第十六話 天文十一年七月上旬『からくり屋敷』
「なんとも面妖な屋敷だな」
下河原の屋敷をつやから賜って一週間。
下柘植小猿はしみじみとそうつぶやくしかなかった。
伊賀の里の屋敷も、回転扉やら落とし穴やら絡繰り仕掛けは色々仕込まれているが、全く別方向にこの屋敷は頭がおかしい。
洗濯機なるものの中に衣類を放り込んでおけば自動で洗濯してくれるし、それを脱水機なるものにいれればこれまた自動で脱水してくれる。
食器を洗うのも自動だし、脱穀も自動だし、小麦や餅をこねるのも自動だ。
それらをすべて人力を用いず、川の水の流れる力を利用して行っていると言う。
「この家に住んだらもう他の家には住めないっ!」
とは、小猿の妻すずめの言葉である。
さもありなん、とは思う。
日中の半分はそれらをこなすことに費やしていたというのに、手足は水であかぎれしっぱなしだったというのに、それらつらい重労働を全て、放り込んでおくだけで勝手にやってくれるのである。
彼女をはじめ、一族の女たちからしたら、この家はそうした労働から解放してくれる、まさに極楽浄土だったのだ。
「なるほど、ここに来るまでは眉唾と思うておったが、スサノオの巫女というのは真というしかないのぅ」
熱田で売り出されている品の数々、そしてこの家の絡繰り。
それらすべて、つやが考えついたものだと言う。
しかも未だ八歳のみぎりである。
到底、人の身で成し得られるものではなかった。
「あえてこの家を与えたのも、我らを離れられなくさせるため、か」
つやを裏切りこの家から追い出されなどしようものなら、妻たちはこぞって夫たちを恨むに違いない。
小猿にしても、この一〇日ほどの間に、すっかり温泉の虜になってしまっている。
日々、訓練で疲れた身体を温泉で癒すあの至福の時は、もはや手放せそうにない。
恐怖ではなく快適さによって離れられなくする。
裏切られなくする。
「なるほど、幼く見えても、スサノオの巫女。ここまで見越しての事か」
なかなかに上手い手だと思った。
実はつやはそんなことまではまったく意図していなかったのだが、彼女は先の清州の戦いでかの諸葛孔明もかくやという智謀を見せつけている。
織田信秀の下に舞い降りた「織田の鳳雛」の雷名は、行商人たちをつたって、今や近隣の国々でも話題の的である。
きっとこれも彼女の計算の内なのだろうと、つやへの畏敬を強める小猿であった。
「あんた、木猿。ここまでよくしてもらってるんだから、しっかりつや様に奉公して恩返しするんだよ」
「わかっている」
妻の言葉に、小猿は重々しく頷く。
どこへいっても伊賀者は余所者で、言葉を選ばずに言えば、使い捨ての駒であった。
敵地への潜入工作など死が絶えず付きまとう危険な任務にもかかわらず、感謝もされない。評価もされない。
それどころか卑賎な連中と蔑みの眼を向けられるのが常であった。
そしてそれが普通であり、仕方のない事とも思っていた。
だというのに――
あの奇妙な姫は、自分たち伊賀者を、縁の下の力持ちだと評価した。
言葉だけならば、小猿はどうせ口先だけだろうと内心で鼻で笑っていたことだろう。
だが、こんな素晴らしい屋敷を惜しげもなく与えたことからも、その言葉が嘘ではないことは明らかである。
伊賀者は常に蔑まれてきただけに、そういう視線には敏感だ。
だが、つやが自分たちに向ける眼に、そういう嫌なものが全くない。
伝わってくるのは、むしろ惜しみない敬意だった。
それは小猿にとって生まれて初めての経験であり、素直に心地よかった。
すっかりつやの事が気に入った小猿である。
この奇妙な姫の為なら、多少俸禄以上の仕事をこなしてもいいと思うぐらいには。
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