第二〇話 天文十一年七月中旬『激情』成経side

「がふっ!」


 腹部に突き刺さった激痛に、成経は思わずその場にうずくまる。


 ここは守山城の鍛錬場である。

 そこで成経はつやが兄である信光と会見している間に、約束通り勝家と対峙することになったのであるが……


「つ、つええ!」


 勝家のあまりの強さに、成経ははっきり言って手も足も出せずに一方的に打ち据えられていた。

 自分より強いと言うことは、うっすらと野生の勘で感じ取ってはいた。

 だが、まさかここまでとは、想定を大きく上回る強さである。


「やはりこの程度……か」


 はあっと勝家が嘆息をこぼす。

 その声には失望の色が濃い。


「っ!」


 カチンときた。

 確かに実力に差があることは認めよう。

 しかし、舐められたまま終わるのは、成経の矜持が許さなかった。


「まだまだっ! もう一本だ!」


 立ち上がり、再び木刀を構える。


「やれやれ、今のままでは何本やっても同じだと思うがな」


 勝家はトントンっと木刀で肩を叩きながら、つまらさげに言う。

 そのこちらを舐めた態度が気に食わない。

 一泡ぐらい吹かさねば、成経の気が済まなかった。


「うるせえ! とにかく構えろ!」

「このままでいい。いつでも仕掛けてこい」

「なにっ!?」


 成経は思わず目を剥く。

 肩に木刀を担いだままでは、どうしても初動が遅れざるを得ない。

 正眼の構えに比べ、隙だらけもいいところである。


「お前ごときにわざわざ構えるほどもない」


 言って、勝家はこれ見よがしに、わざとらしいあくびまでしてみせる。


「~~っ!」


 ぷちんっ!

 成経の頭の中で、何かが切れる音が響いた。

 彼の人生において、ここまで侮られ舐められたことはかつてない。


「その自惚れ、後悔させてやるぁっ!」


 咆えると同時に突っ込み、大上段から木刀を振り下ろす。

 が、すでにそこに勝家の姿はない。


「だから、そういうところだと言っている」


 耳元で勝家の声が響き、


 ガッ!


