第一七話 天文十一年七月中旬『つや姫様、台パンあそばす』

 ドン!


 わたしは激情のままに机に拳を打ちつける。


 もう我慢の限界だった。

 心の中に溜まった鬱憤を力いっぱいわたしは解き放つ。


「お風呂に入りたいっ!!」


 そう、これが今のわたしの何にも勝る願いである。

 いくら小氷河期時代とは言え、夏ともなればそれなりに暑い。

 まだエアコンも未完成であり、となれば汗もかく。

 下河原では温泉も湧いた。

 そりゃお風呂に入りたいと思うのが人情であろう。


 だが戦国時代には、お湯を張ったお風呂は全く一般的ではなかったりする。

 風呂と言えば、蒸し風呂、つまりサウナが主流。

 それさえかなり高い身分の人間の屋敷にしか存在しない贅沢な設備であり、普段使いするものでもない、というのが現状だった。


(まあ、燃料が足りないんだから、仕方ないんだけどね)


 この時代、燃料と言えばもっぱら薪である。

 だが木を伐採しすぎると、地すべりや洪水の原因にもなるので自ずと年間で使用できる量には限度がある。

 木は他にも木材として道具や家などにも大量に使うしね。

 暖を取ったり、冶金に使ったり。

 そして一番は、武器の製造に大量に使われている。


 とてもじゃないけれど、大量のお湯を張ったお風呂なんて贅沢にまで回す燃料の余裕はこの時代にはまだなかったのだ。

 それはわかっている。

 わかっているのだが……


「お風呂に入りたいったら入りたいのよっ!!」


 こう叫びたくなるのが人情というものだった。

 冷水で行水というのも、あのひやッとする感じを毎日はさすがにきつい。

 四〇度ぐらいのお湯でゆったりしたいのだ。

 なのにそれが一向にかなわず、もはやわたしのストレスは天元突破していた。


「じゃあこれから、下河原の屋敷へと向かいますかい?」


 笹の葉をピコピコしながら、護衛役の成経が訊いてくる。

 そう、それがわたしのストレスに拍車をかける原因でもあった。

 

 下河原の屋敷の温泉……

 一度入らせてもらったのだが、それはもう最高に気持ちよかった。

 もうめちゃくちゃ気持ちよかった。

 だからこそ、また入りたくなる。なってしまう。


 が、


「無理。一応わたし城代を任された身よ? お風呂に入りたいから留守にしまーす、とかさすがのわたしも言えないわよ」


 と言うわけで、せっかく掘り当てた温泉もまったく楽しめない状況だったのだ。

 ないならまだ、仕方ないと我慢もできる。

 だが、すぐ目の前に温泉があるというのに入りに行けない。

 いったい何の拷問だこれは!?


「ふーん、じゃあ清州城にも風呂設備作っちまえばいいじゃねえっすか」

「そうしたいのは山々なんだけどねぇ」


 はあっとわたしは溜息をつく。

 下河原みたいな辺鄙なとこでこっそり風呂に入っていても、そこまで目立つものでもないけれど、清州城は人の往来が頻繁だからなぁ。

 城代にすぎないわたしが、城主であり尾張守護でもあらせられる斯波家当主を差し置いて、そんな貴重な燃料を使った贅沢三昧をしているなんて、さすがにちょっと外聞が悪すぎるのよねぇ。


「ん? 待って。そうか! お風呂が贅沢なら、お風呂が一般的になってしまえばいいのよ!」


 湯を張ったお風呂がありふれた代物になってしまえば、それにわたしが入っていても贅沢とは言われない。

 逆転の発想だった。


「言わんとすることはわかりますが、そもそも燃料的にそれは難しいのでは?」


 話を聞いていたっぽい川尻秀隆が、訝しげに突っ込んでくる。

 確かにその疑問はもっともだった。

 サウナですら贅沢というのは、そもそもが燃料不足のせいなのだから。


「大丈夫、当てはあるわ!」


 自信満々にわたしは言い切る。

 そう、色々ありすぎて、すっかり失念していたのだが、思い出したのだ。


 この尾張には、実はあるモノが大量に眠っているということを!

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