のすることである。

 家を富ませねば、他家に蹂躙されかねない。


 織田弾正忠家の家臣としては、秀貞殿のほうが正しいのだ。

 金は、力である。

 人も雇えるし、武器や兵糧といった物資も購入できる。街の発展や開墾に投入すれば、国を富ませ、人々の暮らしを豊かにできる。


 その絶好のチャンスをふいにするのだ。

 甘っちょろいことを言っているのは、わかっている。

 それでも――

 それでもわたしはやっぱり同じ女として、地獄を味わう人が一人でも減ってほしいと切に思わずにいられないのだ。

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