 背中に鈍痛が疾る。

 突っ込んだ勢いもあいまって、そのまま床に叩きつけられた。

 なんとか手で防ぎ顔面は守ったが、振り返るや、


「くっ!」


 その喉元に、勝家の木刀が突きつけられていた。

 またもや成経の敗北である。


「まだ、やるか?」

「やらいでか!」


 いいとこなしでは終われない、とその後も成経は八本ほど試合を繰り返すが、その度にあっさりと打ち負かされる。

 数合、打ち合うのがやっと。

 ほとんど勝負にもなっていなかった。


「くっそ~! 俺がここまで手も足も出ねえなんて!」


 ダンッ! と悔しさを拳に乗せ、床に叩きつける。

 成経は、これまで同年代相手には向かうところ負けなしだった。

 が、


「所詮、俺は井の中の蛙だったってことか……」


 ここまで一つ下の勝家にコテンパンにやられると、悔しいがそう認めざるを得なかった。


「なぜこうもあっさり手玉に取られるのか、わかるか?」

「俺の腕がまだまだだってことだろ!?」

「違う、まだまだなのは腕ではない。心だ」

「あん? 心だ~?」


 なんとも嫌そうに、成経は顔をしかめたものである。

 父である成宗から、似たようなことは繰り返し繰り返し言われてきた。

 貴様には心の修養が必要だ、と。

 あまりに耳タコすぎて、もう反射的に生理的嫌悪が湧いてしまうのだ。


「おぬしは感情的すぎる。ゆえに……俺ごときの安い挑発にすぐ乗ってしまう」

「うっ」


 言われて、すぐに思い当たる節があった。

 確かに、つやからは、勝家は見た目は怖いけど温厚な人物と伝え聞いており、随分と突っかかってくるなと違和感は覚えていたのだ。

 だが、舐められた事への怒りが上回り、その違和感を無視してしまった。


「先にも言ったが、おぬしはつや姫様の護衛であろう?」

「あ、ああ」

「一時の感情に呑まれ、勝てぬとわかっている相手に挑み、果てに敗れる。これが実戦なら、主君を危機に晒していたところだ。だから貴様は護衛失格と言ったのだ」

「うる…………いや、か、返す言葉もねえ」


 成経は反射的に怒鳴りかけたものの、すんでのところで呑み込む。

 ここまで完膚なきまでにやられて、吠えたところでまさに負け犬の遠吠えである。

 二重に恥を晒すだけ、それは成経の矜持が許さなかったのだ。


「さらに言えば、怒りに呑まれたおぬしの動きは殺気が駄々洩れで、かつ単調極まりない。至極、読みやすい」

「そういう……ことか」


 言われて、成経はハッとする。

 思い返してみれば、確かに勝家の反応は常軌を逸していた。

 こちらが動くほんと一瞬早く動き、機先を制されてしまう。

 まるで妖怪のサトリのごとく、こちらの心を読んでいるかのようだった。


 何のことはない。

 成経の方が、自分からこう動くと相手に教えていたのだ。


「かように、一時の激情に呑まれれば判断を誤る。ゆめゆめ忘れぬことだ」

「随分と老成してんな。あんた、俺より一つ下だろう?」

「ただの経験則だ。俺も安祥で痛い目を見た」


 勝家はスッと視線を東へ向け、どこか遠い目をする。

 その声には、どこか寂しさも滲む。


「っ! そうか……」


 成経も勘のいい男である。

 それで大体の事は察した。


 安祥とは一昨年、織田氏と三河の松平氏との間で行われた合戦の事である。

 勝家はその戦で初陣ながら一騎当千の戦いぶりを披露したという話だが、本人的には苦い失敗の経験もやはりあったのだろう。


 さもありなんと思う。

 一応、表立っては安祥城の城主松平長家を討ち取り、織田家の勝利だと内外に喧伝こそしているが、実際は負け戦、せいぜいで痛み分けといったところである。

 織田勢三〇〇〇に対し、三河勢は一〇〇〇。

 三倍もの兵力差がありながら、結局、安祥城を落とすまでに至らず、死傷者も多く出し撤退を余儀なくされたのだから。


 おそらくその死者の中に、親しい者もいたのだろう。

 そしてそれは、勝家の判断の誤りのせいもあった。

 少なくとも彼はそういう自責の念を抱えているのだ。


「一時の激情……か」


 経験と悔恨から来る言葉は、やはり重い。

 また、親の言葉だとついつい反発してしまいがちでも、他人の言葉だとスッと受け入れやすいという時もある。


「確かに……それが俺の一番の急所、か」


 今回の勝家との諸々もそうだが、清州の戦いでも、功に焦り勘が危険と知らせてくれていたのに無視して突っ込み、結果、死にかけた。

 将棋でも、負けた悔しさにムキになってつやに挑み、結果単調な打ち筋になって手玉に取られることばかりだ。

 小猿にも負けた悔しさから突っかかって、前のめりになりすぎたところをつけ込まれ、大損をこいた。

 短期間でこうも続けば、さすがに頑固な成経も、そう認めざるを得なかった。


「そうだな。精進あるのみ、だ。……お互いに、な」


 ムスッとした顔で、勝家が自嘲気味に言う。

 昔の自分を見ているようで、放っておけなかったといったところか。


「あんた、見た目と違ってけっこう優しいな。ありがとよ」

「別におぬしの為ではない。つや姫様は今や我が織田弾正忠家の宝。その護衛たる者が頼りなくては枕を高くして眠れんからな」


 勝家はふんっと鼻を鳴らし、そっぽを向く。

 礼を言ったと言うのに、そんな横柄な態度で、仏頂面のまま。


 普通なら気を悪くするところだが、勘のいい成経は、彼でなければ見逃すようなかすかな違和感に気づく。

 勝家の耳が、ほんのりと赤い。

 どうやらこのぶっきらぼうな態度は、照れ隠しも多分にあるのだろう。


「くくっ、あんた、姫さんから聞いた通り、損な性分してんな!」


 成経は思わず吹き出さずにはいられない。

 これは確かに、誤解されやすいと思った。


 だが、こういうところはまだ年相応というか、あの前兵衛と違って可愛げがある。

 すっかり勝家の事が気に入った成経であった。

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