第二一話 天文十一年七月中旬『家中随一の猛将、織田信光』
「おお、よく来たな! 待っておったぞ!」
守山城の奥書院に障子戸を開くと、鼻先に横一文字の刀創が際立つ強面の男が両手を広げていきなり突っ込んできた。
反射的にわたしはかわそうとしたが、あっさり捕まり持ち上げられる。
それどころか
「っ!?」
高い高いと放り投げられる。
「ふむ、随分と重くなったな。前に抱き上げた頃は犬ころぐらいだったのに」
「感慨に耽ってないで、さっさと降ろしてください!」
七貫(二六kg強)ほどはあるわたしをお手玉できる膂力はとんでもないが、普通に怖いから!
手滑って落っことされようものなら、普通に怪我する高さだから!
「ん? 昔はこれをやると喜んでくれただろう?」
「いったいいつの話ですか!? とにかく降ろして!」
「わかったわかった。そう叫ぶな」
わたしが悲鳴じみた声をあげると、髭男はようやくがしっとわたしの脇を掴み、畳の上に降ろしてくれる。
ふぃぃぃ、生きた心地がしなかった。
いきなりこんな目に遭うとは思ってもみなかったわ。
「改めて、久しぶりじゃな、つや」
強面男がニッと口の端を吊り上げ笑う。
その笑った顔には、どこか信秀兄さまの面影がある。
それも当然と言えば当然か。
この髭男の名は――
「急な訪問、受け入れて頂き誠にありがとうございます、信光兄さま」
織田孫三郎信光。
信秀兄さまとは父母を同じくする兄弟だった。
「おぬしとは、一度じっくり腰を据えて話してみたかったから丁度いい」
かっかっかっと豪快に笑う。
顔立ちが似てはいるが、信秀兄さまに比べると、信光兄さまの邪気や裏表がなく、よりからっとした笑い方である。
この辺りは彼の一本気な武人肌の性格ゆえだろう。
「清州で見せた武略、実に見事であった。あれをこの守山でやられたらと思うと、肝が冷えたわい」
「ご謙遜を。あの程度の挑発で信光兄さまを釣り出せるとは思いませぬ」
この守山の地は、三河松平氏との国境沿いの要衝である。
七年前には、徳川家康の祖父、松平清康が大軍で押し寄せてきたこともある。
その時、奇跡的な幸運はあったが、見事この城を守り通したのがこの信光兄さまだった。
「まあ、確かに儂は、あの阿呆のようにすぐかーっとなって飛び出すなんてことはせんがな」
「ええ、そうでしょう」
「ならば標的を兵にするだけだろう?」
あ、バレてーら。
戦国時代の人間は、二一世紀の草食系男子と違って、割と血の気が多い。
それはもうめちゃくちゃ多い。
まさにヤンキーやDQNのノリの人間が多いのだ。
そんな人間が、女児に腰抜け扱いされまくったら?
そりゃまあ、出撃させてくれ!! って信光兄さまに直訴し出すことは想像に容易い。
「頭に血が昇ったバカどもを押さえるのは、なかなかに大変なのだぞ?」
「ええ、そう思います」
十分思い知っている。
前々世で、我が身をもって。
生死のかかった戦いで、人はなかなか冷静ではいられないのだ。
戦いとは将と将の腹の探り合い、という側面もあるにはあるが、下の暴発をいかに防ぐかという統率力・信頼力の勝負でもあるのだ。
「ですが、信光兄さまならそれでも御せると思いますよ」
なんせ信光兄さまは、自他ともに認める家中随一の猛将である。
兵たちからの信頼感は群を抜いている。
いざともなれば死を恐れず敵に攻めかかる勇猛果敢な人物が、「今は押さえろ」と言うのは、説得力が違う。
「ふん、ずいぶんと持ち上げてくれるではないか。だが、今を時めく『織田の鳳雛』にそう評価されるのは悪い気はせんな」
「……その呼び方、気に入ってないんですけどね」
わたしはげんなりと顔をしかめたものである。
戦国時代、有名になってくると、二つ名で呼ばれたりするようになる。
信秀兄さまなら「尾張の虎」。
勝家殿なら「鬼柴田」「かかれ柴田」と言った具合に。
そして巷間でわたしに付けられた二つ名がこの、『織田の鳳雛』だった。
「ん? そうなのか? おぬしにぴったり、これ以上ないほどの呼び名と思うがな?」
目を瞬かせ、不思議そうに言う。
鳳雛とは、鳳凰の雛のこと。
すなわち、極めて将来有望な子どものことを喩えて言う言葉である。
鳳凰は中国神話の伝説の霊鳥であり、
「聖天子の出現を待ってこの世に現れる」
「その卵は不老長寿の妙薬になる」
とされ、その縁起の良さから古くから日本でも装飾などに用いられてきた。
五色絢爛な羽を持ちその華やかさな見た目から、髪結い前の女の子であるわたしには、その雛である、という字面が感覚的にピンときやすいのだろう。
それはわかる。うん、わかるんだけどね?
「三国志であっさり逝っちゃうじゃないですか。縁起悪すぎでしょ」
「ほう、そうなのか?」
キョトンと返される。
あ~、三国志演義はこの時代、武士の一般教養ではあるのだけれど、どうやら読んでないらしい。
確かにいつ見ても本を読んでるより、木刀を振り回してる姿のほうが記憶にあるわ、このひと。
「三国志で、鳳雛と呼ばれた人は、流矢で若くしてあっさりと落命してしまうんですよ」
とりあえず、説明する。
わたしは前々世も前世も、畳の上で死ねてないからなぁ。
そんなに迷信深いわけでもないけど、さすがにそういう縁起悪い二つ名は勘弁願いたいところである。
「なるほど。確かにそれは不吉だな」
納得したように信光兄さまも頷き、
「では兄者と相談して禁令を出すとするか」
「いえ、さすがにそこまでのことは。ちょっと縁起が悪いぐらいですし」
「何を言うておる。縁起は大事であろう」
あー、そう言えば今の時代ってそういうのことさら大事にするんだった。
基本、合理主義的な信秀兄さまでさえ、塩畑の地を「塩の畑では作物が実らず縁起が悪い」って勝幡って地名変えちゃったぐらいである。
「ですが、もう尾張の外にまで広まっておりますし、人の口に戸は建てられぬかと」
「ふむ、そうか。では用心せい。今やおぬしは、我が織田弾正忠家の大事な支柱の一つ。失うわけにはいかぬからな」
厳しい顔つきで忠告してくる。
織田弾正忠家の重鎮として、国を背負う者としての言葉だ。
だが、信光兄さまはフッとそこで相好を崩し、
「もちろん、一人の兄としても、妹は可愛いからな」
ぐしゃぐしゃっとわたしの頭を撫でくり回す。
ほんとやっぱり、兄弟なんだなぁ、と思う。
厳しいようで、なんだかんだ身内に甘く情深いんだよなぁ。
おっと、あんまり雑談ばかりに花を割かせていてもあれだな。
そろそろ本題に入るとしますか。
「では、そんな可愛い妹のおねだりを一つ、聞いてもらえます?」
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