第一八話 天文十一年七月中旬『無骨な男を部下に持つと上司は苦労する』

「守山へ、ですか?」

「ええ、信光兄さまにご相談がありまして」

「なるほど、わかりました。留守は私がしっかり引き受けますのでごゆるりと兄妹の親交を深めてきてくださいませ」


 本丸御殿へと向かう渡り廊下でばったりと林秀貞殿に出会い、これ幸いとわたしが外出の許可を求めると、彼は快く了承してくれた。

 まあそもそも実質この城を取り仕切っているのは筆頭家老である彼なので、わたしが外出したところでさしたる問題がないのは当たり前と言えば当たり前だった。


「ああ、そうだ、勝家」


 秀貞殿がちょうど中庭にて木刀を片手に鍛錬をしていた勝家殿に声をかける。

 勝家殿は上半身裸で、その筋肉質な身体を惜しげもなく晒していた。


 ボディビルダーのようなムキムキの魅せるための筋肉ではない。

 動くを重視したしなやかな細マッチョな肉体だ。

 ネコ科の猛獣を思わせるしなやかな美しさがそこにはあった。


「はっ。何用……つや姫様?」


 振り返り、勝家殿が意外そうに目を瞬かせる。

 どうやらわたしの存在に気づいていなかったらしい。

 その顔にも体にも滝のような汗がしたたる。よほど鍛錬に集中していたのだろう。


「こんにちは。鍛錬お疲れ様です」


 わたしはにこっと微笑みかけつつ、労をねぎらう。


「ありがとうございます」


 むすっとした顔と声でそう言って、勝家殿は小さく頭を下げる。

 初見ならもしかしてわたし嫌われてる!? とか思うところだが、不愛想なのは彼の仕様である。


「勝家、つや姫様が守山に向かわれるそうだ。お供して差し上げろ」

「はっ」

「ちょっ、ちょっと待ってください」


 勝家殿は二つ返事で了承してくれるが、慌てたのはわたしのほうである。

 勝家殿はこの清州城の二番家老だ。

 色々忙しい身であり、わたしのお供などに付き合わせるのは申し訳ないにもほどがあった。


「供ならば、家来の成経がおりますから、大丈夫です」

「そうですか」


 頷く勝家殿だが、心なしかちょっと顔が残念そうな?

 いや、気のせいね。

 さすがにンなわけないし。


「はああ、勝家。信光殿に用があると言っていただろう?」

「は? 用、ですか?」


 思い当たるものがないらしく、勝家殿が首を傾げる。

 秀貞殿は先程より大きな嘆息ともに、パチパチっと目配せする。

 それで勝家殿ははっとした顔になり、


「あ、ああ! そうでした!」


 思い出したように勝家殿がポンっと手を打つ。

 ふむ、わざわざ言葉ではなく目配せで気づかせようとする辺り、内密の重要案件といったところか。


 信光兄さまは織田弾正忠家で一番の戦上手であり、勝家殿も若くして鬼柴田の二つ名で恐れられる猛将だ。

 三河侵攻の準備も裏で着々と進んでいるんだろうし、おそらくその辺りかな。

 まあ、わざわざ隠したぐらいだ。

 聞かないでおくのが作法というものだろう。


「せっかくですから、ご同行してもよろしいでしょうか?」

「ふふっ、それはもちろんです」


 わたしも笑顔で了承する。

 別に愛想笑いというわけではない。


 勝家殿には熱田で人さらいから守ってもらい、清州では織田信友の暴行からかばってもらった。

 下河原では林秀貞殿の治水オタトークにそれとなく助け船を出してもらってもいる。

 確かにちょっと不愛想で口下手ではあるかもしれないが、実はとても優しい人である。

 一緒にいていやなはずがなかった。

 むしろ普通に旅友が増えたので嬉しいぐらいである。


「では早速参りましょう」

「ま、待て、勝家! 先に行水して参れ」


 ぐいっと着物を着こもうとする勝家殿に、秀貞殿が慌てて声をかける。


「しかし、つや姫様を待たせるわけには……」

「はあああ、そんな汗臭い恰好で隣を歩くほうが失礼であろう」

「あっ、では急ぎ汗を流してきます!」


 なんとも疲れた溜め息とともに秀貞殿が注意すると、勝家殿がダッと走り去っていく。


 ん~、なんか珍しいな?

 秀貞殿って割といつも冷静沈着でてきぱき仕事をこなしておられるイメージなのだけど、今日はなにやら随分とお疲れのご様子である。


「秀貞殿、その、お仕事のしすぎでは? 適度な休養も大事ですよ?」


 ぶっちゃけ仕事を丸投げしている以上、秀貞殿こそが実質的な清州城代である。

 彼ほどの優秀な逸材もそうそういないので、代わりもいない。


 彼に倒れられでもしたら、色々な諸業務が滞る事間違いなし!

 是非ともお身体は大事にしてほしいところである。

 わたしが楽する為にも!


「お心遣いありがとうございます。いえ、そちらの方はむしろ最近、忙しさも一段落して落ち着いてきましたから」


 ふふっと秀貞さんは何かをやり遂げた自信に満ちた笑みを浮かべる。


 まだ清州城を統治し始めてから三ヶ月といったところ。

 いろいろ新体制ゆえの雑務、問題もあっただろうに、それをあらかた片付けてしまったらしい。

 最盛期間近の織田家七〇〇万石を切り盛りしていただけはあって、やっぱこの人、すこぶる優秀だわ!


 まあ、じゃあ疲れて見えたのは、仕事が一段落して疲労が一気に襲ってきた、とかかな? 

 大仕事の後によく来るあれである。


「まあ、疲れて見えるのは別件です。やれやれ、仕事はできるし、武芸の腕も立つ。戦場での度胸も抜群だというのに……」


 秀貞殿はまた溜息とともに首を振る。

 脈絡的に多分、勝家殿のことかな?


 ああ、汗云々から察するに、もう少し自分の振る舞いが他人からどう見えるかどう思われるか、ということに気を配れって事かな?

 確かにそれは、上に立つ者には必要なスキルではある。

 でも――


「大丈夫だと思いますよ、勝家殿なら」


 わたしは確信に満ちた声で、きっぱりと言い切る。


 だってわたしは知っている。

 彼が史実に置いて、北陸方面軍の司令官として多くの将を率いていたことを。

 前田利家が信長の怒りを買い出仕停止処分を受けた際に、信頼していた友や家臣たちが離れていく中、人知れず援助を続け織田家復帰の為に骨を折っていた事を。

 賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れて本拠に戻ってからも、裏切った家臣たちさえ恨まず、彼らに生き残る事を薦めたと、当時の宣教師ルイス・フロイスの文書にも残っている。


 そんな彼の優しさに感銘を受け、上司部下の枠を超えて、勝家殿のことを親父と呼び慕っていた者は数多い。

 おそらく妻であったお市の方もその一人で、だからともに死ぬことを選んだのだろう。

 なにより――


「確かにパッと見は怖いかもしれないけど、時間はかかるかもしれないけれど、わかる人にはわかってもらえるかと。彼の良さは」


 実際に接して、わたしは肌身でもそれを知っている。

 だから自信を持って言えるのだ。

 彼なら心配ない、と。


「ふむ」


 秀貞殿が、意外そうに目を丸くする。

 ついで、またはあああっと大きく溜め息を吐く。


「なぜこういう時に限って奴はこの場にいないのか。間の悪い……」


 いや、行水に行かせたのは他でもない貴方ですけど!?

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